マーク・トウェイン没後100年

(う~ん何を書こうか)困ったものだ。オニパンに来られるお客様で、「ホームページ見ました」とおっしゃる方が増えてきている。少しでも更新しとかないと申し訳ない。というわけで困っている。
だいたい日記なんてとりとめもないことを書きつけるものだ。いちいち考えて書くほどのものもないくせに・・・。書きたいことはあるのだが、非常にマニアックな内容をここに書くのもどんなものだか。今一番書きたいことは、酵母の話。新しい発見がある。でもやめとく。これは、パン作りをしている人で、天然酵母に関心のある人であればフィットする話題。この新しい発見に興味を持つ人は、ぜひオニパンを訪ねてほしい。私も話し相手がほしい。ママは、あんまり興味がないみたいだから。
以前この「折々帳」で私が児童文学に興味を持っていると書いたことがあった。若いころアメリカの作家マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』を読んだことがある。そのころアメリカの歴史にも興味を持ち色々と難しそうな本も読んだ。黒人奴隷の歴史、開拓者のお話、キング牧師のことなど・・。
若いころって正義感も強く、人間らしい生き方についても模索し、さまざまに社会についても批判的に考察しようとするものだ。
例外に漏れず、私もそんな青年だった。児童文学が好きだった私は、『十五少年漂流記』の続きみたいな感覚で『ハックルベリー…』を読んだ。それは子どもらしい夢のある冒険のお話ではなかった。勉強嫌いで、野蛮な父親を持つハックが、引き取られたお堅い家から逃亡する少年の物語だった。そしてその相棒は、ジムという「逃亡奴隷」の黒人であり、二人はミシシッピー河を下りながら様々な体験をする。

ほぼ、内容は忘れてしまった。しかし、感動したことはしっかり覚えている。ジムが騙され、白人にとらえられ身を売られそうになる場面がある。ハックは悩む。ジムの元の主人に連絡してジムを助けてもらおうか。しかし、そんなことをすれば、元の主人は自分の家から逃亡したジムを売り払ってしまうだろう。ジムの逃亡を助けた自分も悪くいわれるに違いない。
ハックはジムが自分をどれだけ助けて優しくしてくれたかを思い、泣きながら決心し、「地獄に行ってやる」とつぶやく。つまり、社会の慣習やきまりを投げ捨て、自分の本当の気持ちに従って、ジムを助け出そうと決意するわけだ。
地獄に落ちても、ジムを救う方が自分らしい生き方だとしたハック。その著者マーク・トウェインも、当時の黒人への差別に強い憤りを持っていた。今年はマーク・トウェインがなくなって100年とのこと。たまたまそのことを知って、30年以上前のことを思い出した。
最近NHKの「歴史ヒストリア」という番組で、戦前のプロレタリア作家小林多喜二のことが取り上げられていた。彼の著作『蟹工船』が昨年、若者たちの圧倒的な支持を受け、一大ブームとなった。これも実に感慨深いことだった。
若いころ小林多喜二に夢中になり次々と彼の作品を読んだ。戦中にあの侵略戦争に反対しひどい拷問を受け殺されたということは、高校時代より知っていたものの、『蟹工船』が、予想以上に面白かったからだ。それに続いて読んだ彼の作品たちは、暗い、固い、むずかしいものという私の先入観を裏切り、実にさわやかで明るく、人間らしさにあふれたものだった。私は多喜二の生き方に感動し、彼が日々日記代わりに読書感想を綴っていた『折々帳』をまねして、私も綴った。あ~恥ずかしい。そんなわけでこの日記も「折々帳」と昔を懐かしんでつけたのです。

サイクリング2

パン屋の生活は、どうしても運動不足になる。1週間に一度は必ず運動。それも地の利を生かし、景色のよい所を探して。前回は「仙の岩」ツーリングを紹介したが、今回は飯田高原方面。愛車「ダットラ」に2台の自転車を乗せ景色のよい場所を探して。中高年の身でもあることを考慮し、全行程を自転車では走らない(走れない)。私は、大分県出身ではあるが、大人になるまで、大分の良さを肌身に感じることもなく生きてきた。年をとって大分に舞い戻り、年をとったからわかるのか、景色、食べ物、人情そのひとつひとつに感じ入る毎日。
長者原(ちょうじゃばる)まで行くと少し時間がかかると思ったので、その手前の飯田高原辺りをサイクリングしようと二人で出掛けた。

ダットラを停め、30分ほど走ると、朝日台と言うドライブインみたいなお土産屋さんがあり、その先15分ほど行くとこんな景色の場所。天気もよく汗も額から落ち、心地よい。電動自転車で先を行くママが見当たらない。すると

かわいいサイロが見えた。その奥にアイスクリーム屋が。そこにママがいるではないか。

近付くとおいしそうにアイスを食べている。自家製のアイス。ちょっといい立ち寄りポイントだ。
これは、先週のこと。そして今週、昨日は・・・。

塚原のオニパンカフェから直接スタート。ドングリ茶屋から、湯布院方面へ向かい大分自動車道の高架の辺りより、側道へ。そして日出生台演習場の入口を越え・・・。その道はとっても良いツーリングコースだった。自動車もほとんど走らず(自衛隊の専用道路みたい)景色も最高。上の写真、全体が見えないの残念。映画のワンショットに使える素敵な光景が広がる。約1時間半のサイクリング。う~んいい汗かいた。さあ、今週もがんばるぞ!

人生の選択?

昨日懐かしい知人がオニパンカフェにやってきた。大阪時代の知人で20歳の女性、Tさん。運動が好きで、優しく、正義感にあふれる人。、就職が決まって、叔父さん、叔母さんとともにその報告も兼ねての来店だった。厳しい試験を制して、自衛官への採用が決まったとのこと。彼女は、警察官、消防隊員なども含め、過酷な仕事を通じて人のためになれたらと考え、何度も採用試験に挑戦してきた。私のような軟弱な者にはちょっと考えられない選択でもある。おめでとう!よかったね、Tさん!彼女も嬉しそうにしていたもののちょっと不安げな表情。叔父さんが「実は、4か月の研修があり、その内容を撮ったビデオを観て、自信をなくしているんです。」と、代弁。4か月の研修(試練)の間に、就職を辞める人も多いとか。彼女は、多くを語らなかったが、その心、想像するに有り余るものがある。パン屋の修行の厳しさを引き合いに出すのには、少々滑稽さを感じたものの、私としても、何とか励まそうと話してみた。
今日、お店にやってきた近所の19歳のお嬢さん。Aさんは、最近保育所の実習に行ったそうだ。実習の厳しさや喜びを生き生きと話していた。来年は、設定保育があるとのこと。子どもたちに対し、どんな保育を実践するのか、自分自身で考えてするとのこと。年長さんぐらいになると、下手をすると、舐められる。これも、それなりに、なかなか大変だぞ。
さらに今日のこと。お手伝いに来ているめいちゃん。将来は教員を目指している。めいちゃんがこんなことを言う。「仕事をしていて、とても悩んでしまう時、どうしたらいいのか・・・。」「やめないで、続けて行くのがいいのか。でも、悩みを抱え、気が滅入り、暗い状態で人生を過ごすのは・・・。でもやめてしまうのもどうかと・・・・。」めいちゃんが突然こんな話を出すのは、それなりに授業とか、マスコミの情報とかで考えざるを得ない環境があるからなのだろう。
この二日間、偶然、遭遇した若者の人生(将来)に対する不安。生きている限り、時代が変わっても、若者は全て、人生の選択?(生き方)に悩み、生きざまを模索する。悩む若者を目の当たりにして、ちっと緩んだ中高年的気持ちも、新鮮な若者の息使いを思い出してくる。(嗚呼、こんな時代が、あった!)

商品開発

1月に入ってから、お休みが増えた。2月などは1日から5日まで冬季休暇までとらせていただいた。よく休むパン屋としての評判が立たないかとひやひやものだが、休むことは体にも精神にもいいと強く感じる近ごろ。冬季休暇は一日だけ熊本の方に出かけただけで、後はレンタルDVDでニコール・キッドマンの「オーストラリア」「遥かなる大地へ」を観たことと、酵母生活を続けたこと。ニコールキッドマンの両作品はとても良かった。気の強い自立した女性、ちょっと男っぽい所がいいですねえ。そう言えば映画館で観た「コールドマウンテン」という作品でも、似たような女性像が描かれていた。最近観た市民劇場の「出雲の阿国」もそうだった。夢に見たのではないかと思われるほどに、翌日のベッドの朝も阿国のことを考えていた。う~ん、やばいぞ、そっちの話に持っていくつもりではない。女性のお話は置いといて、今回は商品開発ということで記述したいと思います。
酵母生活の続きなのだが、前回の日記に書いた元種、それをさらに継いでいくと、グンと発酵力が増した気がした。それで、パンをつくると、なかなかのものが出来上がった。味もよい。良し、行ってみよう!菓子パンの一部に使うことにした。
パンの作り方には色々な手法がある。普段は忙しくてできないが、今回、老麺法というつくり方も実験してみた。パンが膨れる、発酵するということはつまるところ酵母が増殖し発酵活動を通じて生地を美味に醸成するということ。だとすれば、酵母が活動しやすい増えやすい環境を準備してあげればよいということだ。老麺法はパン生地の一部を取り残し、それに餌(小麦粉)や水を継ぎ、発酵させ、元種としてパンをつくる方法。このやり方を使えば、酵母を新たに使わないので経済的にも助かる。しかし、焼きあがったパンは残念ながらしっかりあこ酵母を使った食パンと比べ、風味に欠けていた。商品として売り出すのには向かないやり方だ。
おいしいパンをつくりたい、そのために色々試行錯誤を繰り返す。その時間は集中し緊張しわくわくする宝石のようなひと時とも言える。学習することによって絡み合っていたパン作りの謎が少しずつ紐解け、うまくいかなかった原因が推察できるようになる。そして、(たぶんこうすれば・・・)と予想しうまく行った時の嬉しさは何にも代えがたいものがある。どんな仕事にも、分野は違えどきっとこういった側面があると思う。パン屋の商品開発、教師の教育実践、農家の作物づくり、お店の経営・・・。同じことの繰り返しは停滞ではない。「流れる水はくさらず」というが「流れない水は腐る」ということでもある。岡林信康の歌にあったっけ、「この場所に~とどまっては~ならない~」って。

「商品開発」は季節に敏感にならないといけません。パン屋についても。
我がオニパンカフェに若いお手伝いさんがやってきました。若干19歳。大学生。「めいちゃん」っていいます。トトロに出ていた女の子と同名です(どうでもいいですが)。その子のお母さんがおいしいイチゴを持ってきてくれました。あまりにおいしいので一人で食べるのはもったいないということで、フルーツデニッシュにのせました。それまでのフルーツデニッシュは、ぶどう・りんご・キューイでした。あまり売れ行きが芳しくなく、昼すぎまでしっかり残っている場合も。しかし、イチゴにしたとたん、あっという間になくなります。もっと季節に敏感にならないとと感じた出来事でしたね。

なんか、とってもおいしそうですね。めいちゃんの作品です。これで150円は絶対お買い得です!

酵母生活

塚原の冬はいい!枯れた冬景色。「枯れる」という言葉の意味には「深みが出る」という意味もある。春を前にして、目に見えない深いところで、命が活動している。静かで澄み切った大気。夜の星空がいい。
オニパンカフェは、冬季、週三日お休み。その時間を使って、人間らしい生活を試みる。チェーンソウを使い木を玉切りする。ハスクバーナーの斧で薪割り。薪ストーブの暖で音楽と読書。夏場がウソのようなほっとするひと時だ。
疲れた体を癒していると、ふつふつと考え(アイデア)が目覚めてくるようだ。私の場合、朝方ベッドの中で、夢見ごこちの時、突然やって来る。新作の「かのこカスク」の成形もそうだった。そして、酵母づくりも。
あこ酵母の秘密を解き明かしたい!と常々思ってきた。自分で酵母作りからできれば、これぞ胸を張って「手づくりのオニパンだ!」と言える。
あこ酵母の生種を味見すると、甘酒のようなおいしさだ。これは酒種と関係があると直感的に思う。原材料は「米・小麦・麹」とあるので、たぶん正解のはず。酒種から元種をつくってみようと試みた。これでうまくパンが焼けるのか。

つくり酒屋から米麹を取り寄せ、塚原レストラン12の月の女将さんから頂いたもち米で甘酒をつくった。その甘酒に同量の水を加え、30度の温度で3日間発酵させた。


3日後。シュワシュワと泡立つ酒種ができた。
それにオニパンで使っている食パン用の小麦粉を混ぜ、元種をつくった。

これを3度繰り返し、3番種をつくって、パン作りを試みた。

ぶどう食パン。右はあこ酵母。左は自家製酵母。固くて重い!う~ん。なぜ?原因は色々と考えられる。発酵力か弱いのか?それとも過発酵か?一つ一つ課題を設定し、確かめて行かねば原因はわからない。
私は発酵力が弱いとは思わなかった。弱くても、ある程度の時間をかければ、酵母は増殖し、力が増していくはず。それよりも、酵母の数が多すぎ、それに足るだけの餌が足りずに、酵母が死んでいったのではと考えた。それで、今度は元種の量を半分にし、またパンを焼いてみた。

嬉しかったですねえ。予想は当たっていました。窯伸びもして、かなり大きく育ってくれました。手前の食パンが自家製酵母のもの。後ろの袋に入っているものがあこ酵母の食パン。お客様が興味を示して、「売ってください」と言うので安くお売りしたが、まだ商品としてお店に並べるほど質の高いものではない。しかし、味もなかなか良くて、しっとり感とボリュームが出ればそのうちお店に登場という日が来るのではと、密かに思っている。
酵母の名前まで今考えているところ。「オニパン・塚原酵母」ではどうだろうか。塚原のお水、塚原に住む空気中の自然酵母が営み生み出す種からできたパン。夢があっていいなあと思う。
うまくいくのかなあ。