ソノダしあわせ農園作業記録 堆肥まき 10月18日 №170

kimg0266-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc鉄柵張りの次は、畑の準備。今回は、若者はいず、高齢者ばかり4人で。2トントラック2杯の牛糞を約2反の畑にまきました。1反は300坪約1000㎡。これはつらい。軽トラにスコップで牛糞を積む——この作業が・・・腰にくる~。これは若くないとできない作業だと認識。小さなパワーショベルみたいな重機がほし~い!4人がへとへとに。

kimg0265-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bckimg0268-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bckimg0270-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bcこんな感じでもくもくと。2000平方メートルは広いね~!!😭

kimg0271休憩のお菓子がおいしく感じましたねえ。kimg0274-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 

kimg0277牛糞をまき終え、次に石灰をまきました。そして最後に化学肥料もまきました。とりあえず今日はここまで。やく4時間の作業。腰は大丈夫かな。

SONODA HAPPY FARM(ソノダしあわせ農園)作業記録 鉄柵づくり 9/21 №169

kimg01331ソノダハッピーファームの作業記録を今後ここに記していこうと思います。昨年よりスタートしたしあわせ農園ですが、結果として不幸せな結果におちいりました。農作物がほぼ全滅。かろうじて収穫できたのは、ママが植えていたジャガイモと玉ねぎだけ。それも小ぶりではありますが。なぜそううなったのか、一番の原因はシカ。小ぶりなのは、土ができていないことも。その他マルチが塚原高原の強風に飛ばされた等々。それで、今年は、畑全体を高さ2メートルの鉄柵で囲うことにしました。畑を囲うとなれば全部で300メートル、鉄柵の数は150枚になります。それと支える支柱の鉄筋も。農業認定者になっている私なので、市からの補助が三分の二いただけることになり、助かりました。

しかし、大量の鉄柵は購入したものの、問題はそれを設置する作業。しあわせ農園の中心メンバーは、すべて高齢者。私が一番若く62歳。ママも年上(というと怒るが、「学年は同じ」)。そこで助けを求めたのが、昨年もたびたびお世話になった湯布院の原っぱカフェさん。ウーハーという研修生がいらして、その人たちの農業体験という名目でお手伝いをお願いしました。女子大生5名がお手伝いに。男手は、原っぱの浦田リュウちゃん、そしてAPUのアスキュー教授。浦田さんは、原っぱのオーナーで、心優しき方。アスキュー先生は塚原高原在住のベジタリアン。自分で広大な畑を耕作していて、大学の法学や哲学の専門家だけではなく、農業についても専門家なのです。今回はアスキュー先生に大変お世話になりました。

kimg01381

 

 

 

 

 

 

女子大生は、畑に入るのは初めての人ばかり。テキパキと作業してくれました。軽トラで畑を横切り、鉄柵を積みに行くときには、大はしゃぎ。畑の畝で軽トラが大きく揺れ、まるで遊園地のスリルある乗り物状態に。キャ~とか言って、楽しそうでした。kimg01251

大活躍してくれたアスキュー先生。鉄柵の支柱は2メートル30センチあります。それを打ち込むわけですが、一回一回脚立に乗って、上からハンマーで打ち込むなんて、大変な時間と労力がかかるわけで。私もそれが一番大変だと思っていました。しかし、それを解決する凄い道具をもってアスキュー先生が登場。知り合いの農家の方が自作で作った「支柱打ち込みハンドル」(私が勝手に作った呼び名)を使い、数秒で支柱を打ち込んでいきます。

kimg01211

凄いの一言。

kimg01401kimg01531kimg01541

二日はかかるだろうと思っていた鉄柵張りは、半日で終了。

kimg02761kimg0148  今年こそは、小麦をはじめ豊かな実りになることを願っています。皆さんありがとうございました。

看板猫リー №168 その二

img_0306リーは僅か3年足らずの生涯を、本当に楽しく色濃く意味あるものとして生き抜きました。狩りをし、人間と楽しく交流し、恋をし、存在を認められ、充実という言葉がぴったりの人生を歩みました。リーがいなくなって、写真を観たり、その行動を振り返るとき、ますますその思いが強まってきます。

リーは「看板猫」となりました。ネズミ捕りの仕事を依頼されてオニパンにやって来たのに、生来の「人好き」「フレンドリー」な性格が、リーを自然とお店の玄関先に向かわせました。来られるお客様への接待に、お客様は癒されます。「リーちゃんかわいい!」「リーちゃんまたね!」そして次回は、「リーちゃんいる」とお客様。「招き猫」そのものです。リー自身もそれがうれしくて、ママの「リー、おいで~」の呼び声に、どこからともなく駆け寄ってくるのです。「すごい!!」とお客様。

リーは、親ばかではないですが、とてもきれいな猫でした。毛が柔らかくきれいで、触ると気持ち良い長毛。しっぽが見事で、小顔。スタイルが良い猫でした。それが、看板猫としても、映える原因でした。親ばかではないですが、リーが何気なくたたずむ姿を見て、つい写真を撮りたくなるのです。猫を飼ってる人は、たぶんみんな同じ気持ちなんでしょうが。猫を飼いだして、猫を飼っている人の親ばかな気持ちがわかってきました。それでも、リーは、特にきれいだと思っています。

dscn3094dscn4068どうですか、見事でしょう。写真が訴えてきますよね。そのリーの美しさが証明される出来事があったのです。リーが一歳から二歳にかけて、二度も写真家が撮影に訪れたのです。その写真家は、リーをどうしても撮りたい、展覧会に出したい、と頭を下げるのです。私たち親としては、リーの美しさをプロが認めたのだと、有頂天に。リーの短い生涯で、最も輝いていたころのワンショットをお見せします。(写真家からいただいた作品)

img019img018どうですか、野良出身に見えない、美しさでしょう。

リーの調子が急変するのは、9月8日(木)です。食べられず、ぐったりと一日中寝たきりのような状態で過ごします。大変だと動物病院へ行き、注射を3本し、様子を見ました。さらに翌日注射を3本。状況は改善されず、このままでは2~3日の命だと判断。私たちも、覚悟を決めるしかないと、決意します。最後にリーの生涯について、触れておかなければならない二つのことを記します。

サリー姉ちゃんのこと

リーは、人好きな猫でした。しかし交流は人だけではありませんでした。リーは一年位前より、近所の(といっても、森を越えた向こう側のお家の)生山さんとこのサリーというお姉さん猫が大好きになったようです。サリーはおとなしい猫であり、リーもまた穏やかな猫でした。毎日のように、サリーのお家へ行っているようでした。リーは去勢していて、サリーのもとへ行っても、ただ一緒に座っているだけの関係。しかしリーにとっては一番幸せなひと時だったと思います。そう思ったのは、最近になって(リーが亡くなってから特に)生山さんが送っていただいた写真などから、確信を深めました。

o0675090013514102683 o0800060013302448792 o0800060013629650706生山さんは、サリーとリーの楽しそうなふれあいの一コマをカメラに収めてくれてました。リーがいなくなって初めて見るリーの姿に、瞼が熱くなります。黙っていても、リーの声が聞こえてきそうです。生山さんは、リーが亡くなって、わざわざリーのためにブログを書いてくれました。その中に出てくるサリーとリーの写真がこれです。

%e4%ba%8c%e4%ba%ba%ef%bc%92 %e4%ba%8c%e4%ba%ba%ef%bc%93 %e4%ba%8c%e4%ba%ba%ef%bc%94こんな風に一定の距離を取っていつも二人は座っていたのでしょう。でもそれだけでもリーにとっては満足のひと時だったでしょう。

こんなに大好きな、サリー姉ちゃんに、リーは2か月ほど会いに行きませんでした。生山さんがパンを買いに来るたびに報告してくれるのです。「ず~とリーちゃん来てないですよ。」それには理由がありました。サリーとお付き合いしたい猫が他にも現れたからです。クロという猫です。クロはとてもタフで強い(体はりーより小さいのですが)猫です。我が家にもたびたび現れ、リーとけんかもしました。リーはクロにかなわず、クロを怖がるようになりました。クロはオニパンの敷地もテリトリーに加え、リーはオニパンの敷地内でもひっそりと行動するようになりました。以前のような、我が物顔のリーの姿(自分が大将みたいな)がまったく見られません。状況が急変する9月8日の一月以上前より、なんとなく元気がない様子でしたが、それが病気だったのか、サリーと会えなくなったからかははっきりしませんが。

症状が急変する9月8日。その前日のことです。目の覚めるようなリーの変化が。それは、オニパンの休みの日、水曜日。9時ごろ、ママがコーちゃんを連れて散歩に行き、お店の前を通って帰って来た時の事です。朝から、リーが見当たりません。ここのところ元気なく一日中、家で寝ていたのに。どうしたのかなあと思いながら、お店の中で仕事をしていると、お店の玄関の網戸越しにママとコーちゃんの姿。私がお店の網戸を開けると同時に、コーちゃんの後をリーが追いかけてきました。それも、何と元気のよい足取り!お~、元気な足取りだあ!!弾んでいるような姿!!ちょっと信じられない光景でした。リーは元気を取り戻したなあ。とてもうれしく思った朝でした。

その不思議な光景の謎は、後になって解かれていきます。生山さんがリーの訃報を知ってお店にやって来たとき、こんなことを仰いました。「リー君、最近珍しく我が家にやって来たよ。2か月ぶりに。」そして、サリーと車の上に乗って、一緒に座っていたよ、と・・・・・。それも、なんと、その時のシーンをカメラに収めていた・・・・・。

%e3%82%8a%e3%83%bc%e3%81%a8%e3%82%b5%e3%83%aa%e3%83%bc %e3%83%aa%e3%83%bc%e3%81%a8%e3%82%b5%e3%83%aa%e3%83%bc%e2%91%a1私は、この写真を涙なしでは見られませんでした。2枚目のように、リーはここのところ、いつもしんどそうに眼をつぶっている。しかし、サリーを見つめるリーの目、ちょっと力はないですが、しっかりしています。クロの恐怖を乗り越えて、しんどい中でサリーを一目見たかったのでしょう。

看板猫としての生きがい

dscn4315(この写真は、9月11日(日)まだ少しは声が出せる頃のものです。)

リーは2度ほど病院へ行きましたが、症状が改善されず、私たちもどうしたものかと迷っていました。娘の勧めもあり、病院を変えて、入院させることにしました。一日入院して、丁寧に対応していただいたものの、状況は改善されず、病院の方もこれ以上の入院を勧めませんでした。私たちは、お家で対応しようと9月15日(木)の夜遅くリーを病院から引き取りました。

退院した翌日、リーの最後が近いと感じ、本人も家の外へ出たいようなので、好きだったマキ小屋の棚などに寝かせました。ほとんど寝たきりで動けないようなのに、気が付くと違う場所へ移動しています。kimg00681kimg00711

そこは、リーが今までお気に入りの場所だったところでした。猫は死ぬとき、人の前から姿を消すといわれています。それは、人に死に目を見せたくないということではなく、きっと飼い主も知らなかったその猫の好きな場所へ行こうとする行動からではないかと思います。リーを見ていて、それがはっきりしてきました。オニパンの前の資材置き場の薪の上だったり、我が家の車の下だったり。リーが好んで居た場所に移動しようとします。そして、驚いたことに10時前、オニパン開店の前にリーは、お店の方へやってくるではありませんか。

kimg00801 kimg00791

ちょっと歩いては、へたーと寝たような状況で進んできます。そして、お店の前までやってきました。リーは、その場所から大好きなバモス(商売用の車)の間を移動し、そしてまたお店の前に戻り、午後2時ごろ息を引き取ります。ママはたびたびリーの様子を見ていましたが、すぐに異変に気付きました。kimg00851

リーが死に場所に選んだのは、お店の前でした。リーは、自分をかわいがってくれたお客様のことや人との触れ合いが楽しくて仕方がなかったのでしょう。リーが亡くなったすぐ後、涙ぐみながらママがこう言いました。「リーは生涯現役だった。」

看板猫としてリーは幸せな生涯を過ごせた。リー君は私たちに多くのものを残して逝ってくれました。ありがとうリー。

kimg00971

 

 

 

 

 

 

 

看板猫リー №167 その一

リーがオニパンにやって来たのは、たしか2013年の11月。生まれて2か月くらいでした。目はブルー、白い長毛で立派なしっぽを持つ美人の猫でした。カスタードの卵を仕入れている湯布院の河野養鶏さんの畑に住み着いていた地域猫の中から、おっちゃんがつまみ上げた特薦の子。はかなく弱々しい白い子猫を見て、「リリー」と名付けました。白百合のイメージそのものでしたから。

dscn1712

 

特に猫が飼いたかったわけではありません。当時、オニパンはネズミの被害を被り、立ち行かない状況に瀕していました。工房の食材は食べられ、壁には穴をあけられ、壁の中の配線は何か所も切断され、人の目も気にしないほど棚や床に現れる始末。自宅の寝室の天井裏も多くのネズミが運動会を繰り広げていました。様々罠をしかけ、たくさん捕ったものの焼け石に水。ねずみはさらに増えているような状況でした。コーちゃんがいるので、猫と犬が共存できるか心配ではありましたが、そんなことを言っている場合ではありませんでした。もう猫に頼るしか道は残されていませんでした。

猫についての知識もなく、どうせ野良だからそんなに世話もしなくていいだろう、そんないい加減な気持ちで飼ったリリーでした。

3月に入ってリリーも少し大きくなり、オニパンでの暮らしも落ち着いたころに、大きな猫に襲われケガをします。まったく食事もとれず、死にそうな様子です。動物病院に行って手当をしてもらいました。そのとき私たちもやっと子の親になれたような気がしました。一緒に暮らす中で、野良と言えどなんと感情が豊かなのか、そのしぐさのかわいらしさ、犬にない猫の魅力が徐々にわかってきていました。「どうせ野良だから」みたいな半端な気分で飼いだした気分もすっかり変わり、ひどいケガに心配して初めてやって来た動物病院。そこで先生から聞いた言葉にショックを受けました。

リリーは猫白血病だということ。生きて一年でしょう。そして、この子はオスです。

リリーは、手当の甲斐もあり、元気を取り戻しました。白血病のキャリアではあっても、それを克服して、何年も生きる猫がいるとの言葉を励みに、「これからのリリーとの暮らしを大切にしよう」とママと話しました。そして、美人薄命のリリー改め、強くたくましい「リー」と改名。ブルース・リーって強かったもの。

リーは野良出身ということもあってか、外での活動が大好きでした。水は決してきれいなものは飲まない。わざわざ、外の雨水や家の中でも植木鉢の受け皿にたまった水しか飲みませんでした。そして狩りが大好き。

dscn3753 dscn2685dscn3466dscn2541バッタ、コオロギなどの虫から始まって、カエル、トカゲそしてモグラ、ネズミ、小鳥。極めつけは、自分より少し小さい雉の若鳥も。狩りをして私たちに獲物を見せるときのリー君の自信に満ちた表情。リーは、どんどんたくましく育っていきました。

リーの個性として特筆すべきこと、それはフレンドリーでありコミュニケーションを求めるということです。猫らしくない猫。犬のような猫かな。ニャーと鳴かない。「うにぃほにゃむ~」何か言いながら帰ってきます。聞き取れない、聞いたことのない猫語でしゃべるときが多いのです。ご近所の生山さんのお家に遊びに行くことがしばしばでしたが、その生山さんは「リー君は、わけのわからない話をするので、ニャ~と鳴き方を教えてる」とおっしゃっていました。リーは、そんな風にお話しをするのです。誰に対しても近づいて、ベタベタとします。知らない人の膝の上に乗ったりもします。呼べば、走ってやってきます。オニパンにくるお客様は、とても喜んで、どんどんリーのファンが増えていきました。「リー君居てる?」とパンよりもリーを目当てにくるお客様もちらほら。そんな噂を聞きつけて、ついに猫雑誌の全国紙にデビューしました。

img014-2記者さんは、「たくさんの猫を取材してきたけれど、リー君ほどフレンドリーな猫は珍しい」と、褒めてくださいました。記事の文を見てますと、「ルックスも性格も良い猫店長ががおもてなし」とか「日本で最も美しい村の、最もフレンドリーな看板猫がこちらになります」とあります。リーは最大級の褒め言葉をいただいたなあと思います。そのフレンドリーさは人間に対してだけではありませんでした。友だちを求めて、コリーのコウスケにも、ベタベタの付き合いをします。dscn2347 dscn2358散歩するときも、コースケにまとわりつき、足の間に入り込みます。コースケはリーの頭をなめまわします。それも平気。頭はベタベタ。コースケを信頼しきっているのです。いつも平和的で友だちを求めるリー君なのです。

つづく・・・・・・

 

パン屋の夏休み~パン屋での研修 №166

DSCN4177[1]待ちに待った夏休み。今年は山行きをやめて、パン屋へ行くことに。62にもなってパン屋での修行はないだろうってか。いえいえ、いくつになっても、完成はないんだから学びは大切。特に私のようにスタートが遅いものは、まだまだ見えてないことばかり。前職の経験から言えば、10年過ぎてやっと全体が見えてきて、独自の実践は20年を過ぎたころから。だからパン屋として本物になれるのは、たぶん70を超えてからだろう。今は修行修行。

晴れた空~そよぐ風~♪ みたいな車窓の景色。実際の気分はまるで逆。間に合わない!フェリーの時間にィ~(;´・ω・)💦 目指すは国東の竹田津港。9時40分発徳山行き。修行先パン屋は、出雲大社参道にあるブーランジェリー・ミケ。陸路だけではなく、海路も使うと楽になるだろうと、一気に大分から山口へのワープを考えた。早起きして、ゆっくりコーヒーを飲んで、出発したが、ことのほか竹田津までの時間がかかってしまった。前もって下調べしてなかった。大分空港の近くだと思い込んでいた。小さな地図で見ると、国東半島って一時間くらいで周ってしまえると思い込んでいた。一時間半あれば家から竹田津まで十分行けると・・・・。

今まで、ずいぶんひやひやする場面に遭遇してきた。目的地まで間に合わないぜ~みたいな種の。しかし、運がいいのか、いつもぎりぎりで間に合ってきた。今回は、こんなに早く出たので、いつもみたいな冷や冷やすることもないなと、自らの成長を味わいながら、美しい海岸線を軽快に飛ばした。塚原から別府に出るとき、すでに私の方向音痴が頭をもたげていた。ちょっとまてよ、竹田津って大分空港の方だから別府より日出の方向へ出ないといけないんだよな。すると、いつも行ってる別府店への道を通ると遠くなってしまうよな。・・・・💦。もうこれ以上は書かない。大分にお住いの方がこの文章を読まれたら、なんちゅうことをいっちょんのと思われるから。塚原から別府に出た時点で、フェリー出発までの残り時間は50分くらいだった。

DSCN4181[1] DSCN4182[1]

海岸線って長いんよね。きれいで、気持ちい~。飛ばしても飛ばしても竹田津は現れなかった。もしかしたら、だめになるんじゃないか。どうしよう。当日キャンセルってお金が戻って来ないんだっけ。12000円(-_-;)。払ってないけど、竹田津まで行って、ごまかさずに、12000円はらわなくっちゃな。う~辛い~。そして、陸路で出雲大社へ行くかあ~。疲れ切って夜中につくよなあ。10時ごろついて、翌日朝4時にはお店に行くのか。体持つのかなあ~~。散々だなあ~~。しかし、自業自得、自分が蒔いた種は自分で刈り取るより仕方ない。

DSCN4198[1] DSCN4197[1] DSCN4199[1]到着したのは10時40分。船の跡形もなく、車両待ち合わせの場所には車一つなく。切符売り場に行って謝った。「すみません、遅れてしまって。」お金を払おうと思って、財布を手に取ったが係りの方は、逆に「次の便に乗っていただけますか」と低姿勢で言う。4時間後だが、陸路で行くこと思うと、疲れ方はずいぶん違うだろうと「乗ります」と答えた。お金も無駄にならないし(しかし、キャンセル料を取るような雰囲気は全く感じなかったので、遅れたりした場合取らないのかな)。気持ちは全く切り替わっていた。もう間に合わない、自業自得だと観念した時より、許される限りの楽しみ方をしないと、せっかくの夏休みがもったいないと考えだしていた。だから、この出発までの4時間を初めての国東観光にあてようと思った。

「あかねの湯」という温泉場に行った。ゆっくりお風呂につかり、お昼ご飯。DSCN4194[1] DSCN4196[1] DSCN4187[1]そして、鬼塚の古墳を見学。国東は「弥生の里」と言われるように、歴史は古い。そして広さを感じる。淡々と田舎の自然が続く。そして、14時40分。初めてのフェリー竹田津・徳山フェリーへ。

DSCN4206[1] DSCN4207[1]

生まれて初めての一番乗り。早いということは三文の徳か。こんな景色は、めったに拝むことができない。上々の夏休みだねえ。

徳山から高速へ。ナビがあるから安心だ。少し遅くなるが、ホテルまで案内してくれる。ちょっと古いナビだが大丈夫だろう。

山陽道を行ってると、ナビが突然「新しい進路が確認されました。そちらを選択しますか?」と聞いてきた。意味不明。まあいいか。ナビが判断することだから任せとこう。新しい進路を選択した。

出雲大社付近まで高速で行けるということだった。しかし、この新しい進路は高速から外れて、のんびりとした道を案内してくれる。車には九州の地図のみ。どこをどう行っているのか。ナビしか頼れるものはない。大きな川に沿って道が続く。カヌーの練習場になっている「江の川」だ。「えのかわ」と読んでいたが、「ごうのかわ」だった。後で調べてみて、自分の無知さを知る。「中国太郎」の別名を持つ中国地方最大の河川。そういえば小説であったような。その中国太郎とずいぶん時間をともにした。立派で、何度も立ち止まりその雄大な景色に見入った。DSCN4212[1] DSCN4211[1] DSCN4213[1] 184号線は良かった。江の川がずっと続いた。そこからナビは山の方へ連れて行ってくれた。三瓶山。「さんべさん」と読む。三瓶高原を通った。薄暮に広がる三瓶高原。塚原高原もよいが、それ以上に美しいと感じた。また訪れてみたい。

DSCN4255[1]来たよ!ブーランジェリー・ミケ!\(^_^)/ 昨日は9時の夕食を摂って、3時起床。4時前にやって来た。このミケの店主夫妻は私にとっては大の恩人でもある。9年前東京のあこ庵でパン修行を始めたとき、あこ庵のチーフをしていたのが奥様。24歳という若さで、8人ぐらいいた職人の頭だった。40を超えていた人もいた。しかも女性は一人。仕事が終わってのミーティングなどで、てきぱきと話を進め、問題点を指摘するなど、なぜそんな年でそこまでしっかりしているのか・・・。私のパン職人としての第一歩目で出会った衝撃の人。修業中のつらい思い出の中で、彼女と接することのできた2か月は、本当に救いだった。失敗に対して暖かく接してくれた。大粒の涙を流しながら玉ねぎをむく姿にプロの職人を感じた。重たい食パンのスライサーを一人で抱えて運ぶ姿。弱音を吐かない姿。文庫本を開いたまま、椅子に腰かけ眠る休憩時間の姿。私が入ったのが4月でチーフは6月に退社。寿退社とのこと。結婚準備かあ。相手の方はどんな人なんだろう。

ご主人もなんと東京で研修を受けた2軒目のパン屋さんのチーフだった。ずっと以前の「折々帳」で書いたことがある。ナチュラルプクーというお店だ。その当時彼は30歳くらいだったか。すでに貫禄が漂っていた。パン作りのすべてを任されていた。オーナーさんがパン職人ではなかったので、お店のすべてを彼が仕切ったいた。

私も9年目を迎えている。だから、9年前にパン屋で学んだ時とは比べものにならないくらい、自分の中でのパンやお店への理解の深度が違っている。理解が進むほどに、わからないことは鮮明になってくる。失敗を繰り返すほどに、失敗の本質が狭まれ明確になってくる。そんな状況になって初めて、あらたな体験があらたな示唆を促してくれ、問題を解決してくれる。経験とはそういうもので、だからキャリアは大切なのだと思う。

奥さんがフランスパンを成型するのを見て、な~んだあ!!!と感心した。そういうことだったのかあ。自分の中で9年近く問題になってきたことが、その一秒で解決した。目から鱗とはこういうことか。それにしても、さすが横尾チーフ(旧姓)。速い速い、テキパキ、指示も鋭い!変わらんなああ。

DSCN4244[1] DSCN4227[1]

宇佐美店長(ご主人)は、パンへのこだわりと博学さに卓越したものがる。粉についても、製造についてもその研究熱心さに驚かされる。製造に関して、日々変化するという。新しい発見から、方法を少しずつ変化させる。それがパン作りの楽しさでもある。材料はけちらない。おいしくなるために工夫をする。それを基本としているようだ。そしてそれほどお値段も高くない。安い。大丈夫なのか。お客様はたくさん来る。オニパンの2倍は来る。たいしたものだ。働いている方が夫妻二人を除いて、6人ほど(時間帯で変わる)いた。カフェをやってないので、販売は順次みんなで。だから、製造が多い。パンを焼く量はたぶんオニパンの3倍くらいか。メニューも80種だとか。オニパンの約2倍。すごい。

DSCN4232[1] DSCN4233[1] DSCN4234[1] DSCN4239[1] DSCN4235[1] DSCN4248[1]DSCN4254[1] DSCN4258[1] DSCN4257[1] DSCN4256[1]

出雲大社参道は広くきれいで、立派なお店がず~っと並んでいる。この写真は朝早くに撮ったので人の姿が見えないが、10時ごろにはたくさんの人々でにぎわっている。私は4時から1時ごろまで研修し、その後わずかでも出雲観光せねばと大社の方へ繰り出した。皆さん、朝ごはんも食べずに、休憩もなく働いていた(私もだけど)。私は疲れもあったのか、暑~い中大社方面へ歩いて行ったが、もう倒れそうで。

 

DSCN4266[1] DSCN4267[1] DSCN4268[1] DSCN4270[1] DSCN4269[1]

観光とは名ばかりで、とにかく大社でお詣りして、出雲そばと名物ぜんざいだけは食べないとと、頑張った。倒れそうで。

そして、預けていたパンを受け取ろうとミケ立ち寄った。暑い!!しんど~!!というと、奥さんは「日浦さん、ジンジャーエール飲んだら。すぐ作るから。」と準備してくれた。朝も一杯作ってくれて、そのおいしさを称賛していたからか。

DSCN4273[1]

生の生姜を使ってつくった手作りのもの。体の中から元気がカッと湧いてくる。生き返った!!

DSCN4271[1]

ミケの宇佐美夫妻、本当にありがとうございます。 DSCN4278[1]

 

 

 

DSCN4280[1]

 

 

 

黄昏のなか今宵の宿泊地山口へ。

ミケのパンが今夜の夕食。

充実した二日間の夏休みだった。