人がいなくなるということ

この二日間の休みは比較的ゆっくりできた。半年近く行ってきた土木作業も一区切りつき、ユンボの操作も一応終了。オニパンの駐車場の整備も一応終了(まだでこぼこだが)。頼まれていた隣人の畑の耕作をトラクターでチャチャッとやって(本当にトラクターを使うと早い!)ついでに少し伸びていた小麦畑の雑草もトラクターで耕した。

ふと目をやると、お隣のじいさんの畑も雑草が広がっている。

これもまたトラクターで耕さないとな。つい一ヶ月ほど前に耕したのに。雑草が伸びるのは早い。そして、なぜか気になったハウスの中に入ってみる。

戸口が開いていて、ハウスの所々が破れている。そのためか、ハウスの中は酷い状況になっていた。

ツルっぽい草が前面に繁茂し・・・じいさんの大切にしていた播種機などは草の中で外観も見えなくなっている。コンバインも草に絡まれている。草を取ってみると

鉄のチェーンなど錆び付いている。このままでは動かなくなる。雨がテント内に入り込み、暑い環境でジャングルのようになっていたのだ。

じいさんはこまめに機械の整備をし、雑草などもはやらせないようにあちこちに手を入れていた。以前のInfoにも書いたが、整った茶畑や雑草のないまっすぐ伸びる畝、その光景が当たり前になっていたので、じいさんがいなくなって見間違うほどに変わり果ててくる様相に驚き、逆にじいさんのそれまでのこまめな仕事のすごさに気づいた。人がいなくなるとわずかの時間で変わり果てる。

所狭しと広がる雑草をひきぬく。あまりの量に圧倒される。何か悔しくて、むなしくて・・・。人がいなくなるということ、それは必ず起きることで、今あることは永遠ではない。それは近い将来我が身にも起きること。

別府の実家に行った。今はオヤジもいない。94歳のオヤジは入院中。そしてその後は老人ホーム。実家のマンションは空虚に時間がすぎている。人気のない部屋は空気が違う。30年近くの賑やかな時と思い出が嘘のような静けさ。