スズメバチほいほい №83

自然豊かな塚原生活で避けて通れないのが、野生動物や生き物たちとの共存。共存といっても、私たち人間を襲ってくる者に対しては、こちらも対決姿勢で向かうしかない。昨年10月ごろ、二度スズメバチが私を攻撃してきた。きっと、スズメバチの巣が倒木か土中にあり、その近くでのんきに日曜大工をしていたのが原因だと思う。「ブ~ン」と低い音で私の周りを旋回していたかと思うと、「カチカチ」という音が聞こえ、その後大きな音を立てて、私の頭をめがけて飛んできた。私は「やられる!」と本能が感じ取ったのか、頭を低くし、一目散にその場を走り逃れた。こういうことが2度あり、「スズメバチとは、ちょっと共存は無理だな」と思い至った。一昨年は、ミニログの軒に、スズメバチが巣をつくった。この時は、お泊りの宿でもあるログにスズメバチの巣はないだろうと、意を決し、退治した。

完全防備のスタイルで、殺虫剤を巣に吹き付ける私。たまたま、家に戻ってきていた、娘が、私の奮闘をカメラに収めてくれた。ちょっと、笑いを誘うフォトだ。しかし本人は、必死なのだ。

昨年の二度の「襲撃」に、恐怖を感じ、また同じことが起きるといやだなと思いつつ、また今年のシーズンを迎えた。スズメバチが攻撃的になるのは9月から10月のようだ。

8月、近所に住むIさんがいいことを教えてくれた。「ネットに、スズメバチ退治の方法が載ってるよ。」その方法で、Iさんはスズメバチを何匹か捕まえたとのこと。その方法とは、2リットルほどのペットボトルの腹に虫が入り込める口をカッターで作り、中にお酒や巣を混ぜたものを入れるというもの。

早速、製作に取り掛かった。簡単簡単!中に入れたのは、①バルサミコ酢 ②お酒 ③ワイン ④酢⑤はちみつ まあ適当、適当。(後で知ったが、バルサミコ酢は、小蠅をとるのにいいとか)これでほんまにスズメバチが来てくれるのか?

こんな感じで木につるした。
一日目は、何にも入ってくれなかった。
二日目、ペットボトルの中をのぞくと、蠅が何匹か入っていた。
「なんだ、蠅がとれるのか。」
三日目、さらに蠅がたくさん入っていた。
「こりゃ、スズメバチほいほい、というより、ハエ取りほいほいだな。」
しかし、休日の朝食は、今まで悩まされていた蠅が食事によってくる現象がなくなった。
「へ~、こりゃ、すごいなあ、快適じゃあないか!」


休日はデッキで、由布岳を眺めながらのブランチ。リゾート気分を味わっているというものの、少しうっとおしいのは美味しい食事に寄って来る蠅たち。
ところが、庭の木につるしたペットボトルに蠅が吸い寄せられ、テーブルの上には蠅がやってこないのには驚いた。快適なブランチとなる。

さて、ブランチは快適となったが、本来の目的はだめなのか。そう思って、一週間ほど過ぎた時、ななんとスズメバチが、ペットボトルの中で泳いでいるではないか。
それからというもの、毎日毎日、何度もペットボトルの中を見学に。すると、どんどんスズメバチが増えている。パンと一緒で、発酵の状態が進んでいるのかな。なんともいい香りが、辺りに漂っている。

ちょっと見えにくいだろうが、たくさんのスズメバチが入っている。二本つるしているが、合せて二〇匹以上捕まえたと思う。
今年は「襲撃」されずに、日曜大工ができそうだ。スズメバチには悪いが・・・・

塚原高原まつり №82

塚原高原まつりが27日(土)にあった。私は、実行委員として、6月より準備に関わってきた。主な担当は、「塚原高原こどもアート」。塚原在住の画家、桑野さんと狩野さんのお二人が指導し、子どもたちで大きなキャンバスに絵を描く企画だ。初め、テント生地を使って描こうと考えたが、水性ペンキの色ののりが悪く、結局分厚い布地に描くことにした。4メートル四方のキャンバスにするということで、そこは、ママがミシンで製作してくれた。
絵が大きくなると、色々と大変なことが出てくる。どこで、どのようにして描くか。描いた絵をどのようにして展示するか。集団での子どもたちに、どのように指導して描かせるか。お二人の画家さんたちも、指導法には、随分と考えご苦労されたようだ。私は、主に、キャンバスの用意や展示の方法について頭を悩ませた。展示方法は、布地の端に4メートルの洗濯竿を通せるワッカをつくるということにした。
今一つ、子どもの企画として、「草原宝探し」というものをした。宝を探しだした子どもに、景品としておもちゃや、遊び道具をプレゼントするという企画。そのために、おもちゃの買い物をしたり、大きな竹を切り倒し、立派な竹馬を5セットほど作った。

当日の祭りの日は晴天になったが「暑さ」「風」にも「恵まれ」、過酷な環境の下で企画が進行した。子どもアートは、10時よりスタート。私は、パンの製造でお店を離れることもできず、ただ心配しながら、会場の様子を想像していた。12時過ぎに電話が入った。桑野さんからだ。「日浦さん、アートは予定通り進むことができました。成功です!」
やったあ~!良かった!!初めて子どもたちを相手に絵を指導したお二人の気持ちは想像に余りある。良かった、良かったと私の心も弾む。さて、2時より、私の出番。仕事をほおって、会場へ駆けつける。
会場につくと、でっかい絵が、草原に寝かされていた。会場は、とても暑く、風も吹いていて、テントが一張り吹き飛ばされていた。絵は立てられる状況ではなく、宝さがしもゆっくりやっていられる状況でもない。取りあえず、子どもたちを集合させ、スタート。子どもたちはそれでも、喜んで一所懸命宝を探していた。
宝探しを終えて、一息ついたとき、一人の親が私に猛烈な勢いで、苦情・避難を浴びせかけてきた。「こんな、だらだらした企画は見たことがない。始まるまで30分も待たせて・・・。わざわざ大分から来て損をした。もう二度と来ない。責任者に言っといて!!」
私は、唖然として、「すみません。ご迷惑をかけて・・・。」と謝った。でも、渡した参加者用チラシに受付時間とゲームスタート時間を書いていて、私はその通りにやっているのに!勝手に勘違いしておいて、そんなクレームはないでしょ!と思った。さらに、その方は、あたった景品が気に入らないらしく、「別のものに換えて」と言ったりで、自己中としか思えない言動を繰り返す方だった。
う~、暑い!疲れる!!

それから、子どもたちにぶんぶんゴマづくりを指導した。親にも手伝ってもらった。これは、結構、うまくいって、喜んで、練習をしていた。こうして、一時間の企画を何とか終えることができた。

私は、急いでお店に帰り、仕込みと、夜の出店へのパンの出品の準備をした。ママは、5時半ころにパンを会場に搬入。オニパンは、結構な人気で、30分で売り切れてしまった。(ありがたいことです)

さて、会場のイベントで、私の期待していたものは、「塚原高原のスライドショー」。今回初めての企画だ。塚原高原の素晴らしさを、多くの方々に知っていただく企画。美しく、素敵な塚原の写真がスクリーンに映し出されていく。参加者たちは、静かに、見入っている。
塚原高原は、8月下旬、「日本で最も美しい村」に選定された。大分県では初めてのこと。私は、塚原に住みだして、「最も美しい」という実感を日々味わってきた。少しでも、その美しさを多くの人々に知ってほしい。

パン屋だけでも四苦八苦しているのに、(よくぞ祭りの実行委員をやったものだ)我ながら、自分をほめてやりたくなる。しかし、終わって良かった。肩がすーっと軽くなった。

子どもたち約30人で描いた由布岳と塚原高原。結構な迫力です。桑野さん、狩野さんお疲れ様、御苦労さまでした。

カスタード №81

パン職人にとって、カスタードクリームは、切っても切れない関係だ。それを知ったのは、パン修業にいっていた、パン屋での経験から。
カスタードはクリームパンだけでなく、デニッシュなど多くのパンに使われることを知った。そのカスタードのできは、お店のパンの味や質を左右するものでもある。多くのパン屋さんは、自家製で、その味をアピールする。カスタードのおいしいお店は、当然ながら品格のあるパン屋さんだと言える。
さて、その作り方は、いたってハードである。
見習いパン職人の若い青年は、先輩の職人さんから、厳しくカスタードクリームの作り方を教えられていた。大きな中華鍋のような鍋に入れられた、クリームの材料を強火で熱し、大きなホイッパーでかき混ぜる。「そーりゃ、何ぼやぼやしてる、クリームが焦げ付くぞ!もっと強く回さんかい!」(ちょっと大阪弁になってしまったが)
私は、見てるだけで、そのホイッパーがどのくらい重いかなんて、わからなかった。大量のクリームを作る時、焦げ付かないようにするには、ほんと大変な労力がいる。肩がキンキンになる。
自分でカスタードクリームをつくりだして、その大変さがよくわかった。
しかし、カスタード作りは、肉体的ハードさより、さらに難しいものがある。

パン屋になって、カスタードを何度も練習してつくった。だって、修行時代、一度も教えてもらわなかったから。食べて見ても、美味しくない。生っぽい。それでも、クリームパンとか作って、お店に並べた。しかし、そのうち、並べるのが恥ずかしくなり、クリームパンは姿を消した。
色々なお店のクリームパンを食べて見た。やはり、お店で売っているクリームパンは、すべて一定のレベルはある。湯布院においしいシュークリームやさんがあった。そこで、つくり方について尋ねてもみた。でも、肝心なところは教えてくれない。まあ、企業秘密なのだろう。仕方がない、自分でやるしかないと、取り組んだ。

カスタードは、「煮込み料理」という人もいるらしい。知り合いが教えてくれた。それで、今までより長く火にかけてみた。焦げ付くくらい。するとどうだ、味が格段においしくなった。カスタードクリームのネット上のレシピなど、片っぱしから読んだ。本も買ってきた。その本には、結構詳しく書いてあった。重かったホイッパーが、クリームの沸騰状態の中で、軽くなってくる。それからしばらく、また煮込む。(へえ~)そこまで煮込むのか。

煮込んでいると、鍋の底が多少焦げ付き、独特な臭いがしてくる。私はその臭いを一つの目安にしてみた。
やったぜ、結構いけるお味!私は、なんか、やっとパン屋のお仲間入りができたような気になった。それは、一年くらい前かな。クリームパンの復活!復活はおかしいな。本物のクリームパンの登場!か。

しかし、カスタードクリーム作りは、さらに新たな発展の契機をうかがっていた。これで満足していたら、オニパンの真価は疑われる。もっと美味しくなるためには・・・・。
そこで思ったのは、素材の選別。生協のものではなく(生協が悪いわけではないが)もっと良いもの、新鮮なものは・・・。
それに気づいたのは、ママがプチ旅行で買ってきた、玉名牧場の卵。その卵を割ってみて、驚いた。黄身がスーパーで売っているものとは全く違う様子。プリンとまあるく盛り上がり、色も淡い上品な黄色なのだ。食べると、黄身の濃い味が口の中に広がり、卵かけご飯がこんなにおいしかったのかと初めて気付く始末だった。
近くでおいしい卵はないか。探していて出会ったのが、湯布院の河野養鶏。鶏をひら飼いしていて、良く運動をしている。赤い卵の殻がしっかりしていて、最近のすぐ割れる卵とはちがう。黄身は色々な色があり、共通しているのは、まるく盛り上がり、黄身が破れてもなかなか中身が流れ出ない。

一つ一つの黄身が、きれいな宝石のように見えます。これは深いボール(底まで30センチぐらいある)なのですが、下に落としても黄身が割れないぐらい、しっかりしているのです。

牛乳は、近くの重実牧場の原乳。甘くておいしい。

品質がしっかりしているのはもちろんだが、
鮮度がすごい!
牛乳は、つくる日にお願いしているので、
その日の朝、牛ちゃんたちから絞ったとれとれのもの。
卵も同じ。いつも、その日の朝に電話して、お昼に取りに行く。先日は、暑くて、ニワトリたちがなかなか卵を産んでくれず、卵がそろったのが、夕方7時。それからもらいに行き、8時ごろよりカスタードをつくった。こんなに新鮮な素材はないのでは。

先日、大分市の「パティシェリー スマコ」さんがお店に来てくれ、カスタードのお話をした。スマコさんは、上質なケーキを作る有名な職人さん。私の作り方を話し、「これでいいのかなあ?」と尋ねた。スマコさんは、「問題ないわよ」と仰ってくれた。嬉しかったですねえ~。
ちょっと長い道のりだったけれど、やっとカスタードも独り立ちできるようになった。

初盆 №80

母の初盆を迎えた。今年の夏は様々に、人生について考えさせられる。
母は長崎で被爆し、悲惨な体験をしている。
18歳の彼女が見たもの、味わった思い、被った傷は、私には告げられなかった。
なぜ話さないのだろうか。
「被爆二世」の肩書を、密かに掲げて、19歳の夏、初めて原水爆禁止世界大会に参加した。
被爆者の家庭を一人で訪ね、お話を聞くフィールドワークもあり、まだまだ生々しく惨状を語る被爆者の方の辛い思いに涙した。

それからほぼ40年。東日本大震災における福島原発災害は、国民全体に「原発」の恐怖を知らしめることになる。私は、若いころより、「原子力の危うさについて」、知る機会を多く持っていた。母のことが頭にあったから、進んで学ぶ機会を持った。原発が産み出す核使用燃料廃棄物は、現在の人類の技術では処理することができないと、随分以前より指摘されてきた。原発は「トイレなきマンション」と言われ、それが産み出す「死の灰」は、海底深くにコンクリートで固められて捨てられる、あるいは土中に埋められるしかない。しかし、いつ何ぞやコンクリートから漏れ出すかわからない。それはだれも保証できない。だって、放射能が人体に影響をなくす時間が30万年もかかるというから。
そんな、そんな無責任なことをずっと以前よりやっているのが、「賢い」人間たちなのだ。
大好きな、ジュールべルヌの「海底2万マイル」のノーチラス号。その潜水艦の名をとって、世界初の原子力潜水艦の名を「ノーチラス」としたと最近知って、私は怒り心頭状態だった。

資本主義は、常に資本の増殖のために、拡大・競争を続ける。競争を続けなければ、会社はつぶれ、他の資本に飲み込まれる。如何に利潤を増やし、強大になるか、それが目的であり、自らを制御しコントロールする自律的な力は、備わっていないと思える。会社のレベルでも、国家のレベルでも、安易に利益優先の政策がとられ、その結果、国民に真の情報が伝えれず、国民が犠牲者になる。

一部の「賢い」人間によって、会社や国が、一部の人間の利益に奉仕する結果、多くの市民たちの人生が翻弄されている。それへの怒りが、今日本に限らず、全世界で噴出している。

何億もの人々の命が、それぞれに、違った人生を歩み、泣き笑いし・・・。
そんな、人間の人生の美しさ・かけがえのなさ。
だれも、奪う権利はない。勝手に左右できる代物ではない。

身近な人、大切な人の「初盆」で、今年の日本の夏は、多くの人々の悲しみが複雑に織りなしている。

安らかに、眠ってください。

塚原高原 №79

この間、雑誌の取材が二つあった。そこで、編集者とお話していて、気付かされたこと。「塚原高原は、水や空気がきれいなので、美味しいパンができるのでしょうね?」この質問に、私は「そうですね。」と答えても良かったのだが、無意識にこんなことを言っていた。「確かに水も空気もおいしいのですが、私の場合、工房から見えてくる(網戸にしているので、外の様子がわかる)夜明けの空の美しさなど、思わず手を合わせてしまうほどの、塚原の美しさに、パワーをもらっています。」
作り手の心の状態が、つくられるものに乗り移っていく。塚原で仕事をしている人々は、塚原に魅せられて、そのふところに包まれる中、生きる力を生み出しているのだと思う。
私は、天気の良い夜明けごろ、パン作りの手を止めて、20~30秒ほど外へ飛び出す。意識しているわけでなく、もうじっとしておれなくなり、日の出を見たくなる。人間の本能?
ちょっと見て、工房へ戻り、そして気になってまた外へ飛び出す。それを3回ぐらいすることも度々だ。



とても神秘的なこのような夜明けもあれば、空を赤く染めながら登りくるお日さまの日もある。
霧が出て、そこに虹がかかり、黄金いろのキツネが飛ぶ日もあった(以前紹介した)。
澄んだ冷やかな大気を細胞で感じ取り、自然の営々たる動きに、驚きと感動を受ける。あ~、生きているってすごいなあ!こんな、美しい世界で日々生かされていることに感謝しつつ、登りくる太陽に手を合わせる。世界が平和になりますように!みんなが幸せに生きられますように!