木曜日、別府店臨時休業!                     遅ればせながら夏旅行の報告

8月29日(木)は、九州に台風直撃との予報が入っています。スタッフの安全、お客様も外出できないだろうとの判断で、早めに「臨時休業」のお知らせをしときます。コロナから立ち直っているとの推定で、張り切っていたマスターですが、もう少しおとなしくしときます。

コロナで寝たきり。日々動き回っている日常と比べ、恐るべき睡眠量。発覚する(病院で)金曜日の午後まで、しんどかったが朝パン作りを敢行しました。移動販売!!それは、全く自信がなく、頭痛と体のほてりで急遽マサ君に依頼。別府は玉ちゃん。塚原を守る清家さんのシフトで対応。ママも奮闘。ギリ人がいるのでこの体制がとれたが、9月以降は全く出来ない状況になる。

金土は、きつかった。熱は8度程度だが、体は痛く、頭痛も。喉もやられ、咳が出る。汗が大量に出る。薬の効果なのだろう。スタッフに「カレーのスパイスがない」とか「仕込み票がない」とか言われると、ナンとしてもやっておかないと行けないので、みんなが帰った夜にスパイス作りとかする。しんどい。あと、消毒スプレーをまき散らしておく。

日曜日、喉痛と頭痛が少し残るも、ずいぶんラクになる。熱も引く。夕方くらいから、今後の作業の方向性や具体的準備を考え、できてないベーコンの下準備を夜中にやる。仕事が出来る方がずいぶん気持ちも楽になる。そして今日、8割方快方。Infoを書かなくちゃとパソコンの前に。

<入野松原>延々と続く松林とサーフィンポイント

いや~それにしても、充実の3日間だった。京都にいる娘に「なんでこんな時に、高知に旅行に行くねん。私の友だちなんか、高知旅行とりやめたりしてるのに」とのお叱りが。めったに会えない人と3人もすでにアポとっているのに、やめられるわけない。多分これが最後の高知旅行だと思っているのだから、今更。

着いて初日は、学生時代のクラブの仲間と飲む。彼は以前Infoでも紹介した高知山岳連盟の会長。彼の誘いがもとで、今回の土佐旅行が始まった。土佐料理の美味しい店で、酒と料理を堪能。ウツボの唐揚げ、チャンバラ貝の天ぷら、鰹のたたき、鯖の刺身(これは希少価値)、栗焼酎(ダバダ火振り)。

翌日、高知の中心、帯屋町へ。よさこいメッカ。その近くの今一番盛り上がっている大宴会場「ひろめ市場」へ。中が広い。そして店だらけに人だらけ。昼間から大宴会場的な雰囲気。南海トラフなんてものともしない人たちにあふれている。

中はとても広く、私たちが行ったの水曜日のお昼だったが、座る席がないほど!貧乏県高知にとって、これは大切な観光スポットなんだなあ。私は前夜の飲み食いもあって、ソバを食べただけ。

夜のスケジュールの前に、我が懐かしの高知大学へ。

正門から入って、しばらくすると、この椰子並木道。我々が通った頃より、グンと高くなっていた。だろうなあ、50年前なんだから。しかし昔のままの建物も数多い。

かなりきれいに建物や内装もリフォームされていたけど、懐かしの212番教室。ここが一番大きな教室だった。この部屋で受験もした。大学5年生の時一般教養の単位がまだ全てとれてなく、一番前の席で、下級生に交じって真剣授業を聴いていた23歳の私が浮かんでくる。次々浮かび上がる昔の情景。入学式の時「どうや、見学するだけでもいいき、この名簿に名前でも書きや。」と誘われた空手部。あとで、名前書いたら、追いかけ回されて入部させられるか、断ればボコボコにされるぞと先輩に聞かされた。入学式から2~3週過ぎもう大丈夫と思って、この教室で授業を受けていると、授業後空手部が入ってきて、この中に「日浦はおらんか」と・・。必死で後ろ出口から逃げた!そして、この写真。私が座っていたのはこの辺りの席。前で訴えているのは、3回生の彼女(現ママ)。各サークルが学部長にサークルの状況を訴え予算交渉をする「学部長交渉」で、女子寮の現状を訴えるママを見た。すごいなあ、オレなんか恥ずかしくてよう言わんわ~と思った。あの頃は、本当にいろんなことがあり、心が躍動していたよなあ。若い頃って感受性が豊かだよなあ。

通りかかった3人の若者に声を掛け、話をした。先輩だとわかると、態度が急変。さすが、高知の伝統は生きているなあ。50年ぶりの学生会館前でツーショットを。この学生会館の中に学生自治会や新聞部等の組織も合ったのに、今はきれいなショッピングと食堂に。時代の流れを感じさせる。私たちが立っている場所は池があり、コンパあと酔っ払った学生が勝手に飛び込んだり、投げ入れたりしてたなあ。合い言葉は「感激あれ若人よ!感激なき人生は空虚なり!汝らが前に高く高く理想を掲げよ!さすれば淡々として道は開けん!ただ歩めばいたる!」こうして、みんなで輪を作り肩を固く組み、「豪気節を10番まで足を振り上げて歌う」これを高知大の学生はストームと言って、コンパのあと酔っ払った身でやるのが慣例だった。ぁ~懐かしいなあ!古きよき時代。今もやってるのかも?

長くなってますがもう少し。その後、帯屋町に戻り、甥っ子のお店へ。

甥っ子は板前。久しぶりに会うということでか、彼はなんと船釣りで魚を釣り、それを自分で料理して出してくれた。

すごく美味しかった。「来るから釣りに行った」なんて、一言も言わない。そして、普段すわないタバコまで持っていた。私と飲んだとき、タバコをほしがった私のことを覚えていて。そんな心温かな甥っ子とはかなり深い付き合いをしてきた。もう彼も40代後半。「おっちゃん、店終わって飲みに行こう」と誘われ断るはずがない。その日は9時過ぎから二軒夜中の2時過ぎまで飲み倒し喋り倒した。スナックで浜省も歌う。声が出ないなあ~。飲み過ぎなのだ。

翌日は最終日。3人目の彼女。大学時代から少し知っていた西本さん。偶然大阪方面へ就職し、大阪での付き合いもあった人。彼女は結婚し、地元の高知へ戻る。しっかり者。彼女が場所を決めてお昼に昼食を。

こんな感じで、開店を待つ人たち。すっごいよね。西村商店というレストラン。

もうここで終わる。豪快な高知らしく、私も、しっかり豪気で3日間を駆け抜けたが、本当に人の情を感じさせた旅だった。そしてコロナへ。納得の行く結論だった。