ジョーさん、さようなら

塚原にはなぜか外国関係の方が暮らしている。きっと、塚原高原の景観や空気、広々とした住環境が気に入るのか、母国に似ているのか。今はいないが、長く塚原で暮らしていた「木こりのジョー」という方がいた。とても明るく、強い体、仕事熱心。ミュージシャンでもあったようだ。アラスカ出身だと聞いている。佐賀関に住んでいて、時々塚原にやってきては薪の世話や肥料を運んだりしてくれていた。私もジョーに頼んで3トントラック一杯の薪をわけてもらった。

今年はジョーのおかげで、ストーブの薪に困らない。早く気付けば良かったのだ。

3日前に「由布の水」の由川さんのところに寄ったとき、彼の携帯に電話がかかってきた。それは、ジョーさんが木の伐採中に、トラックが倒れその下敷きになって亡くなったとの内容。え~!!あまりに突然の訃報にショックを受けた。死とは最も縁遠いような、いつも明るくジョークを飛ばし、何でもやってのけるたくましい人だったから。私自身はそれほど深い関係でなかったが、塚原の有名なアスキューさん(APU教授、農民)や由川さんらにしては、親しい友人だったので、大変な衝撃だったことだろう。

そして、昨日、葬儀に列席した。とても多くの参列者。由川さんの話ではお通夜はもっと多かったそうだ。ジョーさんは、いつも山に行ったり、いろんな作業をする人で、会社の役員や地域の役職、政治的な肩書きなど一切無縁な陽気なおじさんのような人。しかしとても多くの人と交流があったのだとわかった。

そして、さらに驚いたこと、それは・・・多くの人が泣いていたこと。私もその様子を見ていて、辛く悲しくなってきた。本当に多くの人に慕われていたんだなあ。

奥さんは20歳年下の日本人。初めてお会いした。お別れの車の前でのあいさつ。話ながら、感極まり、涙ながらのお話し。その時には日本語から英語に変わっていた。途絶えながら早口でジョーとこれからも生きていくとお話ししていた。

あ~、人生っていつ何が起きるかわからないなあ。ジョーは若く見えたが68歳。私は72歳。生かしてもらってありがとうと言いたい。残された奥さんのことを思うとさびしく、悲しい。

そして昨夜か今朝か夢を見た。息子の至がまだ5~6歳か。一緒に街へ買い物に。何か手間取って、うまく自転車に乗れないような。荷物がジャマしてか。そこに上の方から、ママが叫んでいる。あなた何やってんのよ~みたいな。若くてかわいいママだった。あ~そういえばいろんなことが人生の中で起きていたっけ。そしてここまで来たんだなあ。