修正 冷蔵ショーケース

みなさん感じているだろう世の中の不穏な状況。平和な日本でこんなことが起きるなんてと。しかし、私は今の日本、決して平和だと思っていない。多くの自死、貧困死、社会制度不備(セーフティネット不備)による死・・・。近年とみに増えてきた、社会に対する復讐的な巻き添え死。今回の阿倍元首相の事件もそれに近いのでは。

考えてみれば、この10年、世の中は本当にすさんできたように感じる。苦しい生活、働き方、余裕の無さ、夢の無さ。これは長く生きているとよくわかるものだ。10代、20代には分からない。多分30代、40代にも分からない。60代以上にはよく見える。政権は年々良くなってきているかのような演説で信じ込ませる。そんなお話は上手だ、データーまで改ざんして。

確実に悪くなってきた世の中。これだけ、ものが豊かになり、科学技術が進歩してきたにもかかわらず、なぜ人間の生活はゆとりなく貧しくなってきたのか。この事実から目を背けてはいけないと思う。

80年代の松田聖子ちゃんの歌を聴いていて、当時のことを思い出す。大変だったけど、前向きにいろいろと頑張ってた。周りの人間もそうだった。明るかったなあ。

70年代はもっと良かった。中学校出でも、真面目に働けば家が持てた。いつも正論で生きようとしてたし、それが通じた。私の大学の授業料は一年間で12000円だった。舟木一夫の「君たちがいて僕がいた」「学園広場」の歌詞が(これは60年代初頭だけれど)世の中の清純さを繁栄していた。♫~「心の悩みを打ち明け合って、眺めた遙かな山や海。言葉はつきても、去りかねた。そんなときにはいつの日もあ~あ。君たちがいて僕がいた。」♫。全ての歌詞が空で、今でも口に出る。小学校の6年生の時、加山雄三の「お嫁においで」を聴いて、ワクワクしていた。自分にはどんなお嫁さんが来るのだろう。早熟だった。そんな場面も思い出される。もちろん、悩みは抱えていたが。それは誰にでもある個人的な悩み。家のこととか。しかし、そんな中でも、世の中は人々を励ます明るさを持っていた。それは、未来への夢と可能性。

今の世の中、人間を大切にしていない!それに対する自分の意思表示方法として選挙がある。基本、それが一番大事なこと。だと思う。

真面目な文章になった。でも、近頃、良くそんなことを考える。戦前の日本へ、現在の中国へ、みたいな。たとえは悪いかもしれないが、私は本音でそんなことを考えている。私が青春時代を送ったあの70年代があまりに美しく輝いて見える。若い人たちがそんな経験も出来ず、自死や巻き添え死を考えるまでに追い詰められている現在をみると、苦しくなる。政治家よなんとかしてくれ。そして私たちももっと社会を見つめなければ。人生は一度きり。死に様は生き様に通じる。幸せな死に方がしたい。意味のある生き方がしたい。

と言うことで、昨日アップした冷蔵ショーケース、ママの一声で修正。

よく分からないでしょうが、蓋の部分の厚さを2倍にして、中にサンドがゆっくりと入れるようにしました。昨日のだと押されて潰れそうになっていた。お客様が、すごいねえ、手作りでと褒めてくれる。しかし私の仕事は本当にいい加減。横から見れば・・・

こんな風に寸足らずで、隙間があるとか。