パン屋の休日 運動 №104

私とママは、休日となれば「今回はどうしよう?」と必ず相談することがある。
それは、トレーニング。主に足腰の。
その方法はだいたい決まっている。登山か自転車、ジョギングそして最近ではスイミング。
季節や天候で選択は変わってくる。
雨の多い季節はなかなか運動ができないのだが、近ごろプールに行くことを覚えてから、毎週のように行き出した。

半年ほど前だったか、2~3回私も行ったのだが、あまり乗り気になれずやめてしまった。
ママと12の月の女将はセットのように、よくプールへ行っていた。ママが「運動になるから行こう!」と言うので、2~3回つきあったわけだ。しかし、水中ウォークを黙々と2時間近くやると、飽きて飽きて・・・。そんなことをするのだったら、ジョギングで汗をかき、自然の中を動く方が精神的にもいいと、一人でジョギングをやっていた。

ところが、最近、少し様子が変わってきた。それはなぜって・・・・私は泳ぎに挑戦しているからだ。
クロールが苦手で、以前は50メートル泳ぐとヒーヒー状態になる。息継ぎが下手で、体のあちこちにも力みが入って。苦しくて苦しくて。
近ごろ朝起きてベッドの中で泳ぎをイメージして息継ぎの練習をしてみた。すると、なんだかわかったような気がした。そしてコーちゃんの散歩の時も「イチ、ニイイ、サン、パッ!」っと息継ぎを10分以上続けて練習する。うんうん、なるほど、これでいけるのでは、みたいな気分になって来る。
プールに行ってそれを試してみたくなる。
イメージトレーニングっていう奴だ。久しぶりに行ってやってみると、なんと100m泳げた!!
こうして、雨の日は極力プールへ。今のところクロールで300m。クロールと平泳ぎを交互にすれば、500m以上続けて泳げるようになった。

今日はバタ足の練習をした。なかなか前に進まないものだ。100mくらいやると(続けては無理、25mでしんどくなる)足の指がつった!バタ足って本気ですると大変なのだ。
でも帰ってコーちゃんの散歩をした時、あれ~と異変に気がついた。それは足が妙に軽いことだ。
太ももや腰がいつもと違うのだ。あ~そうか、バタ足の成果なのか。あんなに足を動かすことは普通ないものなあ。水泳のすごさを実感した今日のプールだった。

こんな風に同じ運動をするにしても、目標や運動の方法を意識すると意欲が変わってくる。
それを実感しているのは、水泳だけではない。登山もそうだ。
最近「大分の百山」という本を買った。その本にはあまり有名ではない、しかし身近な山の紹介がある。例えば「内山」。
内山はほとんどの人が知らない山だが、塚原に住んでいる人にはなじみ深い山だ。なじみ深いと言っても、登ったりしてるわけではなく、きっと名前も知られていないだろう。しかし、伽藍岳に続く見事な形の稜線で由布岳の方に伸びているその尾根の形は見ようによっては「涅槃像」(仏様が寝ておられる姿)にも見える。塚原の人は、その形の美しさを毎日眺めている。

山の本に書かれてある紹介では、内山の斜面は結構きつく、転げるように下りるとのこと。そして底の部分を「船底」といい、そこから登る鞍ヶ戸(くらかど)は眺めがとても良い「大展望」と言う頂上に続くとのこと。そしてその鞍ヶ戸から40分ほどで鶴見岳の頂に達する。

  左の低い山が伽藍岳、写真中央が内山、
右の仏様の頭の部分が鞍ヶ戸岳

私の心に火がついた。塚原から眺めているだけだった内山や鞍ヶ戸岳は、登る対象として今強く燃え上がっている。所どころにあるロープをもってしても、下手をしたら滑るという難所。そして360度の大展望の鞍ヶ戸Ⅲ峰。制覇してみたい。見上げるのではなく、その上から塚原高原を見降ろしてみたい。そうすることで、次に見るときは違った山容に見えるのではないか。

パン屋の休日の運動も結構奥が深いなあと感じる今日この頃だ。

育てる喜び 農に親しむ№103

前回に続き、「農に親しむ」ということで、我が家のささやかな話題を。
この年になってわかって来ることがいかに多いことか。その中の一つが、野菜の栽培など
植物のお世話、そしてそこから得られる喜び。
以前の仕事に関わって(親としても)、人を育てる喜びというものは、実感として、涙が出るほど良くわかる。
ワンちゃんについても、同様だ。
動物を育てることは、どれだけ、相手に手を掛け、心を砕き、エネルギーを注ぐかということ。
それも、自分の都合ではなく、相手の成長にとって必要なことが肝心。
しかし、植物については、今一つ分かってなかった。
大阪にいた頃、狭い庭に、無理して植えた一本の梅の木があった。その梅の木は一年目二年目くらいまで実をつけたが、それ以降実をつけなくなった。「なんでだろう?」と思って、10年以上が過ぎた。年と共に少しづつ私も成長したのか、肥料をあげないので実をつけないのではと気がついた。2月頃に鶏フンをあげてみた。すると、その年はお花がきれいに咲いた。さらに翌年は実をつけた!
それから、何度か梅ジュースに挑戦したわけだ。その体験が現在の梅ジュースにつながっているわけだ。
塚原に来て、梅の木にはいつも栄養をあげている。家から出る残飯とか。すると、毎年立派な実をつけてくれる。

その梅の木の隣にブルーベリーの木を植えている。ブルーベリーの実を自家製で採れたら!と6年ほど前、夢大橋に行った時、お土産屋に売っていた苗木を買ってきた。しかし、パン屋の忙しさにかまけ、ほとんどお世話をしなかった。5本買ったうち、3本は枯れた。2本は生き残ったが、栄養不足で小さなままだった(4年前)。もう無理だろうと、育ったブルーベリーの木をお隣の造園屋で購入し、梅の木の隣に植えていただいた。ついでに、生き残った貧相な2本も、その隣に植え替えた。

いつも目に見えるということは大事なことなのだろう。リビングの外のデッキ前の庭に梅の木とブルーベリーの木がある。気にかけて、肥料などをやる。するとどうだろう、あの貧相なブルーベリーたちは、少しづつ元気になっていく。植え替えて一年目に、少しだが実をつけた。そして今年は、大量の実をつけるようになった。造園屋で購入した立派なブルーベリーに引けを取らないぐらいに、成長してきている。


ちょっとわかりづらいでしょうが、左が造園屋のブルーベリー。右の方が、苗木から育てたブルーベリー。今年はあまりにも実をつけすぎていて、枝が支えきれず、地面まで垂れ下がるので、幹を支える木を添えている。


採れた実です。これはまだほんの一部。
豊かな恵み、感謝です。

うちのママは、忙しい仕事の合間を縫って、家庭菜園に最近力を入れつつあります。
あまり手をかけてるわけではありませんが、それでも最近、わずかな恵みがありました。


芽が出たジャガイモを植えていたとのこと。するとこんなジャガイモが育っていました。

コウちゃんの犬小屋にかかる西日を緩和しようと、ゴーヤを植えました。
そのゴーヤに小さな実がつきました。

牛フンがいい肥料になるということで、近くのシゲザネ牧場さんから、牛フンを分けていただきました。うわ―大量!これを使いこなすほどの力量は今のところないのですが。ぼちぼちがんばります。

 トラック一杯分!全く臭いもなく、サラサラできれい!ギュ―フンの認識が変わりました。

私の今年の目標(農における)。それは、イモ。大好きなサツマイモの収穫。
6月に農協さんから苗を購入しました。ほとんど世話をしていないので、心配ではありますが、
これから雑草取りに励みたいと思います。
もしうまくいけば、サツマイモデニッシュとか売り出してみたい(大学芋をデニッシュに載せる)。
きっとうまいだろうなあ。


イモの葉の間からたくさんの雑草が見えてますね。やばいやばい。この折々帳に載せたからには、結果を公表しなくてはならないでしょう。
秋が楽しみ(心配)です。

梅干しづくり №102

我が家には、立派な梅の木がある。立派というと語弊があるかもしれないが、しっかり花を咲かせてくれ、そして梅の実を実らせてくれる分には、申し分がない。
昨年は、大雪にやられ、ほとんどつかなかったが、今年は梅の実をしっかりつけてくれた。

この梅の実を使って、梅ジュースや梅酒をつくったりするわけだ。
今年は梅干しをつくってみようと、今挑戦している。

一本の木から6キロほどの実がとれた。その一部は梅シロップにした。
それを氷水で薄めジュースとしてお店で販売している。
市販のものにはない、とてもおいしいお味!自家製ジュースの魅力にはまって、2年目より夏季限定でカフェメニューとなった。

なかなかいいポップでしょ。
これは、折々帳にも登場したイギリスの
フランさんがつくってくれたものです。
毎年大事に使っています。

以前一度大阪在住時に梅干し作りに挑戦したことがある。何か手間がかかるなあ、という印象だけが残っている。それで、なかなか踏み切れなかったわけだが、塚原の宿「野乃花」の女将に話を聞いて、意欲が再燃。そんなに難しい話ではない。

①採った梅を洗い水気を拭き取る。
②へそのようなもの(なり口のホシ)を取り除く。
③きれいな容器に梅干しの量の18%の塩を梅干しと交互に入れる。
④容器の(梅干しの)上に、二重に重ねた水入りのビニール袋を置く。(重石代わり)

これで、梅雨明けまでほおっておけばいい。

さて、梅雨が明け、天気も良い今日、容器の中をのぞいた。
うん、たっぷり梅酢が出ている。


約一カ月漬けておいたわけですな。
ポリ袋に水を入れた重石は、梅全体に圧がか かり梅を傷めなくて良いみたいです。

2.5キロの梅で1200ccほどの梅酢ができ  ましたよ。


風通しの良い日向で表裏ひっくり返して2日 干すと出来上がり。シソは使わない「白干梅」  です。

産んでくれた母なる梅の木をバックに、
「天日干し梅ちゃん」のワンショットです。

真実はいつも闇の中? 懐中電灯を持って真実を見極めなければ №101

いよいよ101回目の折々帳です。気持ち新たに、日々の思いを素朴にかつ真心を持って、記していきたい。

パン屋のブログではありますが、パンにこだわらず、人間に関わる一切のことを書いていきたい。
今の私にはまだ見えていない、感じていない多くの価値ある宝物が、この人間社会に存在している。私はその一端を今までの人生で垣間見てきた。それは音楽であり、自然であり、スポーツであり、食であり・・・・。人が関心を払い、取り組むこと、そのすべてに感動があり値打ちがあるのではないか。もちろん欲望や邪悪な心が呼び起こすものは、極力ふるい分けていかねばならないのだが。

まだ知らぬまだ味わっていない体験をすこしでも取り入れたい。それを書きとめる行為は、自らの血肉とする作業につながり、それは、自分自身の成長とも深くかかわることである。
青年時代に敬愛していたカールマルクスと言う思想家が言った言葉を私は今でも大事にしている。「私にとって、人間に関わる全てのことが関心の対象である」そしてもう一つの言葉。
「全てを疑え!」

ちょっと硬めの文章になりそうですね。まあ、そういうときがあってもいいかな、ということで、今回は「全てを疑え!」をテーマにいま私の思っていることを。

何のための大飯原発再稼働なのか
最近「フェイスブック」とやらを始めました。ツィッターなどにもついていけてない私ですが、フェイスブックは観光協会の役員さんのお勧めでやることに。
「ソーシャルネットワーク」という言葉が今流行りだそうですが、フェイスブックを始めて、その意味が少しわかりました。
フェイスブックは本当にすごい機能を持っていて、まさに「人間に関わる全てのこと」で、友達関係を構築していくネットワークです。自分の興味関心で全く知らない人と交流が持てます。その人の友達ともどんどんつながって行ける仕組みになっています。フェイスブックのウォールという画面上で情報を交流します。その情報は見ている本人が他の知らない人に知らせていこうと思えば「シェア」という機能で簡単に流すことができます。
近ごろのスマートフォンやパソコンは優秀で、その場で撮った映像を生でそのウォールに流すこともできます。フェイスブックをやっている著名な人などは多分何千何万人もの友達を持っていますし、その友達がまたその友達に生の情報をシェアすると、立ちどころに多くの人が生の(真実の)情報を手に入れることができるわけです。「アラブの春」が起きた原動力として、このフェイスブックの活用が言われていましたが、なるほどです。真実を知った人々が、情報をとり合い、大きな行動を組織して行ったのです。

最近私はこのフェイスブックで色々と学習をしています。
以前より関心のある、「原子力発電所」についても新たに情報を得ています。
京都大学の原子炉実験所 助教の小出氏の講演などを聞いていて、「う~ン、これは、もっと考えなければ!」などと思ったり・・・。
これが真実だ!と決め込んでしまうのは、あまりに根拠が少ない私の知識なので、慎重に慎重に判断しようと思っていますが、今の政府(あるいは大手メディア)が流している報道は、おかしいと思えることが多すぎる。

夏を前にして、大急ぎで再開した大飯原発。「電力が足りない」を合言葉に、福島第一原発事故の原因や現在の状況も分かっていないのに「安全だ」と関係する調査委員会に発表させての強引スタート。
最近九電から「計画停電」のハガキが届きました。「そっかー、電気足りねえんだなー・・・?」
でも、待てよ!電気が足りないという確実な証拠はどこにもない!先ほどの小出氏も政府の資料をもとに「電気は足りている」と説明していた。国会でもその質問に政府は明確に答えられない。現に
昨年も原発なしで大丈夫だった。
今年も大丈夫だったら原発の必要性の根拠がなくなってしまう。
日々のことで忙しく動き回る善良な国民に、この計画停電のハガキは「電気が足りない」と思い込ませるに十分な有効で確実な方法です。まさか善良な国民は電力会社が「ウソ」を付くわけがないと思うはず。 ウソをついたりだましたりしない人は、相手を信用するものです。
しかし、この九電は昨年「やらせメール」をはじめ、様々に国民をだましてきた実績があります。
「信じられねえ!」「全てを疑え!」です。
しかもこのハガキの代金は電気代に入っている。「電気代をまけろ!」

あまりにひどい!野田政権のやり方ではないでしょうか。大飯原発再稼働の背景には、再稼働をすることで利益を上げる人々の姿がしっかりと見えています。経団連会長の米倉氏の喜びようは、ひとしきり目立っています。原発関連企業(三菱、川崎など)や甘い汁を吸う関連の人脈群。
フクシマの被災者、そしてこれからの被災者のことを想像する時、目先のお金に飛びついていいものか。

こんな投稿(朝日)が昨日ありました。福島市に住む高校生への内部被ばくを調べる『甲状腺検査』が始まったとのこと。多くの子の甲状腺に「小さな異常」が発見されているという事実。そして、決まったように言われることは「健康に影響はない。原発事故のせいかどうかわからない。」
わからないことは置いといて、甲状腺異常の子が多数出ているという事実。

報道は歪められている
こんなあんなで、疑問や怒りを胸にした人々が今行動に立ちあがっています。
私は、3月から始まった首相官邸前の「反原発行動」にめまいにも似た関心を覚えています。
毎週金曜日にその集会はあります。初めは300人だったとのことです。
4月5月と息長く続けられました。その行動がツイッターやフェイスブックで広がりを見せ、
6月22日には4万7千人にまで広がったのです。これは歴史的大事件です。
これを報道した大手マスコミは東京新聞と報道ステーションだったとのことです。
私は、朝日新聞を見ましたが、どこにも書いていません。もちろんNHKニュースなども報道しません。東京新聞はその前の週の行動(一万人以上集まった)を載せていないとのことで読者から寄せられた抗議の投稿に対して、紙面で「お詫び」をし、権力を監視するというジャーナリズムの基本精神から今後はしっかり報道すると書いていたとのことです。立派だと思います。
そして、報道ステーションも立派(当然なのですが)。ただ、キャスターの古館さんがやめるという情報を聞くにつけ、何やら圧力があったのではと推測してしてしまいます。

そして、6月29日(金)。私はこの抗議行動がどうなっているのか、気が気ではおれませんでした。
仕事を終えて、パソコンの前に座り込みました。大飯原発l再稼働を前に、市民の怒りも大きく広がっていることは確かです。普通の市民の仕事帰りに立ち寄ろうかという意識の方々も多く、いわゆる今までの労組や団体の組織する集会とは異質のものとなっています。
フェイスブックの威力!生放送を流している人がいました。「すごい!!!」

その日は主催者発表で二十万人とのこと。
翌日の朝日新聞はどうか・・・・。なんと一面に載っていない!
後ろの方に小さな囲みで、デモの様子が。しかも、それは、首相官邸前ではなく、熊本の反原発行動で100人ほど集まったという記事。文章の中には東京で大きな集会があったとは書いていましたが。

その数日後朝日でも気にしているのか、東京の反原発行動についての記事がありました。
その文章を読んでみると、首相官邸前にこれほどの人が集まったのは、1960年の安保反対闘争以来と書かれていました。
もう、やってられない!という気分になった私でした。

今でも私は1960年の「安保反対」という日本を揺るがした大きなデモを覚えています。
当時私は確か小学校1年生。
なぜ覚えているのか。それは遊びを通してです。
数名の友達と腕と腕を組み、「あっぽんはんたい!あっぽんはんたい!」と言って、リズムに合わせて歩くのです。幼い子どもたちにまで広がっていた「安保反対闘争」。それを上回る規模の今回の「アジサイ革命」と言われる行動。
その大きな国民の意思を報道しないメディア!
すごい意図で真実に蓋をする政府関連の圧力を感じて感じて!

野田政権はこの動きを「黙視」するそうです。日本人の悪い癖。時が過ぎれば忘れてしまう。
今後、どんどん原発を再稼働していくとのことです。いくら騒いでも、仕方がない。
こういう『悪慣れ』にならないように、片田舎の高原から声をあげ、行動を少しでも起こさなきゃと思っている今日この頃です。

ドーコンと共に 苦労の4年間 №100

今日6月28日は、開店4周年記念日。いやあー、もう4年目なのですね。「石の上にも3年」と題したこのブログの文章を書いて、早一年が過ぎた。うまいことにブログ100号が4周年と合致!
さて、記念すべき100号の「折々帳」に何を書こうか~。
ここは、少し真面目にパン屋の苦労話を記すことに。

パンは発酵食品だ。発酵との関わりでパン屋にとってなくてはならない設備として、ホイロと言う機械がある。1次発酵や2次発酵の際に温度と湿度を管理する機械だ。
発酵の主役=酵母にとって、最も活動が活発になる温度帯は30度後半から40度。
夏場は好いとしても、冬場にホイロがなければ、パン作りは困難になって来る。

発酵力がイーストほど強くない天然酵母の発酵は、イーストの数倍の時間がかかる。
イーストの場合生地のミキシングを始めて製品ができるまでの時間は2時間~3時間ほど。
パン教室も3時間あれば、何とか試食までこぎつけることができる。
天然酵母パンのパン教室がやりづらい理由もそのあたりから来るわけだ。

天然酵母のパン屋は、この発酵力の弱い酵母を使ってパンをつくるわけで、朝10時にお店をオープンしようとすれば、深夜よりパン作りをスタートせねばならなくなる。正確に逆算すると、まあ、大体夜の10時くらいには、生地づくりをスタートせねばだめだろうか。
これは無理なお話なわけで、そうなると、前日の夕方くらいに生地の仕込みを始めて、早朝に1次発酵を終了するように時間設定を行うことが、10時開店には合理的な流れとなる。
だとすれば、暑い夏場には、生地の発酵を抑えるために20度前後の温度管理が必要となって来る。仮に30度だと6~7時間で1次発酵が終了するわけで、その場合夜の10時ごろよりパン作りをスタートさせなければならない。

私の修行先「あこ庵」で、「ドーコン」という機械を知った。ドーコンは、とても優れ物の機械で生地の発酵のための「温め」機能だけではなく、生地の発酵を抑える「冷蔵」機能、そして「冷凍」機能まで併せ持つすごい代物だ。
「ドーコン」という言葉の響き。何かドラゴンみたいな感じで、これはちょっと近寄りがたいなあという印象を持った。操作の仕方も難しそう。パン職人を目指すさえない中高年の私から見て、先輩諸氏がドーコンをいとも簡単に使いこなす姿は憧れにも似た感情を芽生えさせた。
仕事終了後の打ち合わせでは10名ほどの職員さんが、朝の4時から仕事をスタートさせるためのドーコンの温度設定を検討するのが日課となっていた。
生地によって、発酵の早い遅いがあるわけで、バターや卵の多く入ったリッチな生地やり―ンな生地では同じ温度でも1~2時間の差が出てくる。窯入れの順番もあるわけで(どの商品から焼いて行くか)、60種類以上の商品を効率良く製造するために、どの生地を何度に設定するのかを話し合うわけだ。

「う~、ムズイ!」私は、全く理解できないまま、7カ月の修行を終えた。難しすぎて、端から相手にしなかった。もっと簡単なことも、できないわからない状況だったから。

そうして、めでたく、オニパンカフェがスタートした。
54歳の再出発!
多分一つ一つのパンだけだったら、まあまあうまく作ることはできただろう。しっかり、様子を見て、窯入れして、美味しく作ることが。
しかしパン屋のカウンターには、たくさんのパンを並べなければならないのだ。
友人や職場の同僚の「えっパン屋?」みたいな視線を、背中に感じながら過ごしてきたこの10年以上の歳月。ここで「やっぱりな」みたいに終わらせるわけにはいかない。
この「ドーコン」を何とかしなくては!パン屋は始まらないのだ。
一体いつパンの発酵が終わるのか?
わかんねえ!
それで決めた。1か月は眠らない。
人間一カ月眠らなくても死なないとどこかの本に書いてあった。だとすれば、この一カ月で何とかドーコンを支配できるだろうと。

そうこうして、パン屋の店先にパンが並んだ。
パンをつくるのがあまりにも遅く(それでも開業から5カ月は朝2時より作業をスタート)、全種類を出せないので、「欧州パンの日」と「和風パンの日」に分けて、何とかしのいだ。

ママと私の間にある機械がドーコン。ペタペタはってあるタ
イマーは、中の生地を取りだす時間設定をするためだ。この
ドーコンと4年間付き合った。

それぞれの生地の発酵時間を把握するために何カ月もかかった。特に弱っちいフランスパンの生地は、油断をするとドロドロの過発酵になる。するとお店には出せなくなるわけで、今であれば、「これはだめだな」と判断できるわけだが、初めの頃は、良くわからないものだから、焦りまくりで、ママを夜中に起こしたりした。
「あかん、フランスパンの生地が~!!??」
血気盛んなママは、「よしゃ、手伝ったる。何すればいい?」
何をして良いかわからない私は、「う~ん」とうなるばかり。

一応あこ庵からの指導で、どの生地はどれくらいで発酵を完了するということを、教えてもらっていた。しかし、全くうまくいかない。日々記録を取って試行錯誤。
夏と冬で発酵時間が恐ろしく変わる。温度設定が夏冬で3~4度違ってくる。
おかしい!
ドーコンて温度や湿度の管理をする機械なわけで、夏や冬で庫内の温度がこんなに変わるものなのか。絶対おかしい!変!
このことに気付いたのは、2年くらい過ぎてから。
我がドーコンは、オニパンカフェに来る前にすでに10年近く使われていたものと思える立派な中古。
扉のゴム製のパッキンはベコベコで、庫内の温度や湿度を維持できるような状態ではない。
つまり隙間だらけなのだ。そうすると、機械は無理して、温度や湿度を維持しようと過剰に運転。
色々な故障も頻発する。いわば、満身創痍の歴戦の勇士。

3年目ごろより、このドーコン君とうまく付き合う方法を色々と考え始めた。湿度を維持する加湿機能が故障した時は、お湯を入れたバットをドーコン内に入れて生地を発酵させる。
あるいは、最近では、安くて小さな加湿器を買ってきて(3000円くらいのもの)ドーコン本体の加湿を送るパイプをその加湿器につないで、庫内のの湿度を保つとか。
庫内の温度も上と下では3~4度違っている!ことに気づく。
ドーコンの子内に設置されているファンが回っていないのだ。あるいは錆びて、勢いよく回らない。
それで、小さなミニ扇風機を庫内に入れて、風を起こしたりもした。

左はドーコンの側面壁を外した状態。ファンも錆びつき、名前を知らないが、銅のくねくねパイプの冷やす機能の部分は
緑色のさびでいっぱい。ファンが回らないので、銅のくねくね
部分の横にスペースを見つけたので、ミニ扇風機を配置した
わけだ。

 一番問題の扉の隙間。これは、マグネットの入っていたゴムの部分を全部はがした。ホームセンターで買ってきたゴムのマットを一面にはり隙間をできる限りなくした。 

夏場は気温上昇もあって、ドーコンの働きがさらに狂うので、天井に扇風機を取り付け、一日中回している。それでも調子は悪くなる。

2か月ほど前、突然、ブレーカーが落ちた。何度あげてもすぐ落ちる。
原因はドーコンからの漏電だった。修理したものの、いつまた漏電するかわからない。
いたるところが錆びついている。日々(今日はパンがつくれるかな)といった心境で、ドーコンを見守る。
ドーコンの正式名称は、ドォウコンディショナー。ドォウとは生地の意味。つまり生地の状態を管理する機械。しかし、もうそのような役割も果たせない状況になっている。

それで、ママと相談して、ついに新車に乗り換えることにした。まさに、新車と同等なお値段なんですから。

さようならドーコン君。4年間御苦労さま。

これが、オニパンにやってきた、新しいドーコン君。つくりも、能力も全く別物。庫内の温度と湿度は完ぺきに正確なのです。
この新しいドーコン君のお陰で、今までの苦労がウソのよう。
これまでは、仕込みも夕方にならないとできなかった。(庫内の温度が上がりすぎるため、早くから仕込むと真夜中に発酵が完了してしまうため)。しかし、現在は早く仕込むこともできる。
何の心配もなく、夜寝ることもできるのだ。

ふ~。有り難いことだ。
でも思うに、パン作りの苦労をしっかり味あわせてくれた古いドーコン君の存在は、私を成長させてくれた恩人とも言えるのではないか。
簡単にパン作りができていれば、こんなに考えなくても済んだ。パンにとって大事な要素をいやというほど思い知らせてくれた。

今日6月28日は、オニパンカフェ開店4周年記念日。
ちょっと、パン屋にこだわった折々帳になりすぎたかな。