コーちゃんとの散歩は自然とのふれあい №93 

月日のたつのは早い。塚原に来てまる4年が過ぎた。4年前の3月に、塚原に引っ越してきた。まだママは、大阪で働いていた。コーちゃんを連れて、二人での塚原生活をスタート。毎朝、散歩をするたびに、塚原の自然に魅いられる。若いころ「ナチュラリスト」になれたらなあ、などと思い浮かべていたことを思い出す。自然に関して、少しばかり、かじった経験が塚原との出会いから塚原信者へと駆り立てていったのだろう。草原を散歩していると、いたるところに大きな黒豆が落ちている。それは鹿の糞だった。大きな穴がある。それは猪の掘り返した跡。コーちゃんとの散歩は色々な動物たちとの出会いだった。

面白いことがたくさんある。わずか4年でも。
夜の散歩で出くわしたタヌキ。コーちゃんが追いかけ、溝のグレーチング(蓋)の中に追い詰める。私はそのタヌキを上からライトで照らす。かわいそうなので逃がしてあげた。間抜けなタヌキもいる。店の庭先にふらふらやってきて、私が照らすライトの中で(私との距離1メートル)私に気がつかず、えさを探す奴。
猪は結構恐い。臆病なのだが、追いつめられると突進してくる。まだ明るい夕方の散歩の時、2~3メートル前を横切って行った。私は驚き、ついコーちゃんのリードを離した。でっかい猪。コーちゃんとほぼ同じ大きさ。コーちゃんは、喧嘩しても負けるのに、猪を追って行く。追いついたコーちゃん、二頭で並んで走っていく。

つい2週間ほど前、お店の向かいのやぶの中に仕掛けていた猪の罠に中学生くらいの猪がつかまっていた。ウリンボでもない、しかし大人でもない、だから中学生くらいと思った。
檻の中で、その猪はとても興奮している。見ている私に何度も突進してくる。鼻を檻の格子にぶつけ鼻から血を出す。それを土で洗って、また「ガーン!」ってぶつかって来る。これが大人だったら、人間もイチコロだろうと、容易に想像できる。

写真では音や動きは見えませんね。
すごい迫力なのです!

草原を歩いていると、いろんなところに、黒い小さな(直径20センチほどの)土の山ができている。
これは何だろうと思っていた。この小さな山は、草原に限らず、私の家の庭などにもボコボコとできている。

こんな感じで、たくさんできている。
さてこれは何か?

コーちゃんが、鼻をクンクンさせて、何かを見つけました。わたしも実際見るのは初めてのもの。
これがうわさに聞く○○○かあ!

○秘写真大公開です。

前足の大きく鋭い爪。これが穴掘り名人の強力武器なんですね。答えは「モグラ」でした。
あの穴の数からすると、相当たくさんのモグラがいるんですね。草原はモグラの学校みたいです。

幟完成! №92

以前より、(ほしいなあ、あったらいいなあ)と思っていた「ノボリ旗」がついにできました。
オニパンは、いつもお店で売っているとは限りません。ある時は、湯布院のとある病院の駐車場、またある時は福祉施設。湯布院の市庁舎のロビーや大分明野アクロスの特設会場等々。
出張販売は主にママがやってくれます。ていうか、私はあまり向いていないようで。
ママの話を聞いていると「へぇ~」と思う話題がでてきます。

病院の駐車場で販売していたら、駐車場の前の通りの向かいにあるお店から、女性が出て来て、こちらへ近づいてくる。その女性が、「もしかしたらオニパンさんではないかと思って」と言って、買っていただいた、とか。市庁舎の玄関口のロビーで販売しているときは、なぜか、その近くにお店がある精肉店のSさんが必ず現れて(これが不思議。いつもうちの車があるかどうか監視してるのか?)パンを買って行ってくれる。

そんなんで、以前より何か「オニパン」の目印になるものがあればなあ、と思っていたわけです。この目印としては、ノボリが最適ではと、四苦八苦、家族でデザインを考えました。

ノボリをどこでつくっていただくか。大阪の道具屋筋にある旗屋さんの名刺は持っていました。どうしようかと迷っていた時、ご近所の方が、大分の有名な旗店を紹介してくれました。太田旗店(オオタハタミセと読みます)。創業200年だったか、行ってわかったのですが、いい仕事をされています。
太田旗店で何度もデザインの修正をしました。せっかく作るのだから、心に残る(私たちの)作品にしたかったので。まあ、お値段もあり、シンプルにしましたが。
1月31日トキハ横にある太田旗店へ。念願のノボリ旗が完成しました。

すでに、市庁舎での出張販売で一度使いました。今後はいたるところで使うことでしょう。もし、このノボリが見えたら、オニパンが来てると思ってくださいね。
また、このノボリがお店の開店の目印にもなります。色々と役に立ちそうな、ノボリです。

「五箇山から縄文時代を探る」~S氏の著作に感銘 №91

NHK総合テレビで「人間とは何か・なぜ人間になれたのか」というスペシャル番組がスタートしている。すでに2回放映された。東日本大震災以後、人間の在り方が問われ、本質的な議論が、わが国でにわかに起きつつある。
この10数年(湾岸戦争あたりからか)戦争や紛争が絶えず、さらにここ一年は、中東の「アラブの春」が吹き荒れ、激動の世界情勢(これはいい意味での激動だろう)となっている。日本国内を見ても、個人的には、ショックを受けた、大阪の橋本氏たちの「教育基本条例」に見られるような、時代錯誤の管理統制処罰教育の出現。これから先どうなっていくのだろう。
人権って何?人間の本来あるべき姿とは?
高原で、幸せにパンを焼いて余生を送ろうかと夢見た中高年のおじさん。すなわち私は、近ごろ、
世の中の動きが気になって、気になって、ちょっと憂鬱な気分でもある。

20万年前、人類はアフリカに生まれたそうだ。人類といっても、ホモサピエンスという種。5万年前ホモサピエンスは、全世界へ広がっていった。アフリカから旅立った我々の祖先はなんと数千人であったという。アフリカから中東へ渡り、二~三万年を掛けて世界へ拡散していく。途中、ヨーロッパパで大きな勢力を保っていたネアンデルタール人との激しい戦いが待ち受けていた。ほとんど同じ知能を持ち、体力にも優れた人類であるネアンデルタール人との戦いにホモサピエンスは勝利する。我々ホモサピエンスが他の動物と大きく違う点が、この戦いの勝利に貢献した。ホモサピエンスは、とても弱い動物である。だから、生きていくために、様々な面(衣食住)で、工夫や改良を行った。戦いの武器もつくりだした。ネアンデルタール人は、体も大きく、槍一つで大きな動物も殺せたという。我々の祖先は、飛び道具を発明し、大きな動物だけでなく、遠く離れた、鳥やウサギでも捕えることができる術を手に入れた。大きな獲物が手に入らなくなった下でも、小動物を捕まえることができるホモサピエンスは、人口を増やすことができたのだ。

このような、発明は、誰かが偶然行ったとしても、広がり、共有できなければ、力とはならない。飛び道具は、一地域だけでなく、我々の祖先が拡散していったあらゆる地点でその痕跡が発掘されている。ここが、他の動物、また優秀なネアンデルタール人との大きな違いであった。
人間は、違う部族や集団でも、交流し、食糧・生活物資・文化を分かち合うことができた。その能力が人間を大きく発展させてきたというのだ。

小さな集団で移動してきた人間たちは、色々な地域で定住していく。そこで、ルールをつくりながら小さな社会を形成していく。日本にきた祖先たちが、「縄文人」と今の我々から呼ばれるようになるのは、一万三千年ほど前である。

大阪時代の私の先輩であるSさん。以前、縄文e.m.工房を主宰し、縄文土器のレプリカの製作者として、この折々帳でも紹介したことがある。その彼が、昨年の10月、『五箇山から縄文時代を探る』という本を著した。この著作は、その一万三千年前から現代へと続く人類(日本人)の足跡を、彼の優れた推察・想像力も手伝って、掘り下げて解明していると思った。私自身、全く浅い知識しかないので、S氏の仮説がどれほどすごいのかは、よくわからない。しかし、彼が、たくさんの縄文土器をつくりながら実感してきたことは、「本当」のことだと、思う。

縄文人は、新しく日本に移り住んできた弥生人の勢力に押され、また、混血も進んで行く。東北には縄文人のDNAを持った人が多いとのこと。縄文人は北へ北へと追いやられる様子が浮かんでくる。
さらにアイヌ民族は、縄文人を祖先とすることが近年明らかになってきた。アイヌは争いを好まない平和主義者。S氏の説く縄文人の姿とダブって来る。

文章が散漫になってきた。
私がここで書きたかったこと。NHKの「人間とは何か」やS氏の著作は、今の私の憂鬱に一つの希望を抱かせてくれている。
目先の現実ばかり見ていると、ブルーになるばかりだが、東日本大震災後の人々の「絆」といわれる連帯感など、人間の中には、しっかり「他人のことを自分のことのように思いやれる」DNAが存在すること。
それは、二十万年の人類が歩んできた歴史の中で培われてきたこと。
もっともっと、大局的な視点で見れる自分にならないといけないのに。

パン屋の休日 食の佐伯へ №90

やって来ました、あこがれの長期休暇。
オニパンカフェは、12月27日から1月7日までの長いお休み。
電話も時々掛かってきます。「え~お休み?長いですね~!」
お客様には申し訳ないのですが、この年齢で、かつ長くお店を続けていくために、私たちとしても無理をせずにと考えての長期休暇です。
年末は、以前も訪れた佐伯へのミニトリップ。佐伯は、ほんと魅力にあふれた街ですねえ。
おいしくて新鮮な海産物。風光明美な景観。今は高速道路で結ばれてはいますが、以前は、私の住んでいた別府市からは遠く感じられる地域でしたね。
今回の佐伯ミニトリップの初発の動機。それは、創業300年の歴史を持つ「麹屋本店」への訪問。
まとまった休みがとれるこの時期、普段あまりできない、自家製酵母の研究などに時間を取りたく思っているわけで。歴史ある麹屋に一度行ってみたいと以前より思っていたのです。
それと、再度「へしこ」づくりをするための新鮮な麹を手に入れるということも動機の一つ。
この小旅行は、ママと12の月の女将も同行。3人の旅となると、私は運転専門で、後の二人は、車の中でお話に花が咲く。佐伯といえば、うまい魚ということで、何を食べるかなどと、食のお話が盛り上がり、私の酵母研究などの地味な学究的お話はどこかへ行ってしまい・・・。
まあ、それでも、忘れてはなるまいと、先ず最初に「麹屋本店」へ直行しました。

二階建ての昔の商店のような佇まい。
店内は広くなく、冷蔵庫のショーケースに入っている生麹を一袋と今話題の「塩麹」を一ケース購入しました。
12の月の女将も同じものを買っていました。
「やっと来ることができた!」などとの感嘆、感慨もなく(う~ん、残念なのですが、お店の方の応対が、ちょっと期待外れで、長いできない雰囲気だったので・・・)、そそくさと麹屋本店を後に二人の目指す新鮮な海産物を売っている「海の市場」へ車を向けました。

JR佐伯駅からほど近い所、佐伯港の海が見えるところに「海の市場」がありました。
テレビでも宣伝していることを、後になって知りました。有名なんですね。そこでのショッピングは後にして、まずは腹ごしらえということで、魚市場の一角にあった、小さなお店に入りました。

新鮮な海鮮丼や刺身定食を注文。ご飯は自分でお釜からつぎます。お刺身がとてもおいしい!あまりにおいしそうなので、半分食べた後で、写真撮影に気づく始末。全部食べてなくてよかったあ。

次はショッピングです。私のお目当ては、へしこの材料である、サバとイワシ。以前つくった時はママが「アジ」と「タイ」を買ってきてくれて、本来とは違うものになったので、今回は、しっかり自分で買わねばと思ってきたわけで。


市場の中にはたくさんの海産物が・・・。大分ってとても豊かなところなんですね。私が買ったサバはゴマサバ。一匹150円でした。とても高い立派なサバもありました。一匹2500円とか。なんでこんなに高いの?あっ、これが噂に聞く、「関サバ」なのかあ。と一人で納得。
イワシも4匹100円。今朝取れたやつで、刺身にできると言ってました。結構大きい。20センチくらい。なぜか、12の月の女将も同じ、サバとイワシを購入していました。
(帰ってから、女将にへしこをつくるための米ぬかを進呈。へしこは、塩と麹と米ぬかがあればできます)

ママは、結構たくさんのものを買っていました。アジの開きのみりん干しとかとてもおいしい!それとかタイの一夜干しとか。同じ魚なのに、一夜でも干すとアジがグ~ンと旨みを増すから不思議。それが発酵食品の力なんですね。

佐伯港(葛港)を後にして、ここまで来たのだからと、佐伯の上浦(かみうら)まで足を延ばすことにしました。上浦は大分音痴の私にとって、初めての地。でも行ってみると「な~んだあ、ここかあ!」ってだれもが言う地なのです。それは写真を見ればわかります。

ちょっと遠いので残念なのですが、「二見が浦」の「夫婦岩」のショットです。
ここに来る数日前に、テレビで夫婦岩にかける大縄作りの様子を見ていたところです。このすぐ前に、中学校があります。そこで大縄を締め、この夫婦岩に持っていくわけです。この夫婦岩の間から上る初日の出を拝むのがこの地方の慣習なのです。今年ははっきり見れなかったのじゃあないかな。でもたくさんの人たちがここに訪れたでしょうね。

そんなこんなで、2011年が幕を閉じました。
個人的には、平和な年の瀬を過ごせることに、感謝しつつ、迎えた2012年が希望の年となることを願っています。

ゆふばん 出演 №89

12月10日(土)のOBSラジオ「ゆふばん!」に、オニパンカフェがオンエアーせれた。
収録は11月28日(月)。パーソナリティーの齊藤真歩子さんとディレクターの上原葉子さんがお店に来られた。若い二人はとても感じのよい方で、明るく元気、そして気遣いのできる人たち。お話をしていてこちらも浮き浮きと楽しい気分にさせられた。テレビの取材は二度ほど経験したが、今回は、筋書きをつくり、進めていく。確かに、映像が見えない分、聞き手の想像力を高めていくためには、演劇のシナリオのような、せりふが必要となって来るわけだ。一味違うものに仕立てていく。
音を取りながら、ディレクターの上原さんが、「そこは、こうしよう」などと意見を入れる。すると、齊藤さんが、やり直す。私の方に齊藤さんが話しかける。私が答える。その次に一瞬、間(ま)ができる。その間(ま)に、私は何か言った方が良いのかどうか迷う。0.何秒かの時間が、私の何とかいうホルモンを抽出させ、急激に頭や顔を熱くさせる。声が少しかすれ、喉が渇きだす。若い時の、演劇をやっていた頃をふと思い出した。久しぶりの緊張感。いい年のおじさんでも、まだまだ、枯れてはいないのだ。
齊藤さんは、とてもパワーがあり、生き生きとしている女性だ。そして、口から出る言葉が実感としてだされ、軽く薄っぺらい表現とは違うものを感じさせる。巧みとは言えないにしても、誠実で真っ直ぐな感性から出されるので、聞いていて心地よい。彼女の一生懸命な生き方がまぶしく感じられる。

「ゆふばん!」での、収録の内容はお店の商品を宣伝するだけではなかった。むしろ話の中心は、なぜ「オニパンカフェ」という店名をつけたのか、そしてそのことから、どんなお店を目指しているのか、という話になっていった。
それは、今までの取材にない、私にとっては原点的なものだった。
忙しさにかまけて、あるいは仕事の多重さにつぶされそうになって、ともすれば忘れてしまいそうになる、マスターとママの大切な思い。

「ゆふばん!」の放送を聞いたのは、実はこれが初めて。12月10日。聞いていて、本当にありがたかった。気持ちが、すーっとして、背筋がピンとなった。おいしいパンを塚原でつくろうと思ったのは、私たちがこの塚原で癒せてもらった人間らしいもの、その輝きを、他の人たちにも伝えたかったから。こんなに、はっきりと、マスコミ取材でいったことはなかったし、そういう流れになったこともなかった。ディレクターの上原さんやパーソナリティーの齊藤さんのお陰でしょうね。心からお礼を申し上げます。

塚原での第一歩。自分たちでログハウスを建てようと、工事を始めた頃の写真です。まだちっと若いママとマスター。この写真、「原点」と名前を付けています。

齊藤真歩子さん。彼女は、以前にもオニパンカフェにきたことがありました。飾らない人柄で、とてもフレンドリーな方です。


この日も、たくさんのパンを買って帰られました。
「あの~、拾ったという鹿の角はどこにあるんですか?」という、彼女の質問に、私もびっくりしました。随分以前の折々帳に書いた、「鹿の角」のことを、読んでくれていて、取材に来た時に、お店の中を探していたそうです。オニパンのホームページも見てくれているとは…ありがとうございます。