開店10年!やっとたどり着けた現時点がオニパンの方向性を確定したスタート地点。これからはゆっくり進みたいと思います・・・。。

 目の覚めるような青空。果てしない宇宙が太陽光の青一色で描かれた涌蓋山の頂上。体調が今一つの状況の中で、私を心配して結構無理目で誘われて登った。ママにすれば、体調を心配しての(運動不足)配慮。私にすれば、ゆっくりしたいところだったが、登ってみると、不思議なもので、元気がよみがえってきた。ひと月ほど前の話だ。

 私は、4度目の涌蓋山で以前した「頂上ごろり」をやってみた。もう5年以上前のことかな。この折々帳でも書いたことを覚えている。涌蓋山に初めて登ったのが、高校2年生の3学期。50年近く前に見た景色もそんなに変わらなかっただろうな。あの日も晴れていたし。ほぼ50年後、同じ場所で、パン屋になった自分が同じ青空を見上げているとは想像すらできなかった。今年は30年に一度と言われるほどのミヤマキリシマの美しさだとか。見ごろを過ぎたその日でさえ、三俣山や久住山の扇ケ鼻の頂上付近が遠目で見てさえ、ピンクに染まっていた。

 以前からあるその景色が、同じように美しいものだったとしても、眺める自分は、50年前とは30年前とはそして5年前とは違う。以前には気が付かなかったことも気が付きそしてより繊細に見えるようになってきている。生きるということはそんなことなのだろう。自分のまわりの、あるいは自分の中の今までは気が付かなかったことがよりよく見えだし、愛おしいほどにかわいく、反吐が出るほどに醜く感じてしまう。年を取るほどに、生きてきたその人の人生観や価値観によって、その違いも大きくなってくるのだろう。

ちょっとしんみりとした出だしになった。そうだよなあ、パン屋をやりだした10年前とは違う。とくに、帯状疱疹の顔面しびれがまだ取れない状態の中では、若々しい気分にはなれない。けれど、年相応の若々しい気持ちは大事にせねばね。10年まえと同じような、行動はできないが、その分知恵を生かして(少ない分量のそれではあるが)ゆっくりと息長くね。

9周年の時、オニパンの目指すべき方向等確認し、この一年それなりに努力を積み重ねてきた。「木屋かみの」さんにお願いして作っていただいた室内用の看板(コンセプトボード)やワタナベデザインさんへの依頼で改訂したリーフレットにキホンが掲載されている。

オニパンの手法は「自家製・手づくり」。原材料のキホンは「国産小麦と天然酵母」ということだ。そしてパンの目指すべき方向性は「おいしい」ということ。

安心・安全は目指すべきこととして打ち出すよりも、食べ物として当然のことであり、手法と原材料のキホンからすればそこに落ち着くということだ。安心・安全を謳えば、味は二の次でも良いというものでもなく、天然酵母だから許されるというものでもない。

 

9周年から10周年の一年間で最も大きな変化・進歩の一つは、国産小麦(銀河のちから)の自家栽培だといえる。パン小麦がオニパンの畑でできたということは、たとえようのない喜びだったし、国産小麦を中心とするパン製造へのパワーともなった。大変割高な小麦づくり(特に製粉料)となったが、できたパンの質の高さには驚かされたし、今後への期待を高めるものとなった。

 

降り続く長雨に打たれっぱなしの銀河のちから。ことしの小麦づくりは、いろいろと困難を極めた。特にひどかったのは、雑草。初期手当てがいい加減だったので、気が付いたときは手遅れ状況。昨年より作付けは増やしたのに収穫は半分以下。それでも、収穫にまでたどり着けたのは、地主の園田さん宅一家のおかげ。今年は、息子の直彦さんがとても大変な状況の小麦を彼の技術で一部分でも刈ることができた。なんといっていいか…感謝の極みだ。

今一つの変化・進歩は、自家製酵母づくり。この10年自家製酵母(オニ酵母)の研究をやってきた。これは、そんな大したものではなく、単なる試行錯誤の繰り返しで、全く非科学的な実験。それを救ってくれたのは、たまたま知り合った、福岡のベーカリーアドバイザーの荒巻氏だった。彼は、あの酒種あんぱんを輩出した「銀座木村屋」の主任研究員だった田村先生の弟子でもある。そんな彼が、うちの酵母やパンを東京まで持っていって、アドバイスを田村先生からいただいた。そんなこともあり、オニ酵母研究は「目からうろこ的な」前進。

自家製小麦と自家製酵母、そして自家製あんこと自家製桜の塩漬けをつかった純度の高い「自家製桜あんぱん」を10周年記念品としてお客様に提供した。10年目の到達点としてふさわしいかな。

さらにこの一年間の突出事項として付け加えておきたいことがある。これは、今後のオニパンにとって大切な方向性の一つになるかもしれない(いや、そうなるべきだと思う)。それは、オニパン以外の傑出した材料、具材を使ったコラボ製造の方向性。最近の人気商品となった「ホイコーロお焼き」や「タネカレーパン」。このどちらを取ってみても、完成度は高い。お客様の評価は相当なものだ。コラボ製造は今まで考え付かなかったが、これはぜひとも探り続けていかねばならない方向性だといえる。

 

オニパンの10年の到達点は、まとめながら、結構盛りだくさんで内容も濃いなあと我ながら思った。方向性としては、この基本を今後も大切にしていくつもりだ。ただ、これからは、11周年とか15周年とか20周年なんてしない。ゆっくり、細々とでも続けられたら良いと考える。10年目にしてスタート地点につけるというのは、どの職種も同じだと思っている。やっとパン屋のスタート地点に立った。まだできていない技術的な課題は多い!情けない!

10年後のあるべき姿を想像して今を生きるが私の20歳からの考え方だったが、今から10年後は決して華々しいものではなく、ひっそりと穏やかな、それでいて多くの方の心の片隅にあるようなそんなパン屋カフェ。後期高齢者に入る時期に、どれだけの労働ができるのか。誰か後を継いでもらうほど、儲かる仕事でもないし・・・。今願うのは、労働時間の短縮、長期の休み、先を心配しなくて済む売り上げ増・・・。労働者の願うことはいつの世も同じかな。それにしても、この格差社会問題多いよな。