イベントを通じてもたらされた多くの収穫!

DSCN5423[1] 前回の折々帳から3カ月が過ぎようとしている。名前を「たまたま帳」に変えようかと悩んでいる。折々の出来事への感想や思いは決して軽いものではなく、ここ数カ月の出来事は齢を重ねた自分自身にとっても、新鮮でもあり、鮮烈でもある。ゆっくり休んでいる暇もなく、休日と言えど、休むこともなく動き回っている。退職、引退、隠居、高齢者・・・感覚として無縁な響き。

イベントが二つ重なってしました。11月26日。この間、恒例となっている「赤野マルシェ」。大工の簔原さんが主宰するイベントが、昨年より大規模になり、場所も蓑原邸の庭から、「のぞみ園」となる。今一つは、由布市が主催する「由布市復興応援キャンペーン」のイベント。由布市のパン屋を集めたミニパンフェスを一部の企画として開催。どちらともそれなりのパンを持って行かなくてはならない。そして日曜日なので、平日よりも多くのパンが店売りとしても必要になる。

実績、キャリアというか、経験とはそれなりのものを生み出してくれる。冷蔵生地の技術や日持ちのするパン生地を前日夕方に焼き当日に仕上げるなどの工夫で、1年前の2倍以上の量を生産できるようになった。さらに付け足しておかねばならないのが、従業員さんの技量。小さなお店にしては私も含め3名の職人が朝からフル回転でパンを製造しているわけで、しかも3名の技術は相当にいい(手前味噌ながら)。11月26日、3名で朝4時から製造(私は3時から)。8時半からは、お隣のマチ子さんが、袋詰などのお手伝い。こうして、第一陣の「赤野マルシェ」へとパンを届けることができた。

DSCN5425[1] この販売の様子、私が何を言いたいのか、よくホームページをご覧いただいている方には察しが付くと思う。わかりやすいです。何が?お客様にとって、買いたいパンのことが!番重にたくさんの種類のパンをごちゃごちゃに入れて、パンを売っていた今までの販売方法がいかに問題があったか。9年間それを続けてきたのです。お店では、プライスカードがあり説明も書いているわけですが、イベント時には全くそれもなく、「このパンはどんなパン?」「おいくら?」となるわけです。最近は、パンの袋に値段シールを張り付けていましたが、それでもどんなパンかはわからない。本当に商売が下手というか、世間知らずのオニパンでした。この陳列パンボックスをつくろうと思ったのは、8月11日のビーコン祭りがきっかけでした。その時は何店舗かパン屋が出店していましたが、お隣のお店「マコズベーグル」さんが、なかなか素敵な入れ物で販売していました。詳しくは見てなかったのですが、その箱と、おいしそうなベーグル、そしてグワ~っと並んだお客様の列に圧倒され!!すごいなあ~!!あきれ果てるほどうらやましく思いました。あとでマコズベーグルさんの奥さんとご主人に話しかけました。すると、とても気さくな方たちで、オニパンの別府店にもよく行ってくれているということでした。

雑誌でしか知らなかったマコズベーグルさんと知り合えたこと、そして陳列ボックスのこと、お客さんが並んでくれない悲しい思いなどとても勉強になったイベントでした。もし次にイベントに参加するときは、この教訓を生かそうと思いました。

次のイベントは、11月26日に決定!10月くらいから、設計図を考えました。だいたい構想がまとまり、いざ作り出したのは、その6日前。やはりね。なんでもその調子でぎりぎりにならないとできません。本当にできるのか。6日前以前より、夢にまで出てくるほど、プレッシャーが。それでもしないのが私の性格。ママから、「気になるんなら早く作れば」と言われながら・・・。そして、つくりだすと、夢中になって時間も忘れ・・・。無心状態。もしかしたら。人生で一番楽しいひとときかも。特に工夫して自分だけの発想で便利なものが出来るとき、「創造性」というのかなあ、人間ってそんなとき、すごく幸せになるんだろう。縄文人があの芸術的な火炎土器をつくっているとき味わった感覚ではないのか。縄文人の気持ちがわかるなあ~。(だんだん飛躍するのも私の性格か)

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その陳列ボックスの詳細を知らない方もいるかもしれないので、写真を載せました。このボックスの特長は、商品の種類や量に応じて仕切りを移動できるところ。そして、その説明のプライスカードを移動できること。ボックスの背に2本の細長い板をはっています。その2本の板に穴を多数開けて、適度な場所に番線を差すことができる。これを使って販売をした由布市復興応援のイベント嬢が「エ~!あのボックス、マスターがつくったんですか~!すごく便利ですねえ。ポップの位置も変えられるし。」と感想を。私は「あんなの既製品で売ってるわけないでしょ。買ったら、2万円はするだろうし、そんなん買えんし。」するとイベント嬢は「2万円でも買えないと思うわ。」だって!嬉しいお話じゃないですか。そんな陳列ボックスの威力もあってか、二つのイベントともに完売でした。

この間のイベントで得たものは、製造量の増加、陳列ボックスという販売方法だけではありません。もしかすると、最も大きな収穫物だったのは・・・。それは、パン屋さんとの出会い。

8月のビーコン祭りのとき、マコズベーグルさんとお話ししました。子育てをしながら、週に一回の販売に向けて仕込みの日々。10数種類もあるスティックベーグルとそのほかのパンたち。スティックベーグルという斬新なベーグルの開発を思い立ったあたりの努力心には頭が下がるというか・・・。あれだけのお客様、ファンを持っているだけの根拠を垣間見る思いでした。包装から、販売スタイル、どれをとってもすごい!!多くのイベントで絶大な人気をほこっています。その夫婦お二人は、とても庶民的で!奥様は美人、旦那もまあまあか。(笑)

11月26日赤野マルシェでなつかしいパン屋さんと出会いました。それは、大分医大近くにお店がある「コヅチ」さん。

DSCN5437[1] 以前2度ほどお店でパンを買いコーヒーを飲んだことがありました。コヅチさん夫妻もオニパンに来てくれました。とてもかわいらしい奥さんと寡黙で誠実なご主人が、二人で頑張っているのがコヅチ。26日も相変わらずの人懐っこい奥さんとお話しを。話していると、自然と笑顔になるから不思議。素敵な奥様です。子育ても大変だろうけど、二人の真面目な仕事スタイルにはいつも感心してきました。

DSCN5445[1]DSCN5446[1] 納豆ピザと甘栗とクルミの入ったブリオッシュを購入。食べてみると、それはそれはおいしかった!!納豆ピザ・・・こんな発想とお味あるんだって感嘆。そしてブリオッシュもたくさんのクリとクルミ。原価率大丈夫かなと思えるほど。近くに大手のパン屋さんが開店し、お客さんが減ってきているとのお話もあり、苦労しているんだと思いましたが、この味はすごい、大丈夫だと感じました。パン屋の仕事の大変さがわかるだけに、二人で一所懸命働く姿に嬉しくなりました。ご主人は、オニパンのホームページを見てくれているようで「塚原の小麦のパンは持ってきていないのですか」と尋ねていました。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA (この写真は、オニパンのお客様が撮っていた写真をお借りしました) 26日の大分駅前の由布市のイベント。想像以上に盛り上がっていたので、びっくりしました。由布市のスタッフの方が5~6人でパンの販売をやってくれました。これは、ほぼ終わりの時の写真です。私が話している方は、あの湯布院の老舗「まきのや」のご主人。「まきのや」さんは、私とお話がしたくて残っていたとのことでした(オニパンと2店舗で販売するということでしたが、少し遅れて到着した私でしたが、その時は開店から15分で完売しお店がありませんでした)。私も「まきのや」さんとお話ししたいことがありました。

10年前東京でパン屋の修行をしていた時から、湯布院のマキノヤは有名でした。私が湯布院でパン屋を開業したいと修業先のあこ庵の社長に言うと、社長は「マキノヤがいるから大丈夫か」と口に。まあ、私の方は、張り合おうなんて夢にも思っていないし、うまくいくなんて考えてもなかったし・・・。東京修業の前から、あこがれのマキノヤは相当意識はしていました。マキノヤにも行ってパンを買いました。そして、食パンが食べたくて、お店では手に入らないので、パンを卸していた「ことこと屋」「天井桟敷」に行って食パンのトーストを食べました。その時のことは今でも鮮明に覚えています。座った席も。「これが、あの、マキノヤの、食パンなのだ」と一口一口味わいながら食べました。パン屋を始める一年以上前のことです。マキノヤの先代は数年前なくなられ、息子が継いでいます。以前ちらっとお話をする機会があったのですが、一言二言で会話にもなりませんでした。その時、マキノヤさんは「オニパンの食パンはうまいねえ」と言ってくれてました。へ~気さくだと感じました。そして26日、お互いによくしゃべりました。全く飾らない方で、率直に実情も語ってくれました。商売の大変さ、今後の後継ぎのこと・・・。話していて、コヅチさん、マコズベーグルさんと共通の感覚にとらわれました。そうか、同業者って、こんな話になるんだなあ、気持ちが通じ合えるなあって。その人の人柄もあることはそうなんでしょうが。パン屋同士って、同業組合もないし、お互いライバルみたいな感じで、交流もないし。でもほんとは一番つながっていないといけない者同士なのでは。みんな大変な努力と苦労を重ねながら、夢をもって働いている。個人店(リテイルベーカリー)のオーナーは、ほとんどすべてと言っていいほど、パンへの憧れは持っているはず。そんなもの同士、つながらなくってどうするのと感じました。

イベントにありがとうって言いたい。いろいろと大事なものを教えてくれました。

夏休み そして 働き方革命?!

ずいぶん以前に折々帳を書いたっけ。もう忘れそうなくらい。2カ月近く前。ごめんなさい、読者様。その分、「オニパン&つかはらinfo」に日々の出来事を小出しで書いてますから、以前の分も呼び出して読んでください。結構オニパンの状況は把握できると思います。

どうして、折々帳を更新していないかというと、休みのたんびにさまざまにお仕事があるわけで、オニパンが停滞、退化しているわけではありません。まあ、わたしの体は日々退化、老化してパワーはなくなっていますが。

さて、恒例の夏休みの旅、今年は、否今年も、昨年と同じ島根方面へ一人旅。昨年通過した三瓶高原がなぜか心に残り、今年はそこを目当てに。調べてみると、三瓶高原の温泉や自然等とても素敵だと。塚原高原もいいが、規模が違う。せっかく行くだからと、途中広島の宮島サービスエリアで学生時代の友人と落ち合う。

DSCN4973[1] 彼が宮島の特製ランチでいいかというので、「おう、何でもいい

よ。」と。宮島名物カキフライが乗ってる。「待てよ、おれ、カキって、あたるんじゃなかったかな。」以前食べたとき、胃がおかしくなったことを覚えている。一つ食べてみた。おいしいが、なんか変。しばらく様子を見てると、唾液がタラタラと出てくる。おかしい。やめて、カツカレーを注文。

DSCN4974[1] カキフライ以外を食べてさらにカツカレーを食べる。胃が重たくなる。今日の夕食は大丈夫だろうか。せっかくのホテルの料理が食べれなかったら・・・。不安がよぎる。

DSCN4976[1] 友人と別れ、三瓶高原へ。胃は明らかにおかしい。途中、胃薬を購入。

三瓶高原への途中、「常清滝」という観光名所があった。そこへ立ち寄って、ワンショット。

DSCN4979[1] DSCN4984[1] そして三瓶荘着。

胃は何とか持ち直し、夕食をいただく。

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他のお客さん数組と一緒のレストランでのごはん。一人ぼっちで食べる夕食は、沈みゆく夕日とともに寂しさを覚える。その感覚が実はいいのだ。一人自分の存在を感じながら、気持ちは不思議と鮮明で鮮冷。日常の賑やかしさが、楽しく幸せだと、一人になったとき改めてわかるものだ。一人旅の良さは、日常を振り返れるということかな。そして、一人で旅するということは、いつも横にいる連れ合いに頼らず、自らの意志と感性のみが頼りということでもある。だから、感覚は鋭敏になる。

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参りましたねえ。三瓶山の広大さ、美しさ。知らなかったけど、島根を代表する山として「大山」(だいせん)と肩を並べているとか。登りやすくて、景色もグ~。けど、仕事で酷使された体にとっては、そう簡単な登山でもなかった。しかし、登りで2時間、下りは1時間弱。ふつう楽かな。

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それにしても、景色が良かったなあ~。そして、お花がたくさん!

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きりがないからやめとこう。「マツムシソウ」だったか、久しぶりに見たので、感激だった。

DSCN5031[1] 朝8時に宿を出て、下山したのが12時前。そして登山口前にあるレストハウスでランチ。昨日と同様カレー。そして、その後汗を流しに、本物の三瓶温泉へ。宿のお風呂は循環湯だった。三瓶温泉は相当湯量は豊富だという。せっかく来たんだから、本物に入っておかないと。

DSCN5032[1] DSCN5033[1] 三瓶温泉「鶴の湯」。風鈴がたくさん吊ってあった。この温泉の休憩所で手作り風鈴をつくって、それを吊るしている。カランカランとそれは賑やかに心地よい音色に包まれていた。そして、お風呂には誰もいない。番台はからっぽ。自販機でチケットを購入。そして入った。

DSCN5037[1] DSCN5038[1] 滝のように流れる湯。これはかかり湯と上がり湯。お風呂は濁った薬湯みたい。心地よい~!!宿の湯と全く違う!!

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左がお風呂の休憩室。いいですねえ、昭和をかんじますねえ。古いマッサージ機もあった。右は静かな街並み。人が少ない。静かな温泉町。三瓶の自然と温泉。とても良いところだ。おススメです。

そして三瓶を後にして、高速を小倉へと向けて走る。二日目は、息子の奥さんの両親、そして息子夫婦でお食事会。お話も盛り上がり、料理もおいしい!

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そして、夏休み終了の三日目の夜。最後の夕食は、以前より気になっていた西大分の「ブリックブロック」。ライブのリハをしている時間帯だった。お客は私一人。演奏を独り占め。贅沢なひとときだった。そして、犬猫ニワトリの待つオニパンへと帰宅。

夏休みは終わった。充実の3日間。もう7年ほどか、ママと一緒に泊を伴う旅行に行ったことがない。犬、猫、ニワトリなど動物がいると自由はきかない。塚原の牧場の人たちも同じだ。もっと厳しい。しかし、人間、ゆとりがないと元気も出てこない。仕方がないとあきらめず、工夫が出来ないかと考えなければ、変化も出ない。

自分一人だけのお店であれば、自由もきく。しかし、従業員さんをかかえ、お店を維持していこうとなると、休むことはできない。これまで、折々帳に何度も書いた、新しいオニパンスタイル。働き方、パンの方向性等々。最近はいつもそのことを考え、少しずつ実践をすすめている。

技術の進化とともに、労働時間の軽減が実現できる。新しい機器の導入で生産性をアップできる。発想の転換でよりおいしい簡単な調理法が生まれる。今考え、実践を進めている。そして、今週より、従業員さん、私の労働時間がわずかだが軽減されることになった。従業員さんは、完全週休2日制。私は木曜日の出勤時刻を4時から7時へ。これは、パンの質を落とさずに実現することができた、工夫の成果だ。

持続可能なスタイル。老化する体を前提とした、お店の継続。みなさんが楽しみにしてくれるパン作りやカフェでの憩。仕事は喜びだと思えるような働き方革命をしていきたい。

 

9周年 新しいスタート №183

KIMG0920[1] 本格的にパンに関わりだして、10年が過ぎました。やっと10年です。まだ駆け出しですね。パン屋になろうと思ってパンを意識的に作り出してからは23年が過ぎました。まあまあのキャリアか。(笑)オニパンカフェが開店して9年です。やっと、それらしいお店になってきたなと感じています。今までは、どうしても、何か大きな存在があり、その方にお伺いをたて、パン作りをしているような感じでした。どういえばいいかな、何か正解みたいなものがあり、それに自分のつくるものがあっているかなあ、みたいな。師匠の下で、間違ってないだろうかと不安になりながらやっているような。要するに、「自分のやり方」に自信が持ててない。それは、今でも自信があるわけではないのですが、ただ自分らしいやり方みたいなものがずいぶん確立されてきた。

オニパンらしさ。誰のものでもない自分らしさ。それは、一定の基礎が出来て初めて花開くものなのでしょう。土台がしっかりしてきて、その上にどんなものを創っていくか。今そんな時期にさしかかっているようです。

何事も新しいものに挑戦するとき、不安や戸惑いがつきものです。しかしそれは同時に広い世界を垣間見せてくれます。同じことばかりしていても、世界は広がりません。私にとって、オニパンにとって、5月の国産小麦導入は、そういう意味で新しい世界をもたらしてくれました。以前も玄米生地(2種の国産小麦や玄米粉)では随分と悩まされました。今回の新しく導入した国産小麦は3種、以前のものを入れると5種になります。それぞれに個性があります。味や質感、粘り等々から、発酵の状況。対象の個性が違うものに、機械的に同じ対応をしていては、上手に育てることはできません。人や動物、植物と同様です。パンも生き物なんですから。以前から使っている外麦も3種あります。それぞれの粉の特質を見極め、その粉に応じた対応をしていくという、何とも繊細な作業に目を向け意識が向きだしたこと、これがオニパンの新しいステージといえます。

もう一つ9周年として特筆すべきこと。それは何と言っても、パン小麦の収穫。自家製手作りを目指すというコンセプトを明確にして、あたらしいリーフレットを作ったのが昨年でした。オニパンカフェの特長は「自家製・手作り」この打ち出しで、できる限り自家製を貫こうと、小麦作りに挑戦しました。これによっても、新しい世界を知ることが出来ました。小麦がどのように成長していくのか。小麦の栽培の難しさ。収穫してからもいろいろと手間がかかること等々。

1昨年の小麦栽培は2か月ほどで失敗でした。鹿たちが一晩で食べつくしてしまいました。そして2度目の挑戦は、鉄柵作りからスタート。

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kimg03621 耕し kimg03581 種まき(11月8日)

kimg04981 種まき後2週間。kimg06141麦踏(一冬3回) その後追肥など2回。赤カビ病予防の薬剤散布。その他もろもろ。

DSCN4593[1] KIMG0921[1] KIMG0929[1]開花は5月7日。そんなに雨に降られず、奇跡的な結実。そして6月19日、園田爺さんがボランティアで収穫してくれました。

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DSCN4838[1] 即日天日干し。DSCN4841[1]

それからずっと家の2階で扇風機をかけっぱなし。2週間。DSCN4844[1]

DSCN4861[1] DSCN4886[1]園田爺さんが貸してくれた電動唐箕で第一段階の選別。DSCN4877[1] さらに私の考えたミキサーを使っての籾摺り。そして、もう一度電動唐箕で選別。結構大変な作業が続きました。

そして、ついに。

DSCN4883[1] DSCN4908[1]120キロのパン小麦が。これを製粉所に持って行って製粉してもらいます。

この小麦の品種は、岩手県産「銀河のちから」と「ゆきちから」2種。ちょうど半々で収穫しています。2種がブレンドされた小麦は、これだけで、食パンがつくれます。銀河のちからは超強力小麦、そしてゆきちからを半分入れることで、うまく膨れるはずです。この小麦がうまく育っていればの話ですが。たんぱく量が左右します。早くつくってみたい!小麦の名前は、私に命名権があります。小麦名は「塚原のゆめ」といたします。さて、どんな食パンが出来るのか。夢は広がります。

実り多き、夢の広がる9周年となりました。

RSCN4907[1]9周年の祝賀会。塩手さんはお休みでした。9周年を迎えられたのは、スタッフの皆さんのおかげです。それと、たくさんのサポーターさん、暖かなお客様のおかげです。体に気を付けながら、10周年を迎えたい。いつもありがとうございます。

収穫。新たな始まり。 №182

DSCN4822[1]多くの偶然、暖かなサポート、そして見果てぬ夢か。いろんな要素がうまくミキシングされて、パン小麦の収穫へと導いてくれた。3度目の正直なのだろうと、昨年に引き続く失敗を覚悟していただけに、いまだに信じられない感情が体に走る。スタートは昨年の10月8日。10アールの畑に、牛糞をトラック1杯入れ耕すところから始まった。PKセーブ422を35㎏追加。そして、11月8日播種。「銀河のちから」と「ゆきちから」の2種類の小麦の種をまく。

11月15日発芽。そして、昨日6月19日刈り入れ。その間、いろいろとお世話してきたが、農業者からもよく育っているとお褒めの言葉もいただいた。宇佐の農林水産試験場の方の指導もいただきながら、ここまでたどり着いた。いちばんありがたいのは、なんといっても、「ソノダハッピーファーム」の地主さん、園田さんの援助だ。言葉少ない園田さんは、私の麦への愛情も天候への心配も読みとっていったのだろう、昨日朝から収穫を始めた。「収穫を始めた!」という情報が入り、パン作りを従業員さんに頼んで、あわてて畑に直行。園田さんは、黙々とコンバインを動かしていた。

DSCN4821[1] DSCN4827[1] DSCN4830[1] 私は、麦刈りのために、バインダーという機械を買っていたが、バインダーの動かし方もよくわかっていないし、園田さんが以前より手伝ってくれそうなことを言っていたので、頼り切っていた。そのコンバインを初めて見たが、すごいと思った。速い!そして実のみを選別し袋に入れていく。バインダーだと穂の丈の部分も一緒で、収穫後「せんばこき」で実を落とさねばならない。作業が大変になる。コンバインは30分程度で、作業を終了させた。爺さん(園田さんのことをそういっている)は、無口だが、本当に親切だ。このコンバインは最近購入したものだが、いつも、ハッピーファームの隣の爺さんの畑のハウスにおいている。コメを作っているわけでもなく・・・。もしかすると、私の麦のために買っているのではないのか。そう思えてくる。それ以外に考えられない。よくわからない謎のコンバインだが、はっきりしていることは、園田の爺さんがいなかったら、刈り入れはできないということだ。ありがとうございます。爺さん。

DSCN4829[1]爺さんは袋もちゃんと用意。こんな袋が5袋になった。一袋の重さは30キロはあった。収穫は約150キロか。爺さんは、ようとれたと褒めてくれた。パン小麦はいつ収穫するかのタイミングがむずかしい。3日前まで、実がまだ柔らかかった。ろうそくのロウぐらいの感じになるときが、タイミングだという。うまく、好天が続き、グングン固まってきた。そして、この日となった。天の味方!梅雨入りだというのに、まさに奇跡みたいだ。雨にあたると、熟した実が、発芽して、それによって成分が劣化する。「穂発芽」だ。ささらに、赤カビ病になるという。そのカビ毒は人体に悪い。赤カビ病にならないための、薬は散布しているが、それでも、病気になりやすいという。だから、この日の収穫は、本当に、ありがたい話だった。しかし、これですべてうまくいくというわけではない。次に問題となるのは、収穫後の実の乾燥。袋のまま一晩放置すると、蒸れてダメになる。だから、本来は乾燥機に入れなければならない。しかし爺さんの話では、この量だと乾燥機にいれて乾燥させることができないという。この2倍の収穫がないと、乾燥機がうまく動かないというのだ。だとすればどうすればいいのか。昔の人は、梅雨の晴れ間に、天日干ししたとのこと。ええっ、そんなことできるのか。これから一週間雨が続くのに。とにかく、すぐに乾燥させねばと、仕事そっちのけで(従業員さんのおかげ、そして、お客の少ない月曜日のおかげ、奇跡は続くみたいなかんじ)、昼前に天日干しスタート。何と良い天気なのか。暑い!

DSCN4838[1] 夕方まで、1時間おきに撹拌。中は少し湿った感じだ。そして、夜になる前に、家のガレージに移動。扇風機を一晩中かけておいた。

DSCN4840[1] これが、今日の朝。しかし、昼前には曇って、さらに雨が降りそうな雰囲気だ。私はあわてて、コメリでイグサのござを買ってきた。そして、自宅のあまり使わない2階の部屋にござを敷き、ここで乾燥させることにした。1週間もすれば、多分乾燥するだろう。

DSCN4844[1]あと製粉。これも、地元塚原の農業者の方から、庄内の製粉所を紹介していただくことになっている。何をするのも、いろんな方のお助けがなければ、前に進まない。

うまく、パン小麦が製粉できれば・・・夢が広がる。塚原の土と水と空気で育ったパン小麦を使って作る食パン。名前は「塚原高原食パン」だ。由布市では、パン小麦がつくられてない。岩手県産のしかも未来を拓く「銀河のちから」が収穫できるということになれば、ちょっとしたニュースだ。塚原高原が注目を集めるお助けにもなる。

日々の努力や創意工夫が豊かな暮らしにつながるような、そんな仕事をしていきたい。パン屋であることが喜びとなれるような、自信をもっておすすめできるような、そんな仕事であればなあと常々思っている。

そんな仕事への夢をいだいて、新たな始まりだ。

パン屋の休日 やっぱり山でしょう。 大分百山(大岩扇山、倉木山、雨乞岳、熊群山)制覇。

DSCN4658[1]このひと月、大分百山のうち、4山を制覇した。仕事の面で、いろいろと課題も山積している状況ではあったが、とりあえずゴールデンウィーク、コモレビカフェなどの一年で一番激しい期間を切り抜けたこともあり、体力づくりとストレス解消のため、せっせと山行を敢行した。詳しくはかけないが、参考までに表面を舐めるように記録する。

疲れた体のリフレッシュ・メンテナンスは、ゆるい運動とフレッシュな環境が良いと若いころに知った。近場で探すと、豊後森の大岩扇山(おおがんせんざん)があった。自衛隊の演習場である日出生台に続く、玖珠側の山だ。玖珠にはメサという台形の形をした山が多くある。溶岩台地とのこと。メサを初めて見たときUFOの着陸場かと思った。不思議な形で、神秘的でさえある。有名な万年山(はねやま)や切株山(きりかぶやま)もそうだ。日出生台の横を通る県道をまっすぐ道なりに進んでいった。初めての道。のどかでたくさんの牛たちが放牧されている。5月17日12時過ぎに登山口に到着。そうきつくもない整った道を歩いていくとまず目に入ってきたのは「涙石」。

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上に上ると、森町の景色が。森町は昔、久留島氏の城下町で、参勤交代のときこの岩に上って、故郷の町を眺め涙したとのこと。参勤交代も(以前、日出の七つ石山のことで折々帳にも書いたが)最終は日出の豊岡に出て、江戸に向かったそうだ。この道は山を越え由布岳の北側を通り日出へと続いていた。だから、そんなに急坂もなく大岩扇山の頂上まで登山口から小一時間で到着。途中、昔の雰囲気がのこる八丁坂などもある。

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メサの頂上台地は平べったいですねえ。

続いて、5月23日。倉木山へ。湯布院に来た頃(9年前ぐらいか)一度登ったことがある。その時は、あんまりぴんと来なかった。今回あまり乗り気ではなかったが、スタッフの川野さんも腰痛メンテで行くというので、ママと3人で行く。行ってよかった!倉木山は良い山でした。

DSCN4674[1] 登山口。心地よい空気(時期もあるかもしれませんが)、森林浴を兼ねながら、しっかり整備された山道を。それなりに途中の景色も見えつつ、山麗コースは快適。途中分かれ道があり、「急登コース」とあった。少し気になりながら、快適山麗コースで頂上へ。

DSCN4677[1] 倉木山は良い山でした。そして、下山は気になった「急登コース」を下ることに。写真を撮っていないが、かなり続く藪。背丈ぐらいの藪を漕ぎながら進む。時々、出っ張った石もありつまづきそうになる。そして藪を抜けると、例の急登。言い換えれば激坂。一歩間違えば、転落。こけたらおしまい。結構長い激坂に、足が棒のように。景色なんて何もない。倉木山は、コースを間違えると、全く「ダメな山」でした。

5月30日。由布市周辺の山として登ってないのが雨乞岳(あまごいだけ)。この山は、倉木山への道をさらに突き進んでいくと(倉木山登山口からさらに5キロほど先か)ある。

DSCN4685[1]こんな山道(林道)を進んでいくと、取りつきに出会う。注意してないとうっかり見落としてしまいそうだ。道路の脇に小さなオレンジの標識が。

DSCN4690[1] DSCN4692[1] ここから山の中へ。さあがんばるぞと思ったら20分ほどのぼると、尾根道へ。左に道をとって、20分も歩いただろうか、そこに雨乞岳の頂上が。

DSCN4695[1]眺望も今一つで。雨乞三山といわれる城ヶ岳、倉木山、雨乞岳三つとも登ったが、一番物足りない山だった。

そして、今日、6月14日、ついに、ついに、あの、恐げな山、熊群山に行くことに。この山行にはママは同伴せず。ママはミヤマキリシマを見に、オニパンのお客様の若い子と扇が鼻・星生山へ。私は、やさしき助っ人上田家具製作所のオーナーと。熊群山は危ない山と聞いているので、滑落とかした時に家族に連絡をしてもらわないと困るので同伴してもらった。もし上田さんがえらいことになったら、奥様に申し訳が立たないのだが・・・。

DSCN4759[1]だいたいがこの石段、石段っていうものじゃあないと思うんだけど・・・。ずーっとロープがあって、そのロープをもって上がらないと、下手をして足滑らせると、大変なことになる。人生で一番重くなっている私にとって、息を切らせるのにものの3分もかからなかった。「鬼のつくった99の石段」だって。どこかで聞いたような。「オニがつくった99塚」が塚原。日本中にあるのかなあ。でも、この石段は99以上あるぞ。そう感じた。これが終わって熊群神社上宮にたどり着くと・・・またもや出てきたのが、本物の崖。

DSCN4760[1] DSCN4763[1] DSCN4765[1] これはないでしょ。まあ、若者の上田さんは楽しげに登ってるけれど、私はなんせ人生最大の重さなので、ちょっときつい。パン屋で鍛えている上腕部があるので、腕で登っていく感じかな。しかし、足場がしっかりしていないので、冬や雨降りの後などは無理だ。息が慣れてくると、楽しくなってくるやんちゃな自分も感じたが。

DSCN4766[1] 途中一か所展望のきく場所が。石祠(いしほこ)がある所。由布岳がきれいに!

DSCN4767[1]登りきると、そこに待っているのは天国的な広場。平坦だけで幸せを感じられる。人生厳しいことが続くと、平凡な生活こそ幸せだと・・・平坦は天国だ。そして、どこが山頂なのかは全く分かりにくいメサの頂上部。表示があるのでそうなのかという頂上。木で囲われているから展望はなし。

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DSCN4773[1] そして、昼ごはんは、例の展望の良い石祠で。愛妻弁当です。

DSCN4778[1] DSCN4780[1] この辺りは、秋のころ黄葉するそうで、また来てみたい。熊群山はこのひと月で登った山の中で最も存在感のある山だった。期待を裏切らず、私の自信を培ってくれた。次は、あの、もっと怖げなのこぎり山だ~。減量せねば。