晴れ ドカ野郎がかっこよすぎる件。ちなみにドカ野郎というのは、イタリアのドカティというバイクに乗るライダーのことです。

 時々現れる元サイクリスト。というか、現在も乗っているそうです。以前infoにも登場した、木こりのダイさんです。このドカ野郎が、またまた凄腕を発揮してくれました。

 私が何度も挑戦した柿の木。怖くて、下手をしたら落ちるなと感じ、あきらめていた途中伐採をライダースーツを着て、高い梯子に登りチェンソーで!下から見ててもバランス崩したら大変だとこちらが冷や汗ものでした。

 

柿の木ってとても固いのです。杉やヒノキとえらい違い。またしても助けてくれた木こりのダイさん。かっこよくバリバリ音でドカ乗って去っていきました。

11回目の新年を迎えて 旧年は充実の一年 皆さんと共に歩めるオニパンを目指します。

 平成も終わり、新しい時代がやって来るという期待感。それほどに、今の日本に希望を抱いている人々が多くいるだろうか。あくせく働き、わずかの貯えをし、年金で老後をなんて考えられない状況の中、病気やけがで動けなくなれば、その貯えが尽きるときは命取り。戦後最長の好景気とか平均給与がアップとかアベノミクスを加速するとか・・・我々庶民の生活実感からすると、どこのお話かと聞きたくなる。庶民の暮らし、庶民の思いや感情にまで目線をおろして、実態を把握して政治が行われるならば、震災や被災者を置き去りにしたまま、原発を再起動したり海外に売ろうとしたり、軍備にばかりお金をかけたり、膨大にオリンピック予算を増やしていったりできるわけがない。子ども食堂ってなんだ。全国に広がっている善意の取り組みではあるが、なんでこんなことが起きているの。ご飯も食べられない子どもたちがいるのに、何が好景気なんて騒いでいられるの。「嘘は泥棒の始まり」って、嘘をつくことが家族や地域、社会を構成する人間にとって絶対認められない社会の規範、倫理だってことを、子どもたちに教えてきたのが大人たちだった。嘘をつくことがこんなにもたやすく、頻繁にされるものなら、社会は成立しなくなる。なんでもフェイクニュースで押し通せるようになったら、どうなるのか。ヒトラーがまた生まれ、その先は目に見えている。

今年が新しい年にふさわしく、希望の持てる世になるために、私たち年老いた者が頑張らねばという気持ちになっています。何を恐れる必要があるものか。なんて、偉そうに言ってはみても、現実は厳しいもので、いろんな考え方や、地域のしがらみやなにやかにや・・・。それでも、言わないことには、行動しないことには現実は変わらないので、オニパンらしく生活に根差しながら頑張っていこうと思っている新年なのです。

 昨年の「オニパン十大ニュース」なるものを、ママと話し合いました。すべてをこの折々帳には書けませんが、パン屋にかかわることについて記していきたいと思います。メガソーラー反対の住民運動の結果「ハッピーファーム」に変わったこの畑を小麦畑にしようともがいてきて、4度目の小麦づくりが始まりました。今年は昨年より1.5倍の15アールの面積に広げました。大きな重機を使って、牛糞を重実牧場に撒いていただきました。その後、私一人で畝を作り、タネをまき、肥料をやりと・・・・。結構大変でした。

 現在の状況。昨年は雑草にやられ、半ばあきらめ加減で製粉しました。その製粉所で新しい出会いがありました。宇佐市の「粉工房うさ」の社長さんです。6次産業に取り組んでいて、農業生産物を加工し商品化して売るわけです。ご存知の方も多いと思いますが、クロダマルを使ったきな粉とか。社長は、自らも揚げパンできな粉をまぶして売ったそうです。その出会いから、オニパンの新しい商品「きなこ丸」が生まれました。この一年の特長として、他業種の優れものとのコラボ商品が生まれてきたことがあります。オニパンの人気商品としてすでにしっかりと位置を据えた「ホイコーロお焼き」「タネカレーパン」。オニパンだけではできなかったものも、タイアップしてやれば、パン屋を超えた商品が出来る。そして、つながりが新しい方向で道を広げる可能性も含んでいると感じました。というのは、社長さんから農家直産のお店にきなこ丸を置かないかと誘われたり、その他の商品化の話を持ちかけられたり。さらに、社長は小麦を作ると、「銀河の力」(オニパンで作っている品種)を栽培してくれているわけで。今年は、岩手県で作られている銀河の力が大分で広がりを見せています(塚原でも知り合い2軒が栽培をしてくれています)。

   オニパン10大ニュースの中で、最も重要なものとしてママがあげるのは、「ゆふいんバーガーはうす」に卸を始めたこと。どうしてママがそういうのかというと、オニパンの売り上げがアップできたこと。ほんと、小さなお店にとって(別に大きな会社でも)一番大切なことは売上です。お客さんにとっては、おいしさとかサービスとかが大事でしょうが、お店を経営している者にとっては、売り上げが一番!オニパンが存続できるかどうかは(今の形で)、従業員さん次第と言っても過言ではない。従業員さんがあってのオニパンです。売り上げが確保できなくなれば、当然縮小。今のように、おいしいものは手作りできなくなります。網リンゴ、カレー、あんこ・・・作るのにどれだけ手間暇かかるか。オニパンの売りである「自家製・手づくり」は、従業員さんあってのこと。だから、「ゆふいんバーガーはうす」に足を向けて寝ることはできません。バーガーの社長ががんばっておいしいバーガーを作ってくれること、それで多くのお客さんが来ることに感謝です。バンズを作っても作っても足りないと言われる。一人で作るのも(時々奥さんも作っている)限界があるのですが、よくあれだけ作れるものだ。体を壊さないようにしていただきたい。

  売上アップに貢献しているのは、別府駅市場のオニパン別府店。耐震工事で一時の仮店舗としてスタートしました。北高架商店街の個性的な雰囲気が好きではあるものの、南高架商店街は便利な商店街。先ず駐車場がある。人通りが多い。商店街としての取り組みが活発など商売するものにとってはありがたい環境と条件。ただ、家賃や商店会費などが高いのはつらいところ。それでも、売り上げ的に見れば、ありがたいものがある。まだ正式ではないのですが、方向性として南商店街に3月以降移ることを視野に入れています。

オニパンの品質、製パン技術の問題としても昨年はレベルがアップしました。毎年向上しているのですが、10年を過ぎて、本当に安定してきたなと感じる一年でした。特筆すべきことは2点あると思います。一つは、発酵に関わって、冷蔵生地が上手に使えだしたこと。今まではオーバーナイト製法といって、一晩発酵させて翌日製パンする発酵方法が中心でした。この一年は、数種類(7~8種類)ある生地のうちいくつかを二日分つくりそのうちの半分を二日冷蔵させて製パンする方法に切り替えています。こうすることで、毎日全種類の生地を仕込まなくてもよくなり、その分新しい生地の開発や(例えば黒豆食パンの生地やユメ食パンの生地など)その他の仕事ができるようになりました。従業員さんも完全週休2日制になりました。

今一つ言えることは、オニ酵母がほぼ完成の域に達したことです。それまでは、後味等に課題があり、今一つおいしいとは言えない状況でした。日本パン技術研究所の黒田先生、パンアドバイザーの荒巻さんのヒントもあり製法を変えてみると、大きな変化が現れました。そして現在は半分以上をオニ酵母が占めるようになりました。それまでは、あこ酵母が7割しめていましたが。自家製酵母のお店といっても言い過ぎではないかと思います。味的にも依然と変わっていないと思います。ていうか、お客様は誰も気づいていません。

 さらに付け加えて言うと、ハード系の見栄えが良くなったこと。バゲットやカンパーニュなどのクープはほぼ安定的に美しく出来上がるようになりました。

  

ちょっと長くなってきました。まだお付き合い願っていたら、ここからが本番かも。この一年でもしかすると、一番大きなエポックかも。それは、「湯布院パン屋さん連合」のことです。

私はパン屋になろうと思って、東京で修業をしたわけです。わずか7カ月でしたが、とてもハードな修行だったと思いました。それは、自分にとってであり、実際働いているパン職人さんは、もっとハードな状況で働いていました。先ず4時から(日曜日は3時半)仕事を始めますがお昼まで休憩なしで立ちっぱなしで朝ご飯はおにぎりを一つ詰め込むだけ。トイレも行かない、行けない。そして終わりは遅いときは8時ごろ。早くて5時ごろ。休みは週に一日。一秒たりとも休まず、座らず、動き回る。マラソンなどやっていた私でしたが、立ち作業は苦痛でした。他の人たちはよくぞこんな労働に耐えれるものだと感心していました。そして、自分がパン屋になってからは、もっと激しい労働になりました。パン屋開業から5か月間くらいは朝の2時から夜の9時くらいまで働き詰めでした。病気になって、4時から7時くらいに縮小。それでもハードです。パンの技術をつけるために、お客さんに認めてもらうために、経営を持続させるためにとパン屋はとてもハードな仕事だと思います。こんなハードで儲からない仕事をどうしてやっていくのだろう。そう思えてきても不思議ではありません。それを続けさせるのは、おいしいパンが出来たことの喜び、お客様の笑顔、さらにパン作りへの情熱などなど。お客様はパン屋の身を削る努力のおかげで、おいしいパンを食べることができると言っても言い過ぎではないような、過酷な状況があります。しかし、パン屋という職種はある意味ステータスがあり、技術の難しさから憧れ的な職種でもあります。だからなのか、パン屋はお互いを意識して、なかなか一緒に何かをしたり、お互いのお店に気軽に出入りしたりしません。

一番パン屋の状況を知っているのはパン屋なわけで、そんな苦労しているパン屋同士が気軽に話もできないなんておかしい。以前からそう思っていました。数年前、食パンスライサーが故障したとき、食パンが切れなくなり困りました。さてどうするか。パン屋同士繋がってないことの問題を感じました。こんな時こそ、助けを借りなくっちゃ!と、由布院のこちょぱんに助けを求めました(以前にパン屋に行っていたから)。奥さんもご主人も助けてくれ、つながりが出来ました。アーゴスさんにも何度か行ってみました。そして、一年ほど前大分市駅の前で、由布市主催の復興お礼イベントがあり老舗「まきのや」の加来さんと話し込み、親しくなりました。機は熟したとのことで、やはり由布院ンの老舗「グランマ」さんと「まきのや」さんに、パン屋さんで一度集まって交流しませんかと働きかけをしました。わたしより年上のグランマの飛田さんは、「自分も以前から同じ思いだった」と共感してくれ、4月に交流会を開催する運びに。

 湯布院のパン屋さん7軒が集まり楽しい懇親会が開かれました。6時から8時との予定が、盛り上がり10時を過ぎていました。この日を境に、ずいぶん交流が深まっていきました。まきのやの加来さんは「ゆふいんパン屋さんマップ」を作ってくれました。

 このマップを持ってパン屋に訪れるお客さんとか「アーゴスさんに聞いて来ました。」とかそんな感じでお店を紹介しあうように。そして、昨年9月10月に話し合いを持ち、厳しいやり取りの末、3月4月に湯パ連としての統一企画を持つことになりました。すべての店舗でイチゴをテーマにしたパンを売り出すということに。今後その企画をどう演出していくかは次回の会議で。1月に新年会も計画しています。

長くなりました。それほど、充実の一年だったということ、ありがたいことです。今年が良い年となれるよう、地道に努力していこう!と決意するオニパンです。今年もよろしくお願いいたします。

 

ああ久住高原!畜産農家を訪ねて

 前回の続き。

久住に行ったのは、チヨウさんの家へ荷物を運ぶためと今一つは話題の畜産農家の実態を見学するためだった。チヨウさんが塚原に現れ、そのお世話をするなかで知り合った行政や畜産関係の方を通じて、初めて大分県の畜産農家について話を聞く機会に遭遇。大分県の肉牛市場や畜産農家の話は、興味をそそるものがある。チヨウさんは、竹田市の地域おこし協力隊に就職することになった。その仕事内容は、畜産農家のヘルパーだ。畜産農家は、牛のお世話で、1年365日、家を離れることはできない。仕事を休むこともできない。しかもほとんどの農家が高齢化で状況はより深刻。そこで考え出されたのが、ヘルパー制度。ヘルパー組合に参加し一定の費用を支払うことで、ヘルパーさんをお願いできることに。月に何回かお休みを取り、お茶をしたり小旅行へ行ったりできるようになった。竹田市は北海道に学び、日本でも先進的なヘルパー制度を作り出している。その組合長が前回紹介した植木さんだ。植木さんから資料もいただき、少し勉強させてもらった。ヘルパー制度は実にいい制度だ。なぜこんなことに気が付かなかったのだろう。国にとって大切な農業を守り発展させていくために、働きやすい労働条件は必須の問題なはずだ。朝から晩まで拘束され、それが一年中となったら、だれもあとを継ごうなんて思わない。情熱のみに頼る精神主義では発展できるはずはない。そして、もう一つ大事なことは、儲かるということ。生活ができる儲けが出ないことには、人も集まらない。

現在肉牛の市場は右肩上がりだそうだ。世界的に日本の牛肉は評価が高く、知っての通り、国内でも牛肉は高価なものとなっている。そして、最近も新聞報道されたが、豊後牛のブランド化が進んで、人気も出ている。子牛の場合買取価格は一頭80万から100万くらいの値がつくという。将来性のある仕事となっている。

 

 「100頭牛舎」という呼び方で、100頭が畜産農家の一つの目安みたいになっている。これが普通で、大きなところでは500頭とか。これらの写真は子牛さんたち。思ったのは、とてもかわいく人なつっこい。ストレスなく、かわいがられて育てられているんだ。だから、目が優しい。写真からもわかるように、フンもなく牛舎がきれい。世話が行き届いている。当然なのかくさい匂いがない。

 すごいなあと思ったことがあった。それがこの写真。これは、子牛たちが、ご飯を食べている場所。子牛が近づくと、自動的にえさが出る。食べすぎないのかなと思った。ところが、そうはならないように工夫がされている。子牛の首輪には、それぞれの個体のデーターが登録されてあり、それぞれに食べる量がコンピューターでコントロールされるようになっているというのだ。

 

子牛たちの餌場の裏側はこのような機械が備え付けてある。一日のえさの量が決まっていて、それぞれの子牛が今どれだけ餌を食べているか計算され、一日量まで来ると出ないことになる。なんとも合理的な仕組みだ。食べすぎることもないし、逆に食べる量が少ない子牛もチェックできる。こんな優れた機械・設備があったのだ。かなり前から導入しているという。さらに驚いたのは、畜産農家への支援・補助体制。この機械購入するのに300万円かかるらしいが、9割補助で自分で出したのは30万円だったそうだ。畜産農家は国からも期待されている分野だそうで、補助支援体制も充実しているとのこと。パン屋などは全く期待されてもなく、すべて個人の資金。(笑)

地域おこし協力隊での仕事は、月15日(一日7.5時間)働いて給料は16万8千円。住む家も補償してくれます。3年間の任期。条件は相当いいが、大切なのは姿勢や情熱、将来の目標。きつくてもねばりづよくがんばれないと続かない。

国の将来を見据えて、どこに税金をつぎ込み、事業や研究を進めていくか。心配な事象があちらこちらで散見されるが、畜産農家の分野ではぜひがんばってほしいと思う。チヨウさんや植木さんのおかげで、いろいろと社会勉強をさせていただいた。ありがとうございます。

ああ久住高原! 畜産農家と素晴らしい自然、おいしいピザとワイン!

あまりに内容が濃すぎたからか、なかなかパソコンに向かえなかった。体調が今一つだと、文章を書くのにも踏ん切りがいる。う~ん、今日こそ書かなきゃとやっとスタートを迎える。7月24日(火)の久住高原ミニトリップ(小旅行)は、以前より予定されていたビッグイベントだ。もはや、必然的、宿命的な臭いさえもしてくる。

それは、韓国のチヨウさんが、ふらりと塚原に現れたときよりプロローグが始まる。プライベートなことなのであまり深入りすることはできないか。・・・とも思ったが、ここは、遠慮せず、少し踏み込みたい。

40歳になるチヨウさんは、日本に来て7年になる。日本人の奥さんと韓国で結婚し生活を続けていたが、日本での暮らしに夢をもったのだろう。奥さんの実家の大阪で働き家を持ち、子どもたちも気づけば7人。一生懸命働くも、なかなか自分に合った仕事に巡り合えなかったようだ。話を聞くといろいろな仕事をやっている。家は農家で韓国では農業をしていたそうだ。大学の工学部を出ているので、機械にも詳しく、自分で家を建てた経験もある。だから、いろんなことができるし、知識も豊かだ。ふらりと現れて、オニパンで多くの手助けをしてくれたことは、今までinfoで紹介したのでここでは省く。

40歳のころ、一番人生に惑う頃だろう。私もそうだった。今の仕事は40のころ考え始めた。「四十にして惑わず」とは、反対の意味で、「四十のころ今までの人生を振り返り、今後の生き方を決めよう」みたいな諭しだと最近思うようになった。チヨウさんは、「大分県は農業をする人を求めている」と知り、ふらり関西汽船に乗って、別府にやってきた。そして電車に乗り、由布院駅に降り立った。さて、それからどうしたものかと歩きながら、立ち寄ったユースホステル「カントリーロード」で「畜産とか農業とかやってるところありませんか」(正確ではないが・・・そこまで聞いてないので、ゴメン。)と尋ね、それだったら、塚原がいいんじゃないとのことで、塚原まで歩いてきたようだ。それにしても、その行為というか、ある意味無謀にまで思えるその行動力に、チヨウさんが置かれていた状況や、自身の思いの強さがにじみ出ている。

塚原で岩田画房の奥さんにお世話になり、次にうちにやってきて、その後畜産農家などを何軒か紹介し、案内した。皆さん親切にお話ししてくれ、チヨウさんも感激したようだ。オニパンで泊まり食べる代わりに、家の仕事を数時間してもらうことにした。国際的な制度でウーハー制度というのがあるらしい。6時間の労働で、食事と宿を保障するというもの。それを適用。

県外より農業等をする青年を募集し地域おこしを行っている大分県。特に、豊後高田市や宇佐市、そして竹田市などが有名。県の職員さんに連絡を取り、その方とチヨウさんはその市を訪問した。とても親切な方で、休みの土曜日であったにもかかわらず行動したり・・・。一緒にまわっている中で、竹田市が行っている地域おこし協力隊が一番チヨウさんの思いに合っているということがわかり、その面接に踏み切ることに。2月10日、雪の日に塚原に現れ、その面接は3月の終わり。そして、その面接の会場で植木さんという畜産農家の組合長(正確ではないけど)と、運命的(大袈裟か)な出会いをすることになる。地域おこし協力隊の面接には、審査員として、植木さんや市長さんまで参加していたそうだ。チヨウさんの面接場面で、チヨウさんのことが気に入った植木さんは、その後いろいろとチヨウさんのお世話に奔走する。チヨウさんは植木さんを連れてオニパンにやってきて、その夜、深夜にわたる大宴会をしたことはinfoでも書いたと思う。初対面だったが、意気投合し、よく話しよく飲んだ。

チヨウさんは、4月より地域おこし協力隊員として今後3年間給料をもらい活動することになった。そして大阪の奥さんとも話合いを重ね、奥さんも8月より久住に移り住むことに。7人の子どもたちも移住!過疎化の進む久住にとってどれだけ喜ばしいことか!移り住む家も市が用意してくれることになった。古いが広くきれいな家だ。ここからやっと、本題に入る。

 7月24日軽トラを借りて、チヨウさんの新居へ荷物を運ぶことになった。なんせ、新居での生活に必要なものはいろいろとある。大阪の家は親せきが住むことになっているそうで、家具などを運ぶのは経費も掛かるし・・・ということで、こちらで調達できればいいに越したことはない。耳をすませば、結構うまくいくものだ。infoでも書いたが、九重のカフェ「タネトネ」で知り合ったお客さんが家を売るということで、中の家具、電化製品を全部廃棄するという話をカフェのオーナーにしていた。そこですかさず、手を挙げた。その方(Fさん)はとても親切な方で、驚くことばかり。上の写真に乗っている小さな冷蔵庫は、オニパンのお客様から頂いたものだ。大きな冷蔵庫はFさんが、オニパンまで持ってきてくれた。いざ、久住へ・・・その前に、もう一度Fさんの別荘によって、さらに頂き物がある。

  この写真が寄り道して、追加の頂き物を積んだ軽トラ。大量で怖かった。ちらりと見えているチヨウさんの新居。

そそくさと、荷物を下ろし、12時ジャストに待ち合わせの「久住ワイナリー」へ。誰とかというと、組合長の植木さん。植木さんは、私たちの来訪をとても楽しみにしてくれていて、久住ワイナリーが混むだろうということで、場所取りをしてくれていたのだ。

 

 雄大な久住の景観!塚原とは比べ物にならない。延々と続くブドウ畑!植木さんらの牧草地が利用されているそうだ。そして、ピザを中心とする工房に入ってからは、味覚と嗅覚、触覚を含め久々の垂涎の宴。感動もののひと時だった。

    これほど堪能したピザは初めて!うますぎます。そしてお得感のある値段。庶民にとってはこれが大事かも。ワインはすべて自家製。そのワインがなんともピザに合う。おいしくて、おいしくて、食べ過ぎましたよ。しかし、胃がもたれなかったのはなぜ?楽しかったからかな。食材がいいからかな。ほんとおススメです。私も絶対また行きます!

まだまだ、続きがあります。しかし、今日はここまで。続編は「畜産農家」編です。

開店10年!やっとたどり着けた現時点がオニパンの方向性を確定したスタート地点。これからはゆっくり進みたいと思います・・・。。

 目の覚めるような青空。果てしない宇宙が太陽光の青一色で描かれた涌蓋山の頂上。体調が今一つの状況の中で、私を心配して結構無理目で誘われて登った。ママにすれば、体調を心配しての(運動不足)配慮。私にすれば、ゆっくりしたいところだったが、登ってみると、不思議なもので、元気がよみがえってきた。ひと月ほど前の話だ。

 私は、4度目の涌蓋山で以前した「頂上ごろり」をやってみた。もう5年以上前のことかな。この折々帳でも書いたことを覚えている。涌蓋山に初めて登ったのが、高校2年生の3学期。50年近く前に見た景色もそんなに変わらなかっただろうな。あの日も晴れていたし。ほぼ50年後、同じ場所で、パン屋になった自分が同じ青空を見上げているとは想像すらできなかった。今年は30年に一度と言われるほどのミヤマキリシマの美しさだとか。見ごろを過ぎたその日でさえ、三俣山や久住山の扇ケ鼻の頂上付近が遠目で見てさえ、ピンクに染まっていた。

 以前からあるその景色が、同じように美しいものだったとしても、眺める自分は、50年前とは30年前とはそして5年前とは違う。以前には気が付かなかったことも気が付きそしてより繊細に見えるようになってきている。生きるということはそんなことなのだろう。自分のまわりの、あるいは自分の中の今までは気が付かなかったことがよりよく見えだし、愛おしいほどにかわいく、反吐が出るほどに醜く感じてしまう。年を取るほどに、生きてきたその人の人生観や価値観によって、その違いも大きくなってくるのだろう。

ちょっとしんみりとした出だしになった。そうだよなあ、パン屋をやりだした10年前とは違う。とくに、帯状疱疹の顔面しびれがまだ取れない状態の中では、若々しい気分にはなれない。けれど、年相応の若々しい気持ちは大事にせねばね。10年まえと同じような、行動はできないが、その分知恵を生かして(少ない分量のそれではあるが)ゆっくりと息長くね。

9周年の時、オニパンの目指すべき方向等確認し、この一年それなりに努力を積み重ねてきた。「木屋かみの」さんにお願いして作っていただいた室内用の看板(コンセプトボード)やワタナベデザインさんへの依頼で改訂したリーフレットにキホンが掲載されている。

オニパンの手法は「自家製・手づくり」。原材料のキホンは「国産小麦と天然酵母」ということだ。そしてパンの目指すべき方向性は「おいしい」ということ。

安心・安全は目指すべきこととして打ち出すよりも、食べ物として当然のことであり、手法と原材料のキホンからすればそこに落ち着くということだ。安心・安全を謳えば、味は二の次でも良いというものでもなく、天然酵母だから許されるというものでもない。

 

9周年から10周年の一年間で最も大きな変化・進歩の一つは、国産小麦(銀河のちから)の自家栽培だといえる。パン小麦がオニパンの畑でできたということは、たとえようのない喜びだったし、国産小麦を中心とするパン製造へのパワーともなった。大変割高な小麦づくり(特に製粉料)となったが、できたパンの質の高さには驚かされたし、今後への期待を高めるものとなった。

 

降り続く長雨に打たれっぱなしの銀河のちから。ことしの小麦づくりは、いろいろと困難を極めた。特にひどかったのは、雑草。初期手当てがいい加減だったので、気が付いたときは手遅れ状況。昨年より作付けは増やしたのに収穫は半分以下。それでも、収穫にまでたどり着けたのは、地主の園田さん宅一家のおかげ。今年は、息子の直彦さんがとても大変な状況の小麦を彼の技術で一部分でも刈ることができた。なんといっていいか…感謝の極みだ。

今一つの変化・進歩は、自家製酵母づくり。この10年自家製酵母(オニ酵母)の研究をやってきた。これは、そんな大したものではなく、単なる試行錯誤の繰り返しで、全く非科学的な実験。それを救ってくれたのは、たまたま知り合った、福岡のベーカリーアドバイザーの荒巻氏だった。彼は、あの酒種あんぱんを輩出した「銀座木村屋」の主任研究員だった田村先生の弟子でもある。そんな彼が、うちの酵母やパンを東京まで持っていって、アドバイスを田村先生からいただいた。そんなこともあり、オニ酵母研究は「目からうろこ的な」前進。

自家製小麦と自家製酵母、そして自家製あんこと自家製桜の塩漬けをつかった純度の高い「自家製桜あんぱん」を10周年記念品としてお客様に提供した。10年目の到達点としてふさわしいかな。

さらにこの一年間の突出事項として付け加えておきたいことがある。これは、今後のオニパンにとって大切な方向性の一つになるかもしれない(いや、そうなるべきだと思う)。それは、オニパン以外の傑出した材料、具材を使ったコラボ製造の方向性。最近の人気商品となった「ホイコーロお焼き」や「タネカレーパン」。このどちらを取ってみても、完成度は高い。お客様の評価は相当なものだ。コラボ製造は今まで考え付かなかったが、これはぜひとも探り続けていかねばならない方向性だといえる。

 

オニパンの10年の到達点は、まとめながら、結構盛りだくさんで内容も濃いなあと我ながら思った。方向性としては、この基本を今後も大切にしていくつもりだ。ただ、これからは、11周年とか15周年とか20周年なんてしない。ゆっくり、細々とでも続けられたら良いと考える。10年目にしてスタート地点につけるというのは、どの職種も同じだと思っている。やっとパン屋のスタート地点に立った。まだできていない技術的な課題は多い!情けない!

10年後のあるべき姿を想像して今を生きるが私の20歳からの考え方だったが、今から10年後は決して華々しいものではなく、ひっそりと穏やかな、それでいて多くの方の心の片隅にあるようなそんなパン屋カフェ。後期高齢者に入る時期に、どれだけの労働ができるのか。誰か後を継いでもらうほど、儲かる仕事でもないし・・・。今願うのは、労働時間の短縮、長期の休み、先を心配しなくて済む売り上げ増・・・。労働者の願うことはいつの世も同じかな。それにしても、この格差社会問題多いよな。