この一ヶ月 №116

毎日暑い日が続いている。私にとっても熱い日が続く一か月だった。
ママが、一週間過ぎるたびに、「フ~」とため息をついている。「今週も、いろいろあったねえ~」
これが口癖になるくらい、話題には事欠かない一か月だった。

◆パン作り大忙し
5周年を過ぎ6年目に突入。ヒロチャンが頼れる存在に。おかげで、たくさんのパン作りも可能になってきた。普通、販売が落ち込む時期なのだが、今年は別府の出張販売を始めたり、通販の「スペシャルセット」を企画したりで、様相が変わる。
雑誌の「シティ情報大分」が別府の出張販売の取材に来た。どこから聞きつけるのか、大したアンテナ網だ。まあ、こちらとしては嬉しいかぎりだが。

この出張販売は、本元の塚原高原のお店より売れている。
だから、今までの月曜日と比べると、2倍のパンを作ることになる。フエ~。

地元(湯布院)の病院の看護師さんたちが集って、研修会があるということで、2週連続でお土産パンの注文があった。35人ほどのお土産セットを2週連続で作る。

スペシャルセットの注文依頼も出始める。

そんなこんなで、パン作り大忙しなのだ。

まあ、しかし、この状態がいつまで続くは?ではあるが。とりあえず、この一か月は
大忙しだった。

※記事に3時からと書いているのは間違いです。3時半からです。

◆懐かしの人オニパンカフェにやってくる。
大阪時代の教え子が、50ccのバイクに乗ってやってきた。年齢23歳の女性。この5月に結婚したばかりで、連休を利用して(旦那さんは休みが取れなかったとのこと)報告に来たわけだ。彼女は、5年生の時一年しか担任していないのだが、その後も毎年、定期便で状況を知らせてくれた。自立心旺盛で、しっかり者の彼女。もうこんな大人になったのだと、感慨ひとしお。
ママの大阪時代の同僚がやってくる。話を聞くと、彼女が赴任3,4年の若いころ(今から15年ほど前か)同じ職場で働いた方。子どもを二人連れて、貸ログに泊まった。
今の大阪の教育現場の大変さはよく話に聞く。その方も大変苦労していた。子ども二人を抱え、朝から晩まで働くことの厳しさ。親との対応、子どもの落ち着きのなさ。夜眠れなくなる。管理職から勤務評価されるだけでなく、今は、親からも評価され、それが給料にはねかえる。
絶えず周りに気を配る。授業参観や個人懇談での対応・・・・・、私にはしっかりその様子が見えてくる。ハ~疲れるなあ、こんなんでのびのびとした教育ができるのか・・・。話をしていて、私まで疲れてきた。

◆味を深める
以前よりやってみたかったことに、ベーコンづくりがある。
原っぱカフェで食事をしたとき、そこで使われているベーコンがおししかった。話を聞くと、自家製ベーコンだとのこと。大阪で一度挑戦したことがあるが、さほどうまくいかなかった。今回は、仕事でもあるし、ちゃんとやってみようということで、原っぱカフェでつかっているスモーカーと同じものを購入。そしてチャレンジ。


豚バラ肉に塩、三温糖、黒胡椒、ローリエ。
一週間、冷蔵庫で寝かす。
毎日、揉んだり、ひっくり返してお世話。

一週間過ぎたら、お肉を水で塩抜き。
数時間。
その後、風乾。

これで下準備完了。

私の場合は、コンロを熱源として、温薫。
スモーカー内部が70度以上にならないように注意しながら、スモークを2時間程度。


出来上がりの写真を撮ってなかったので、申し訳ないが、左はベーコンを小さく切った後の写真。

これは2度目のものだが、初めてチャレンジしたベーコンは、塩辛く、煙っぽくて今一つだった。 でもおいしい!

2度目はそのあたり注意して、チップの量、塩抜きも考えて取り組む。

相当おいしくできた。

6月28日 オニパンカフェ5周年!

「石の上にも3年」と書いた折々帳。それからすでに2年も過ぎたのですね。速い!恐ろしく速い!!

6月28日、オニパンカフェはめでたく5周年を迎えます。
開店して5年の年月は、それなりの変化発展をオニパンカフェにもたらしました。
最初の1年は、ただがむしゃらの日々。
続けられたのは、心温かいお客様の援助やサポートだったと思います。
「残ったら持っておいで」「毎週届けてください」そんなお客様の思いやり(配慮?同情?)
を肌で感じながら、日々、パンのことばかりを考え、製造・販売に明け暮れました。

「継続は力」当たり前のように、簡単に使われるこの言葉の意味の深さ、重さ。今までも、しばしば感じ入ったことがありました。
継続しているものは、日々進化発展していく。その場にとどまることはない。もちろん取り組む姿勢は重要な要素ではありますが。
真面目に、努力し、続けられている仕事は、必ず深まる。
今もそう思います。

この5年でオニパンカフェはどう変わったのか。
この仕事を続ける中で、何に気付いたのか。
ママに聞いてみました。

①そうやねえ、先ずはパン作りが上手になったことかな。
パンのことがわかりだして、食材やフィリングなどの研究も進んできたね。
②そして、お客様の層が広がった。リピーターさんが県内・県外も含め、たくさん来てくれる。新しいお客様も、いろんな人の口コミで来ていただける。
③オニパンカフェにただパンを買いに来てくれるだけでなく、お客様にとって、癒しの空間になっていると、最近しばしば思うようになった。だから、そのようにお客様に接していかねばと思う。
④この5年間でいろんな人との出会いがあり、そしてスタッフを始め友人やお客様の支えがとても心に残っている。
⑤近頃オニパンの通販や食パンのチラシを作っていただいたデザイナーさんが、そのチラシに書いた言葉がとてもいい!

この5つの感想のうち3つ選んで、少し詳しく書いてみたい。

①パン作り
オニパンのスタート時点では、ほぼ修行時代のあこ庵のパンの受け売りがほとんどだった。
技術的にも未熟で、一度にたくさんのパンを作ることもできなかった。朝の2時に仕事をスタートさせても、開店時に並ぶパンの種類は10数種類程度。パン生地の発酵の見極めも下手で、小さなパンが並んでいた。
それが、1年2年たつうちに技術も向上し、相当おいしい(自画自賛)パンも作れるようになった。現在は、スタッフとの共同もあるが、5時スタートでも40種類近くのパンを作ることができるようになった。
パン生地についても幅が広がった。ご近所の糖尿病の傾向があるお客様の依頼で試作した玄米生地、通販のスペシャルセットを企画する中で作られだしたカンパーニュ生地などオニパンの質を深めるパンも生まれた。

左の写真はスペシャルセットの試作品。
この中には、現在のオニパンの到達点的なパンを選りすぐり詰合せている。
これが5周年の記念的な作品か。

④オニパンカフェを支えてくれたスタッフのこと。

折々帳に、以前何度かスタッフのことを書いた。
何人くらいオニパンカフェを手伝ってくれたか、数を数えてみた。驚いた。その数は30人を超えていた。この5年間で30数人がオニパンカフェに関わって、いろいろな形で支えてくれたわけだ。このお手伝いさんのおかげで、何とか続けることができた。本当にありがたい。感謝感謝だ。
5年目にしてオニパンカフェもお手伝いという形では経営できそうもない状況に入ってきた。
何せ、年からくる疲労、そして広がりつつあるお客様。量と質の変化に対応して、もっと本格的な仕事ができる体制が必要となってきた。小さなお店ではあるが、従業員さんを雇わなければ回らない!
しかし、こんなハードな仕事をやってくれる人はいるのだろうか。私たちにとって、その不安はなかなか拭えなかった。数時間のパートさんなら何とか働き続けることはできるだろう。しかし、従業員さんとなると、朝は早いし労働時間も長い。立ち仕事は、ほんと辛いものがある。下手をすると仕事をスタートさせて10時間立ちっぱなし、休みなく働くこともある。そこで休憩(昼食)して、さらに終業までまた働くみたいな。これを続けると、1週間で腰や足に異変が起こる。寝ていて足がつることもある。それを乗り越えないとパン職人にはなれない。
このきつい仕事を続けるためには、強いパンへの情熱、黙々と仕事ができる忍耐力、そして体力。この3つの要素が必要となる。あるいは、もう逃げられない、背水の陣的な状況があるとか。または、「絶対お店を持ってやる!」みたいな強力な夢とか。
とにかく、パン職人になりたいなあとか、軽い思いだけでは続けられない。

就業規則に3か月の試行期間を設けている。3か月の勤務状況を見て、正式に採用するかどうかを見極めるというわけだ。そうしないと、雇う側も、雇われる側も、困ったことになる。
私とママは、3か月の試行期間の設定はとても大切だと考えた。それを乗り越えた人は、きっと立派なパン職人となると思った。

オニパンカフェ5周年の財産として生まれたのが、従業員さんと思う。
この6月より正社員さんとして、石井宏枝さんが働いている。
厳しい~3か月を乗り越え、ほぼ、私の片腕として朝早くからパン作りそしてカフェの手伝いもこなしている。
彼女のパンへの情熱は相当なものである。通ってきたパン教室の数を聞くだけでも、すごいものがある。将来はパン屋開業を目指している。やはりそうでなければ、続けられないとも思う。いつかは独り立ち、これが人間の当然の欲求だ。「教育とは独り立ちするためにある」とはよく言われたこと。宏ちゃん、独り立ちするために頑張って!
私の場合は、独り立ちできなくなってきているのだが・・・。


宏ちゃんは津久見市出身です。教員免許も中学校・高校と持っています。
学校関係からパン屋へと大きな転身。几帳面な性格なので、パンの成形もきれいです。デニッシュは全て宏ちゃんがつくっています。
ちなみに背景のバタールは宏ちゃん作。

⑤チラシに書かれたデザイナーさん(すが原さと子さん)の言葉から

オニパンのスペシャルセット(通販)を作ってみようとの発想から、知り合いのつてで、大分市のデザイナーさんに相談を持ちかけた。デザイナーさんといっても、プロではなく、趣味でやっている感じの方。塚原高原観光協会のマップもこの方の仕事だ(とっても好評なのだ)。
私のいとこが、大分の「豆の力屋」で働いているのだが、なんとそこで週に何日か働いているとのこと。世間は狭いなあ。
会って相談したのが12月。ほぼ半年がかりで、じっくりと案を考えてくれた。
私は、なかなか原案を見せていただけないので、仕事をしてないのではと思っていた。
5月頃になって、案を持ってお店に来ていただいた。そこで私の浅い予見は見事はずれ、さと子さんの熱い思いを知り、驚き感嘆させられた。
私たちがお願いしていたことだけでなく、オニパンのマスコットキャラクターまで考えてくれていた。ノート1冊にさまざまな試行錯誤の跡が記されていた。
オニパンのチラシを作る作業は、先ずオニパンがどういうパンであり、どういう思いでオニパンカフェを運営しているのか、マスターとママの思いを知らなくっちゃあ、ということで折々帳をすべて読みじっくりと考えてくれていた。私はさと子さんの話を聞いていて、「なんとピュア~な人だ!!」と感動した。人間的で誠実な人だからこそ、こんなチラシがつくれるのだ!デザイナーとは、ただ見た目や美しさだけでなく、商品の本質をどう伝えるかというところで腕が試されるのだと初めて知った。

「パンの数だけ笑顔がふえますように。」
という言葉がチラシの中にある。

この言葉をママがとても気に入っている。
いろいろな事情で元気をなくしている大阪時代の友人にパンを送った。すると、その友人はとてもうれしかったらしく、ママに喜びの声と同時に通販のセットを注文してきた。その送り先は別の友人だった。その友人もまた、親の介護のことやらで苦労しているとのこと。パンに人の思いがこもり、「パンが人と人をつなぐ」(ママの言葉)。これって、「パンの数だけ笑顔がふえますように」ということだわ。
さと子さんの最後の一行に、すべてが集約されていると気づかされる。

オニパン5周年で気づいたこと。パンが人と人をつなぎ、笑顔がふえていく、そんなパン作り、そんなパン屋を目指さなくっちゃあってこと。

いろいろとわかってきた5周年。まだまだ、がんばらなくては。

今後とも、オニパンカフェをよろしくお願いしますね。

 

パン屋の休日 塚原の山を登る №114

ついに憧れの山を制覇!それは富士山でもエベレストでもありません。
身近な身近な山。私たちが暮らす塚原高原にそびえたつ鞍カ戸(くらかど)岳、内山、伽藍(がらん)岳。
 つらいですねえ。私のパソコン技術だとこんな風にしか写真説明ができない。とりあえずわかるでしょうから我慢してください。
塚原から見える山容です。この姿を見て、地元の方々は涅槃像といわれています。確かにそう見えてきます。神秘的で、侵しがたい雰囲気を感じさせます。
私とママは、いつかこの山を制覇し、この山のてっぺんから、塚原を見下ろしてみたいと思うようになってきました。塚原に生活して、丸5年。美しい塚原高原になくてはならない山々。この山々に登ることは、塚原を深く知っていくうえで、必要欠かせない条件かも。

鞍カ戸岳は、尾根伝いに鶴見岳へと続く。塚原から猪せ戸(やまなみハイウェイ)に抜けるエコーラインの峠あたりにある鶴見岳西登山口より入る。味気ないがれ場を馬の背までのぼり、左方向へ道をとると鞍カ戸へたどれる。
鞍カ戸には、Ⅰ峰、Ⅱ峰、Ⅲ峰があり、Ⅲ峰が一番高く、また頂上としても立派で見晴らしもよい。
鞍カ戸Ⅲ峰に向けての馬の背という尾根道は、まさに馬の背のような切り立った道だ。所々はしごやロープがあり、結構スリルがある。

1344mの鞍カ戸岳頂上。西には由布岳を眺望し、北下には塚原が。ついに、見たぞ!
塚原を上から見下ろせた!しかし、塚原全体が見えるわけではなく、立石山のふもと、塚原牧場あたりは見えるものの、それより南の地域は下の山が邪魔している。
この尾根道の先は、舟底(ふなぞこ)と呼ばれる谷に続く。そして内山、伽藍岳がその先にあるわけだ。4月10日は、ここまでで、引き返す。次回は、伽藍岳方面(塚原温泉)より内山を制覇するぞ!

5月8日、塚原温泉手前。何と清々しい天気か。空は澄み切ったブルー。若葉が黄緑葉(紅葉に代わる言葉はないのか?)して、まるでゴッホのような色彩に彩られる景色。

山肌が削られた鉱山の色も複雑で美しい。さまざまに色が混ざり合う。
塚原越より内山に向かう。塚原越は、明礬温泉に続く道や内山・鞍カ戸・鶴見岳縦走路の起点ともなる。

塚原越から明礬に続く険しい登山道がある。
「兎落し」と呼ばれるその道に踏み入ると10メートルほど先に大きな岩があり、その下より、蒸気が噴き出している。熱い。
次回は、この道を踏破してやろうと考えながら、また内山の方へ足を進める。

内山頂上に向けての道は、ほぼ尾根道。ここも、鞍カ戸岳同様、両側がけわしい崖になっている。鞍カ戸に比べれば、まだ道もしっかりしていて、案外緩やかで歩きやすく、心地よいトレッキング道みたいな場所も多い。そうかと思えば、ロープにしがみつき、急斜面に張り付くようなところもある。刺激があり、面白い!景色もいい!眼下に別府湾が広がり、日出、杵築、国東まで眺望できる。ママは、内山がとても気に入ったようだ。

内山より塚原を望む。鞍カ戸よりも広く、塚原全体が見渡せる。

内山頂上付近で、扇山方面へのポイントがある。この道もいつか制覇してやろう。

この先は、頂上から舟底へと続く。
舟底は、急斜面で、雨の日などは転げ落ちる危険性もあるとのこと。今日はママと舟底への冒険を決行する気で家を出た。


内山の頂上で記念写真。

頂上から大分方面を望む。

舟底に着いた!やっぱり急だった。しかし、転げ落ちるほどではなかった。舟底は、とても広い。巨大タンカーのの舟底だ。景色もよく別府湾が一望。反対に別府から見れば、ここがしっかり見えるのもうなずける。

反対を見るとこんな感じ。右斜面が内山側、左は鞍カ戸側。なぜか、太い大きな鉄のパイプが横たわっていた。

さて次回は、塚原越から、明礬温泉へ。
「兎落とし」の難所だあ!

5月15日。塚原越から、一気下降し、明礬温泉へ出るコースはいかがなものかと考えた。
やはり山は登るものだ。それで、明礬温泉から塚原越へ、登ることにした。途中、秘湯、鍋山の湯を通るコース。この秘湯は、2年ほど前か、殺人があった場所だ。現在は通れるようになっている。途中に立札。左はへびん湯、右は鍋山の湯。

途中。開けた道。左は大平山(扇山)。

鍋山の湯近く。まさに禿鷹のような場所。所々より、ガスが噴き出している。塚原温泉の付近とよく似たような雰囲気がある。

ここだあ!鍋山の湯だ。こんなところでお風呂に入るのは、ちょっと勇気がいるなあ。
特に夜は真っ暗で怖いだろうな。
温泉は熱い!!湧水で薄めていた。

ここから、塚原越へ挑戦。道はよくわからんが、何とかなるだろう。

甘かった。アマちゃんだ。何とかなるだろうと、テープを頼りに登って行ったものの、途中で道を間違えてしまったようだ。大変なところに足を踏み入れる。

怖かった。これでおしまいかと思った。急斜面。足元は、乾燥した土。ぼろぼろ。岩も多い。
上を見上げた。すると、たくさんの岩が土より露出。一つ岩が崩れれば、次々と崩れ落ちそうな場所。実際、たくさんの岩が下に落ち積み重なっている。我々の足が、衝撃を与えれば、それでおしまいになりそうな状況が・・・。

「ママ、ここは、非常に危険だ!!何とか横に行って、木が生えている場所へ移動しよう!!」
私の意図が通じているのかいないのか、ママは怒ったように、「そんなこと言ったって、動くの大変なんやから」と、なかなか動こうとしない。
文句言っている場合やない。ここで死んだら、しょうもない。こんな死に方は、意味がない。
私は、冷や汗を垂らしながら、必死で、移動。ママもこの状況が理解できないまま、私の後を、文句を言いながら移動。とにかく、助かった。あ~こわ。

このあと、道なき道を、必死で登る。すると、何とかちょっと道っぽいところを見つける。
おお!靴の跡らしきものがある。助かったかも!
すると、下で、ママの声。「あ~、大変やあ。頭をうったあ!首が~!晃英さん、助けて~。」
これは嘘ではない、ホンマの話。
私は慌てた。ママにいったい何が起きたのか。火事場の馬鹿力か。さっと、ママの所へ降りていった。太い木の枝が横に張り出している下にうずくまるママ。「う、動けない。」とママ。
斜面に取付いて登っていて、頭を上げたとき、上に木の枝があったわけだ。無防備に頭を打ち付け、足まで電気が走った。それでしびれたようだ。

その直後の写真だ。ママを後ろより撮った。
しばらくこのまま休憩。下は転げ落ちるような急斜面。これが「兎落し」か。

この後、二人は、正式な登山道を発見。案外しっかりとした道を、塚原越まで歩く。
ついてみると、この道は、「兎落し」ではなかった。塚原越から始まる、十文字原へ続く道だった。ということは、まったく正式なルートではない道を横切って、うまく違う登山道に出くわしたというわけ。それにしても、あぶない山行だった。

というわけで、次回は、「兎落し」を、塚原越から、明礬温泉の方へ下ることにした。これならば、間違うことはないだろう。

自家製発酵器 完成!

ブログが途絶えて、早一か月。ちょちょっと気楽に書ければいいのだが、状況が許さない。ネタがないのではない。ありすぎる。しかも、中身の濃いネタがありすぎるのだ。

今回の話題、その発祥は、遥か10年前、大阪の地に由来する。
パン作りに取り組む中年のおっさんであった私は、パン生地をいかに上手に、安く、しかもたくさんの量、発酵させることができないものかと思案していた。

天然酵母の元種を使って、パン生地を発酵させるのには、結構な時間を要する。オニパンカフェの現在の製造工程では22度で約13時間。パン屋にはドーコンという便利な発酵器があるので、苦労はない。
しかし、一般家庭でパンを作ろうと思えば、まず一番頭を悩ませるのは、発酵の管理だ。
1次発酵は、番重に生地を入れて発酵させるため、湿度はさほど気にかけなくてもよい。
要するに温度を一定に出来ればそう難しいことではないのだ。
2次発酵(オーブンに入れる前の最終発酵のこと)は、天板に成形した生地を生でのせるために、乾燥は最大の敵であり、高い湿度が求められる。この2次発酵は湿度管理ができる発酵器が必要となるため、簡単とは言えないものがある。
10年前の私は、1次発酵を簡単にできる方法はないかと考えていたわけだ。

夏の暑いとき、天井の方を見ていると、ふと目に留まったものがあった。
そう、エアコン。  これだあ~!

エアコンは温度を一定にすることができる。これを使って、1次発酵できないかと思案した。
結果、初代自家製発酵器を作ることになる。

方法はこうした。

エアコンの周りに、コンパネでコンパクトな部屋を作り、普段は扉を開いておき、1次発酵行の場合は、発酵室として使用する。

この方法で、パン作りは、飛躍的に楽になった。

最近、作るパンの量が増えている。一台のドーコンでの1次発酵が厳しくなってきた。
新しくドーコンを買うには、工房のスペースもなく・・・・、さらには資金も必要となる。
ドーコンは高い!いいお値段!!新車が一台買えるのだ。

ならばあの大阪時代の発酵器を作ろうか。きっとあれならうまくいくはずだ。

発案より半年。塚原の工房古野さんにお願いして、自家製発酵器を設計した。
古野さんとのコラボで5月、ついに完成。
連休明けより、実用に入っている。
その姿を見てください。
「2代目自家製発酵器オニパンオリジナル号」


制作中の発酵器。壁の中は厚さ100ミリの断熱材を仕込んでいます。

製作者古野さんにはオニパン開店以来
いろいろとお世話になってきました。

完成した発酵器の巨大さ、重量には、私もビビりまくりでした。古野さんの工房からオニパンカフェまでどうやって運ぶのか・・・。
とにかく大変で、怖かったなあ。


これ、トラックからどうやって降ろすの。
荷台にあげるときには、フォークリフトでできたけど。

近所の人に応援を依頼して、男4人で何とか降ろせました。


後ろにエアコンを取り付けました。
発酵器の室内は、全面分厚い断熱材に取り囲まれているので、少しの過熱で一定の温度を維持できます。
氷河期が来たら、中に避難し、人肌のぬくもりだけでも、暖をとることができそうです。


設置場所は、車庫。

中の様子。たくさんの生地を入れることができます。

てなことで、これからはたくさんのパンの注文にも大丈夫!!
でも、問題は働き手。
私一人では無理、無理、ぜったいむり~。(NHK,「あまちゃん」の小泉今日子の演技が印象的で、つい思い出してしまいました)

次々回で、働き手(ニュースタッフ)の話題を提供します。お楽しみに。

日曜(火or水)大工 №112

私は日曜大工が好きだ。
30歳半ばのころからだろうか、徐々にその世界に足を踏み入れだしたのは。
決して丁寧で見栄えのするものを作るわけではない。
出来上がったものを眺めるに、必ずといっていいほど、傾いていたり、ゆがんでいたりする。
それは、図面や作る手順等を無視し、ただ思いつきと情熱だけで制作するという、まだまだ子どもの工作の域を出ないレベルに由来しているのだろう。

しかしどう表現すればよいのか、これを作ろう!と思いつき、作り始めると、すべてを忘れ、その作業にのめりこんでしまう。(この部分をどうつなげるとうまくいくだろうか)などと考えるとき、あらゆる雑念・不安・悩み・欲望が消えうせ、全身全霊がかってに、その作業に注ぎ込まれる。
時間の経過?もう、時間なんて全くわからない。時間どころか、今自分が置かれている状況(今日中にすべき仕事やいまやらねばならない要件)は吹っ飛び、今目の前にある物(材料)に関わることのみが頭の中を忙しく、いや、とてつもないスピードで走り回る。
完成間近になると、私の制作欲はいよいよ頂点となる。いけいけ!ここだ、ここを磨け!
う、う、腰が!腰が!まあいい、もうちょっともうちょとだあ!!
腰や肩が痛くとも、気づけば変な体勢で2時間くらい作業に没頭していることはよくあることだ。
大阪で暮らしているとき、30代から50代にかけて、結構な数のへんてこりんなものを作った。
折々帳№105で紹介したテレビ台もそうだ。

これは一種の病気なのだろう。何かを作ろうと考え出すと、そのことがいつも頭の周りにちらつき、飛び回っている。大巨人のもじゃもじゃ頭に巣をつくった小鳥が、その巨人の頭の周りを、付かず離れず飛び回っているあのシーンみたいな感じで。
その作り方がわかり、あるいはいいアイデアが生まれるのは、決まって朝方のベッドの中だ。
ひどいときは、朝3時ごろより目覚めて、眠れない時もある。
ママはそんな様子を見て、「病気やわ」という。
確かに、病気の一種かもしれない。
体は疲れ、寝不足にはなっても、心にはとても良い病気だ。
何せ、楽しくてたまらないのだから。

近頃の作品を紹介しよう。
その①
パン屋の商品を並べるカウンターの仕切りが邪魔で仕方なかった。
パンも見づらいし、パンを入れる籠もうまく入りにくい(サイズがおさまりにくい)。
あ、そうか!だったら、取ればいいじゃないか!そのことに気付いた。

仕切りをとって(右上の写真)、とてもスッキリ。
さらに、大小様々の籠にパンを入れて並べるのは、手間からいって、結構大変。
紙もはさみで切ったりして、時間もかかる。だったら、カウンター全体に広がる広いパンの
受け皿的なものを作ろうと思い立った。
グッディーで材料を買ってきて、日曜大工。

これにパンを並べるとどうなるのだろう。わくわくする。

その②
パン屋を始めた5年前、オープンカフェはとてもっきれいな芝生が広がり、目の覚めるような美しいスペースだった。

それが、2年ほど前から、モグラの野郎が、いっぱい穴ぼこをつくり、地面をもりあげる。
右上の写真の黒い斑点のように見えるのは、モグラが盛り上げた地面。
何とかならないものかと、いろいろ考えた結果、モグラ退治は難しいとのことで、モグラが顔をあげられないように、上から石を敷こうと考えた。
塚原の人形館「いま」のオーナーに以前話を伺った、宇佐開発という会社が持っている鉱山みたいなところで分けてもらえる、てっぺい石(平たい石)を使おうと思い立つ。
軽トラで、宇佐開発へ。山に落ちているてっぺい石を500キログラム軽トラに積んで持ち帰る。

石を敷くためのスペースを軽く掘り(左写真)、石を敷いてセメントで周りをかため、目地には固まる砂(ホームセンターでうっているやつ)を入れる。
椅子やテーブルも白くペンキで塗りかえる予定。

春がやってきた。オニパンもお店のメンテナンスを終えて、春を迎えたいところだ。