パン屋の休日 サイクリング編2 №85

前回の「お池ツアー」に続き、翌週は日出生台へサイクリングに出かけた。初めから日出生台に向かったわけではなく、塚原から安心院へ向かう途中に、分かれ道があり、「なんだこの道は?」と好奇心を起こした結果、日出生台へさまよい込んだわけだ。これを読んでいる方の中には、この日出生台をどう読むのか、また日出生台はどんなところか予備知識のない方もおられると思うので簡単に説明をしておこう。

「ひじゅうだい」日本の中でもっとも広い陸上自衛隊の演習場。1899年、旧日本軍が満州と地形が似ているということで、演習場に選んだと言われている。1997年より沖縄のキャンプハンセンから米軍が演習を移転させ、日出生台では反対運動が続いている。

東西15キロ南北5キロにわたる日出生台は、自然の宝庫としても有名だそうだ。私たちは、湯布院へ来て、生活を始めるまで、日出生台のことはほとんど知らずにいた。しかし現在も、ほとんど知らない。ただ日出生台という地名と、米軍の演習が始まる頃(2月の数日間)テレビの報道で見るくらい。

安心院のサイクリングからまよい込んだ道は、深見ダムを左に見ながら、上へ上へと登っていく。前回のお池ツアーで鍛えた私の足は、これくらいではへこたれはしない。
しばしば、お店に玖珠からもお客さんが来るので、210号線でクスにドライブに行ったことがあった。
玖珠は、湯布院からちょっと離れた場所だと思ってきた私の目に飛び込んできた看板。それは「ここから玖珠」というものだった。(あれ~、玖珠って湯布院のお隣。しかもこんなに近いんだあ!)
坂を登りきると、目の前にスンバらしい景色が広がってきた!!お~!何という絶景!長者原の景色の美しさは誰もが知っているだろう。でもこんなすぐ近くに、ワクワクするような美しい場所があるなんて、もう驚き、桃の木、山椒の木だ。

そして、またもや看板。そこには「日出生台」という地名が。

その時、「玖珠」と「日出生台」が私の頭の中でリンクした。

テレビで報道していた日出生台演習場近くの玖珠の民家は、ここなのかあ!
子どもたちが、米兵からの危険を避けようとタクシー通学を演習期間にしているという場所なのだ。

さわやかな風を受け、美しい景色を通り抜けながら、一方で重たい現実が垣間見えた、日出生台サイクリングツアーだった。