ああ久住高原! 畜産農家と素晴らしい自然、おいしいピザとワイン!

あまりに内容が濃すぎたからか、なかなかパソコンに向かえなかった。体調が今一つだと、文章を書くのにも踏ん切りがいる。う~ん、今日こそ書かなきゃとやっとスタートを迎える。7月24日(火)の久住高原ミニトリップ(小旅行)は、以前より予定されていたビッグイベントだ。もはや、必然的、宿命的な臭いさえもしてくる。

それは、韓国のチヨウさんが、ふらりと塚原に現れたときよりプロローグが始まる。プライベートなことなのであまり深入りすることはできないか。・・・とも思ったが、ここは、遠慮せず、少し踏み込みたい。

40歳になるチヨウさんは、日本に来て7年になる。日本人の奥さんと韓国で結婚し生活を続けていたが、日本での暮らしに夢をもったのだろう。奥さんの実家の大阪で働き家を持ち、子どもたちも気づけば7人。一生懸命働くも、なかなか自分に合った仕事に巡り合えなかったようだ。話を聞くといろいろな仕事をやっている。家は農家で韓国では農業をしていたそうだ。大学の工学部を出ているので、機械にも詳しく、自分で家を建てた経験もある。だから、いろんなことができるし、知識も豊かだ。ふらりと現れて、オニパンで多くの手助けをしてくれたことは、今までinfoで紹介したのでここでは省く。

40歳のころ、一番人生に惑う頃だろう。私もそうだった。今の仕事は40のころ考え始めた。「四十にして惑わず」とは、反対の意味で、「四十のころ今までの人生を振り返り、今後の生き方を決めよう」みたいな諭しだと最近思うようになった。チヨウさんは、「大分県は農業をする人を求めている」と知り、ふらり関西汽船に乗って、別府にやってきた。そして電車に乗り、由布院駅に降り立った。さて、それからどうしたものかと歩きながら、立ち寄ったユースホステル「カントリーロード」で「畜産とか農業とかやってるところありませんか」(正確ではないが・・・そこまで聞いてないので、ゴメン。)と尋ね、それだったら、塚原がいいんじゃないとのことで、塚原まで歩いてきたようだ。それにしても、その行為というか、ある意味無謀にまで思えるその行動力に、チヨウさんが置かれていた状況や、自身の思いの強さがにじみ出ている。

塚原で岩田画房の奥さんにお世話になり、次にうちにやってきて、その後畜産農家などを何軒か紹介し、案内した。皆さん親切にお話ししてくれ、チヨウさんも感激したようだ。オニパンで泊まり食べる代わりに、家の仕事を数時間してもらうことにした。国際的な制度でウーハー制度というのがあるらしい。6時間の労働で、食事と宿を保障するというもの。それを適用。

県外より農業等をする青年を募集し地域おこしを行っている大分県。特に、豊後高田市や宇佐市、そして竹田市などが有名。県の職員さんに連絡を取り、その方とチヨウさんはその市を訪問した。とても親切な方で、休みの土曜日であったにもかかわらず行動したり・・・。一緒にまわっている中で、竹田市が行っている地域おこし協力隊が一番チヨウさんの思いに合っているということがわかり、その面接に踏み切ることに。2月10日、雪の日に塚原に現れ、その面接は3月の終わり。そして、その面接の会場で植木さんという畜産農家の組合長(正確ではないけど)と、運命的(大袈裟か)な出会いをすることになる。地域おこし協力隊の面接には、審査員として、植木さんや市長さんまで参加していたそうだ。チヨウさんの面接場面で、チヨウさんのことが気に入った植木さんは、その後いろいろとチヨウさんのお世話に奔走する。チヨウさんは植木さんを連れてオニパンにやってきて、その夜、深夜にわたる大宴会をしたことはinfoでも書いたと思う。初対面だったが、意気投合し、よく話しよく飲んだ。

チヨウさんは、4月より地域おこし協力隊員として今後3年間給料をもらい活動することになった。そして大阪の奥さんとも話合いを重ね、奥さんも8月より久住に移り住むことに。7人の子どもたちも移住!過疎化の進む久住にとってどれだけ喜ばしいことか!移り住む家も市が用意してくれることになった。古いが広くきれいな家だ。ここからやっと、本題に入る。

 7月24日軽トラを借りて、チヨウさんの新居へ荷物を運ぶことになった。なんせ、新居での生活に必要なものはいろいろとある。大阪の家は親せきが住むことになっているそうで、家具などを運ぶのは経費も掛かるし・・・ということで、こちらで調達できればいいに越したことはない。耳をすませば、結構うまくいくものだ。infoでも書いたが、九重のカフェ「タネトネ」で知り合ったお客さんが家を売るということで、中の家具、電化製品を全部廃棄するという話をカフェのオーナーにしていた。そこですかさず、手を挙げた。その方(Fさん)はとても親切な方で、驚くことばかり。上の写真に乗っている小さな冷蔵庫は、オニパンのお客様から頂いたものだ。大きな冷蔵庫はFさんが、オニパンまで持ってきてくれた。いざ、久住へ・・・その前に、もう一度Fさんの別荘によって、さらに頂き物がある。

  この写真が寄り道して、追加の頂き物を積んだ軽トラ。大量で怖かった。ちらりと見えているチヨウさんの新居。

そそくさと、荷物を下ろし、12時ジャストに待ち合わせの「久住ワイナリー」へ。誰とかというと、組合長の植木さん。植木さんは、私たちの来訪をとても楽しみにしてくれていて、久住ワイナリーが混むだろうということで、場所取りをしてくれていたのだ。

 

 雄大な久住の景観!塚原とは比べ物にならない。延々と続くブドウ畑!植木さんらの牧草地が利用されているそうだ。そして、ピザを中心とする工房に入ってからは、味覚と嗅覚、触覚を含め久々の垂涎の宴。感動もののひと時だった。

    これほど堪能したピザは初めて!うますぎます。そしてお得感のある値段。庶民にとってはこれが大事かも。ワインはすべて自家製。そのワインがなんともピザに合う。おいしくて、おいしくて、食べ過ぎましたよ。しかし、胃がもたれなかったのはなぜ?楽しかったからかな。食材がいいからかな。ほんとおススメです。私も絶対また行きます!

まだまだ、続きがあります。しかし、今日はここまで。続編は「畜産農家」編です。

開店10年!やっとたどり着けた現時点がオニパンの方向性を確定したスタート地点。これからはゆっくり進みたいと思います・・・。。

 目の覚めるような青空。果てしない宇宙が太陽光の青一色で描かれた涌蓋山の頂上。体調が今一つの状況の中で、私を心配して結構無理目で誘われて登った。ママにすれば、体調を心配しての(運動不足)配慮。私にすれば、ゆっくりしたいところだったが、登ってみると、不思議なもので、元気がよみがえってきた。ひと月ほど前の話だ。

 私は、4度目の涌蓋山で以前した「頂上ごろり」をやってみた。もう5年以上前のことかな。この折々帳でも書いたことを覚えている。涌蓋山に初めて登ったのが、高校2年生の3学期。50年近く前に見た景色もそんなに変わらなかっただろうな。あの日も晴れていたし。ほぼ50年後、同じ場所で、パン屋になった自分が同じ青空を見上げているとは想像すらできなかった。今年は30年に一度と言われるほどのミヤマキリシマの美しさだとか。見ごろを過ぎたその日でさえ、三俣山や久住山の扇ケ鼻の頂上付近が遠目で見てさえ、ピンクに染まっていた。

 以前からあるその景色が、同じように美しいものだったとしても、眺める自分は、50年前とは30年前とはそして5年前とは違う。以前には気が付かなかったことも気が付きそしてより繊細に見えるようになってきている。生きるということはそんなことなのだろう。自分のまわりの、あるいは自分の中の今までは気が付かなかったことがよりよく見えだし、愛おしいほどにかわいく、反吐が出るほどに醜く感じてしまう。年を取るほどに、生きてきたその人の人生観や価値観によって、その違いも大きくなってくるのだろう。

ちょっとしんみりとした出だしになった。そうだよなあ、パン屋をやりだした10年前とは違う。とくに、帯状疱疹の顔面しびれがまだ取れない状態の中では、若々しい気分にはなれない。けれど、年相応の若々しい気持ちは大事にせねばね。10年まえと同じような、行動はできないが、その分知恵を生かして(少ない分量のそれではあるが)ゆっくりと息長くね。

9周年の時、オニパンの目指すべき方向等確認し、この一年それなりに努力を積み重ねてきた。「木屋かみの」さんにお願いして作っていただいた室内用の看板(コンセプトボード)やワタナベデザインさんへの依頼で改訂したリーフレットにキホンが掲載されている。

オニパンの手法は「自家製・手づくり」。原材料のキホンは「国産小麦と天然酵母」ということだ。そしてパンの目指すべき方向性は「おいしい」ということ。

安心・安全は目指すべきこととして打ち出すよりも、食べ物として当然のことであり、手法と原材料のキホンからすればそこに落ち着くということだ。安心・安全を謳えば、味は二の次でも良いというものでもなく、天然酵母だから許されるというものでもない。

 

9周年から10周年の一年間で最も大きな変化・進歩の一つは、国産小麦(銀河のちから)の自家栽培だといえる。パン小麦がオニパンの畑でできたということは、たとえようのない喜びだったし、国産小麦を中心とするパン製造へのパワーともなった。大変割高な小麦づくり(特に製粉料)となったが、できたパンの質の高さには驚かされたし、今後への期待を高めるものとなった。

 

降り続く長雨に打たれっぱなしの銀河のちから。ことしの小麦づくりは、いろいろと困難を極めた。特にひどかったのは、雑草。初期手当てがいい加減だったので、気が付いたときは手遅れ状況。昨年より作付けは増やしたのに収穫は半分以下。それでも、収穫にまでたどり着けたのは、地主の園田さん宅一家のおかげ。今年は、息子の直彦さんがとても大変な状況の小麦を彼の技術で一部分でも刈ることができた。なんといっていいか…感謝の極みだ。

今一つの変化・進歩は、自家製酵母づくり。この10年自家製酵母(オニ酵母)の研究をやってきた。これは、そんな大したものではなく、単なる試行錯誤の繰り返しで、全く非科学的な実験。それを救ってくれたのは、たまたま知り合った、福岡のベーカリーアドバイザーの荒巻氏だった。彼は、あの酒種あんぱんを輩出した「銀座木村屋」の主任研究員だった田村先生の弟子でもある。そんな彼が、うちの酵母やパンを東京まで持っていって、アドバイスを田村先生からいただいた。そんなこともあり、オニ酵母研究は「目からうろこ的な」前進。

自家製小麦と自家製酵母、そして自家製あんこと自家製桜の塩漬けをつかった純度の高い「自家製桜あんぱん」を10周年記念品としてお客様に提供した。10年目の到達点としてふさわしいかな。

さらにこの一年間の突出事項として付け加えておきたいことがある。これは、今後のオニパンにとって大切な方向性の一つになるかもしれない(いや、そうなるべきだと思う)。それは、オニパン以外の傑出した材料、具材を使ったコラボ製造の方向性。最近の人気商品となった「ホイコーロお焼き」や「タネカレーパン」。このどちらを取ってみても、完成度は高い。お客様の評価は相当なものだ。コラボ製造は今まで考え付かなかったが、これはぜひとも探り続けていかねばならない方向性だといえる。

 

オニパンの10年の到達点は、まとめながら、結構盛りだくさんで内容も濃いなあと我ながら思った。方向性としては、この基本を今後も大切にしていくつもりだ。ただ、これからは、11周年とか15周年とか20周年なんてしない。ゆっくり、細々とでも続けられたら良いと考える。10年目にしてスタート地点につけるというのは、どの職種も同じだと思っている。やっとパン屋のスタート地点に立った。まだできていない技術的な課題は多い!情けない!

10年後のあるべき姿を想像して今を生きるが私の20歳からの考え方だったが、今から10年後は決して華々しいものではなく、ひっそりと穏やかな、それでいて多くの方の心の片隅にあるようなそんなパン屋カフェ。後期高齢者に入る時期に、どれだけの労働ができるのか。誰か後を継いでもらうほど、儲かる仕事でもないし・・・。今願うのは、労働時間の短縮、長期の休み、先を心配しなくて済む売り上げ増・・・。労働者の願うことはいつの世も同じかな。それにしても、この格差社会問題多いよな。

 

やったぜ! 塚原ファン・ラン・ウォーク №188

折々帳あまりにもとび過ぎ!月に一回どころか、3カ月に一回のペース。とすると、200号に届くまでにあと4年かかる。そうすると私も68歳。う~。目標の300号にたどり着くには93歳までかかる。いくら何でもその年までパン屋をやって、折々帳を書くのは難しいだろうなあ。さて何号までだせるのか・・・。

書きたいことはいろいろとある。しかし、最近は「オニパン&つかはらinfo」にブログ調に日々の生活まで書いてしまって、折々帳の存在意義がうすれてきた。どちらかというと、折々帳はボリュームと内容で勝負みたいな感じで、書くのに身構えてしまう。時間もかかる。それで、ついつい先延ばししてしまうのだ。ごめんなさい、だから、折々帳を楽しみにしてくれている読者様、infoと併用みたいに考えてくれたほうがいいのかも。

しかしですねえ、今回は、書きたくて、書かずにはおれない心境なので書かしていただきますよ~!!

10年目にして初めてのイベント・・・それが、マラソン・ウォーキング大会とは!?      

初めからマラソン大会を考えていたわけではない。パン屋を続けていくためには、足腰を鍛えなければいけない。しかし、何か目標がなければジョギングなど続けるのもモチベーションが高まらない。やることはいろいろとあり、年とともに体も疲れやすくなり・・・・。4年前にたまたま正月休みの日曜日に大阪でハーフマラソンの大会があることを知って、3カ月ほど前より練習を重ねて大会に出たことがある。しかし、悲しいかな、大会はいつも日曜日。パン屋は日曜日はお仕事。

私の人生で今になってつくづく思うことがある。今になってこそ気が付くことでもある。私がなんとか今までやってこれた(仕事や暮らし)のは、30代後半より始めたジョギングのおかげなのではということ。30代に2回ほど調子が悪くて短期入院。タバコと過労、食事などのせいか。健康を考え、タバコを止め、ジョギングや山登りを始める。これは今までも何度も書いてきた話。ジョギングからマラソンへ。30代後半から50歳のころまではよく走った。体が軽くなり、筋力も付き、教員の仕事もジョギングや登山のおかげで乗り越えることができた。変な話だが、荒れた学校での悪ガキとの付き合いの上で、動物的な力(逃げる子どもをいつでも捕まえることができる)は、荒れた子どもたちから畏敬の対象として見られる側面がある(もちろん教師としての人格が伴っての話だが)。屋根の上に上って、卒業式の練習に出てこない7人の男子たちは、私には一目を置いてくれた。なぜって、私は屋根に上る体力があったから。もちろん、屋根に上らないでも他の教育的指導の方法はいろいろとあるが。しかし、荒れた動物的な子どもたちには、動物的な接し方も有効だと思う。殴るっていうことじゃなくて。パン屋の修行に行った時も、マラソンをやってなかったら、到底あの立ち仕事を続けることができなかったと思える。53歳の時だった。今の自分がここにいるのは、体力的側面から言えば、ジョギングを続けてきたからだと言える。

パン屋はマラソン大会に参加できない。なぜなら、日曜日にイベントがあるから。マラソン大会は本当に魅力ですよ。老若男女が入り乱れ、かっこよく走り去る人から、ふらふらで今にも倒れそうな方。しかし、ゴールをした人たちは、ほぼみなさん生き生きとした表情で充実感に満ち溢れているのですから。こんなイベントに参加できない職種の人たちがいるってのは、その人たちにとっては人生の損失、大損失と言っても過言ではない。

そこで考え付いたのは、参加できないのであれば、参加できる日に主催すればいいのだということ。人数が多くなくても、一人でなければやる気も違ってくるし、それなりに楽しいことになりそうだし。

img008 12月にチラシを制作。10~20名程度集まればやる気も出るなと考える。従業員さん(清家、川野さん)も参加するし、ママも。これだけでもやる意義はある。ウォークもあった方がいいということで(そうすれば、運動不足の人が健康を考えるきっかけにもなるし)ウォークもいれる。

ネットでマラソン大会に必要な準備を調べる。いろいろとある。エイドステーション・・・・。なるほどエイドか。それだけでなくて、ランチも考えるか。てなことで、ママと相談。ママに相談すると、ママは食にこだわるほうだから、いろいろと考えだした。

パンに何種類かの具材を挟んで食べる。パンも2種類だそう。スープは2種類。食べる前にカフェコーナーでぜんざい、オリジナル手作りクッキー、紅茶とコーヒー。おっと、食べるのが少ないわ(自分の食べる量で判断するので)追加にフレンチトーストも。エイドステーションには、水とエネルギードリンク、バナナとクランベリーチーズはどうかしら。

マラソンイベントというより、食のイベントみたいな感じで準備が進む。

当日が近づいてくると、準備も大変になってくる。ホイコーロお焼きを提供してくれている中島さんが前日から具材の下準備に来てくれる。清家さんも手作りクッキーをたくさん作ってくれた。このクッキーが実にうまい。3種類くらい作ってくれた。

私の方もいろいろと準備が大変だったが、地元の方を含め数名の人が前日までの準備に力を貸してくださった。

DSCN5843[1] DSCN5844[1]

DSCN5845[1] 残念なことに写真をあまりとってない。自分も走ることに意識が向いていて、イベントの記録を取ることが弱かった。残念です。

20180328塚原FRW002 20180328塚原FRW004

塚原ファン・ラン・ウォークのテーマは「ピース&ヘルス」。平和と健康が一番というのはオニパンのテーマでもあります。参加者はウォークが17名。ラン(5キロ、10キロ。16キロ)は、合わせて27名。44名の参加者とボランティアスタッフが8名。50名を超える人たちで結構にぎやかになりました。20180328塚原FRW030 20180328塚原FRW054 20180328塚原FRW067

私は10キロに参加。ママは5キロに参加。ともに完走できました。うれし~!左の写真が私。ママは右のどこにいるでしょうか。

20180328塚原FRW059 右の人は別府のコーヒー屋の方。ほとんど練習をしてないのに10キロに挑戦。やめとけって言ったのですが、本人はやるって聞かない。しかし彼は、10キロをすべて歩きとおして完歩。初めから終わりまで。左の白い服を着ている人は地元の青年(中年?)。面白い方で、エイドステーションで私と一緒になると、飲んだり食べたりで、宴会のように。私はマラソンの途中であることを忘れそうになりました。だいぶタイムロスに。20180328塚原FRW047 20180328塚原FRW051

地元の匙やさん(左)匙やさんは3年ほど前フルを3時間30分近くで走ったとのこと。久しぶりに走るので自信がないと言ってました。地元の安川さん(右)。安川さんは救護班(お医者さんだから)をお願いしてたのに、自分も走ってみたいと、10キロに挑戦。2割は歩いたとのことだが、めでたく完走。そして、難コース16キロ組は・・・。

20180328塚原FRW037 カルカンの中村屋、工場長も参加。5名がエントリー。20180328塚原FRW128 20180328塚原FRW229 韓国のチヨウさんが参加。国際大会に。いい笑顔ですが、その後かなりきつい状況に。

20180328塚原FRW169 宇佐から参加の高橋さん。高橋さんは塚原の「ぽこあぽこ」のカズちゃんの弟さん(後で知りました)。とても軽快な走りで第2位でした。

20180328塚原FRW142 そしてこの方。由布院ユースホステルの嘉手川さん。とんでもないスピードで1位。奥様の智美さんもすごい人で、10キロコースでぶっちぎりの1位。夫婦そろってすごいランナーです。

20180328塚原FRW195 宇佐から来た高木さん。この方ずいぶんファンランしていましたね。終始笑顔でした。

20180328塚原FRW020 20180328塚原FRW023

20180328塚原FRW012 家族連れ、夫婦連れの皆さん。それぞれ楽しんでいましたね。

走り終わってからのランチタイムでは、オニパンサンドやクッキーなど大好評でした。1時過ぎに終了したのですが、残って夕方まで話が弾むグループもいました。そこでは、来年の塚原ファンランをどうするかまで勝手に実行委員会が結成されている有様で。

オニパン10年の歴史の中で、初めてであり最高だったマラソン・ウォークのイベント。汗を流し、自ら挑戦するというランニングやウォーキングの本来持つ良さをかみしめたひと時でした。やり切った感動というか、やっぱりマラソンはいいなあ。主催者が自ら出場するというのは、感動も2倍で(イベントの成功と合わせ)、来年へのやる気をたぎらせるものとなりましたね。

20180328塚原FRW147 おっと、忘れてました、大事な写真。オニパン隣の田中あっちゃん。暑い中、黙々と見守りやエイドステーションの仕事をやってくれました。こんなボランティアの方々のおかげで、成功したことを忘れてはいけませんね。

来年もやりますよ(もしかすると今年の秋かも)。「ピース&ヘルス」これが一番!

 

再会

今年6月で10周年を迎えるオニパンカフェ。この10年間様々な人と出会いそして別れてきた。お客さんの場合、「別れて」という言葉はしっくりしないが、もう会えないなというケースもある。遠くの場所へ引っ越したりとか。とても親しくしていて、物理的な事情で会えなくなる場合、いつまでも心に「会いたいなあ」という気持ちが残る。しかしそれも、徐々に忘れて、いないのが当たり前になってしまう。記憶が薄くなるというか・・・。

そんなある日(2月24日)何か見覚えのあるお客が入ってきた。ママが声を上げた。私は工房で仕事をしていたので、何かなと気になった。ママが「マスター、来てえ!」と叫んだ。「マスターわかる!?」 見るとやや大柄な体躯の男性(若者)が立っていた。

「あ~!!リー君と違う?」 彼はうなづいた。 そう、あのリー君だった。

リー君は中国人。オニパンがスタートして4,5年目の2年間、スタッフとしてオニパンを支えてくれたAPU(アジア太平洋立命館大学)の学生さんだ。先に働いていた彼の彼女の紹介でオニパンにやってきた。初めて来たとき、長髪でかっこいい服装、サングラスで現れた。しゃれた車に乗り。にやけた感じで、大丈夫かなと感じた。しかし、彼女であるオータン(わたしたちが呼んでいた愛称)がとても良い子で、リー君を受け入れないと彼女に悪いかなということで働いてもらうことに。

私たちの予想を裏切って、彼はなかなかの働き手だった。しかし、初めからそうだったわけではなく、ちょっとトイレに行くといって、たばこを吸ってきたりしていた。私は臭いで分かったので、注意した。もうやめられてもいいやと思ったが、彼は謝りそれからは吸わなくなった。しばらくすると、長髪も切って、さっぱりとした若者に変わっていった。別に長髪が悪いと言ってるわけではないが、リー君は短髪で働く職人に向いていると思った。

CIMG37671 右端がリー君。6年前の写真。ホームシェアしていたマンションにママと私と娘が招かれてパーティーをした時の写真。ごちそうは中華料理だった。驚いたのはその品数とおいしさ。ある程度準備をしていたとは思うが、スピーディに料理が並んでいく。料理をしているのは、たった一人リー君だった。この写真以外にも二人女の子がいたが、皆さん座ってしゃべっているだけ。リー君一人が奮闘!リー君はあまりしゃべらないが、思いはすごくある子だと思った。

彼はパン製造にかなり興味を抱いていたようだ。仕事も熱心で、2年目の終わり頃には成形から焼成までこなせるようになっていた。窯の仕事ができるようになるとは、バイトの域を超えている。

日本語があまり上手ではなかったリー君だが、卒業の時私たちにお礼の手紙を書いてきた。大変だっただろうなあ。そして、私たちに新しい彼女を紹介してくれた。オータン(前の彼女)とは、徐々に距離が出てきていた。オータンは勉強がよくできて、オーストラリアの大学院に進路が決まっていた。リー君は勉強は苦手で、卒業も半年伸びていた。私たちとしては複雑な気持ちだった。しかし、リー君がそのことを隠さず、卒業の時に手紙と彼女を紹介してくれたことは彼なりのオニパンへの誠意だったのだろう。

リー君が中国へ帰って丸5年の時が過ぎていた。リー君は今でもパンの製造のことが忘れられないらしく、中国でパン屋をやってみたいと言っていた。私を驚かせたことはそれだけではない。彼は、結婚していて、子どもも生まれていた。そのことも、報告したかったのだろう。DSCN5722[1] これがその写真。お嫁さんはとても明るい人だった。あれっと思って尋ねてみると・・・そう、リー君が卒業の時に連れてきた彼女。結婚してかわいい子どもができたのだ。良かったなあ~!

10年お店をやっていると、こんなこともあるのか。お客様だけでなく、スタッフとのありがたい再会も。

新年です。明けましておめでとうございます。

DSCN5586[1]

この冬初めての積雪。

ここで新年の一句。

雪ふりて薪づくりする新年の朝

こんな時のための薪ストーブ。ところが・・・・薪がない。こんな状況を作り出した原因は・・・・。忙しさ、計画性のなさ、呑気さ・・・。全てあてはまるでしょうが、やはり余裕のなさが最大の原因でしょう。新年を迎え、昨年を振り返るとき、先ずはこの現実をしっかり見ておかないとと思います。自分の置かれている状況を冷静に分析し、そこから、現実的な目標なり見通しを持つということでなければ、「今年の目標」っていっても、実現は無理ですよね。毎年、目標を持とうとやってきました。20代からの習慣。学生時代の先輩の教え。10年後の自分の姿を想像しながら、現在の自分のやることを考える。今やってないことは10年後には実現しない。蒔かぬ種は生えぬ。

10年後の自分はどうなっているだろう。74歳。後期高齢者の手前。しかし、まだまだ動き考えられる年齢ともいえるでしょう。引退してのんびりと山の暮らしに浸るという道もあるでしょうが、それにはちょっと魅力を感じながらも、きっとその方向へは行かないと思います。今思っていることは、できればパン屋を続けたい。何のためにパン屋を続けるかということが肝心なところではありますが。その方向性が少しずつ見えてきてると感じる今です。

今年6月で開店10周年。パン屋として独り立ちできたと感じています。ありがたいことです。ここにたどり着けた第一の要素は、まずはスタッフの支え。今まで未熟なパン屋としてやっていたころからのスタッフも含め。むしろ、未熟で、ハードな労働を強いられていた頃、オニパンを支えてくれた本城さんやひろちゃん。特にひろちゃんは朝の4時からの労働で正社員一名体制。固有名詞で言えばほかにもたくさん出てきますが、未熟なマスターとママのもとで、一生懸命働いてくれた多くの方々のおかげだといっても過言ではありません。

そして、二つ目としてパン作りの深化。発酵がパン作りの本質であり、あと素材、製造技術があると思います。何度も言ってきましたが、継続こそ力です。そして姿勢。毎日毎日が工夫と発見の日々となること、それが継続されることでパン作りは上手になります。そして、仕事も楽しくなってきます。日々ルーティンでは、熟練しません。新しいことに挑戦しなければ、前進はありません。開店当初20くらいのあこ庵で教えてもらったメニューからスタートしました。現在は50を超えるメニューです。新しいメニューは全て工夫でできたオリジナルみたいなもの。一つ新作が出来るたびにドラマは生まれ、お客との関係も豊かになります。そして昨年はまた一つ違った方向で新しいことが。それは、パン小麦が出来たこと。パン屋としては珍しいこと。ちょっと異方向的な感じも。大変な労働。現在もやっていますが、どこまで定着できるか。小麦への理解は深まりますが。さらに、「タネカレーパン」のような、専門料理家とのコラボ。自分だけの力ではできない専門的な分野で助けを借りることで、メニュー幅を増やす。これは、新しい取り組みとして良かったと思います。今年も、早速新作を考えています。以前から思っていた肉まんっぽい商品(おやき)が専門家の助けで実現しそうです。「タネカレーパン」、「おやき」など一つの商品だけでも商売できそうなアイテムが、普通に多数のパンの中に混じって売られているという贅沢。10年前には想像できなかったことです。

三つ目として言えることは、お客様の笑顔、支えと励まし。お店を続けていると、パンを仲介として人の人生ともかかわってきます。人生相談みたいな固い重いものではなく、パン屋として、喜びや癒しの場を提供したり、話に相槌を打つことでささやかな励ましとなったり・・・。おいしいものが仲介して、悩みを軽くし喜びを大きくするようなそんな効果があることを実感します。お店って特殊な存在だと思います。サラリーマンとは違う、社会的な影響力を感じます。たとえ儲かっていなくとも、社会的に影響力を持っているなあと思うことはたびたび。だからお客様とのつながりは、お店の商品売買と同様お店の持つ大切な仕事だと思います。お客様の笑顔がさらに増えるように、その笑顔がオニパンをさらに元気づけてくれるそんな関係が強まることを願っています。

さて、10年後を思い描くお話の続きですが。。ここではあまり立ち入らないでおきます。プライバシーもありますし。(笑) 少し触れさせてもらいますと。そうですねえ・・・縮小していますか。おいしいパンを特に主食となるような食パン系などを、家庭でも作れるやり方を考案。それをお母さん方に紹介する教室・・・。パン屋にとどまらず社会的に貢献できるようなお仕事。そして、パン屋を継続させるための新しい担い手。

11月12月と体調の悪い日が続きました。眠れない。睡眠障害なんですね。どうしたものかと、病院にも。パン屋で眠れないというのは、恐怖です。まず仕事を始める4時ごろから、(う~、しんどいなあ~)と思うと、どうやって一日ごまかそうかと重い気持ちになります。早く時間よ過ぎてくれ!みたいな日々です。人と話していても、目がしっかりしてなかったり、笑いが引きつったり。お酒も影響しているだろうと、12月に入ってお酒をやめました。何十年も毎日飲んできたので止められるかと心配でしたが、「眠れるなら・・・」と潔くストップできました。処方のお薬を飲むと強烈過ぎたのか、苦しくて・・・。別の弱いお薬に変えていただきました。別に悩みがあるわけでもないし。そして、お正月。初夢を。二日連続同じ夢でした。まさか。二日目はより具体的でした。一日目は、今までも時々見ていた「授業参観」のユメ。教員時代そんなことはなかったのに、授業参観の時間が迫ってくるのに、いまだ何の授業をするのか決めていない、懇談のための資料も作っていない・・・やべー!!二日目の夢は、授業参観の時間が迫ってくるのに、パン屋での仕事中で、従業員さんに大切な話をしているときに、呼び出しで、「早く来てください授業が始まります~」。お正月に二日連続で同じ夢を見るのはなぜなのか。これは、私の現状の謎解きのヒントだと思いました。

やることの多さ、能力以上の仕事量、やらねばならないという思い込み、抱え込む責任への負担・・・。まあいろいろあらあなって感じ。昨年は確かにいろいろとやってきました。仕事での新たな取り組み(国産小麦への方向換え、働き方改革)、自治区役員の仕事、パン小麦の収穫や製粉等。頭はパンパン(能力以上で)。初夢が教えてくれたのは、もう今のままでは無理ですよということだと思います。その結果、正月はゆっくりするどころか、年賀状書きで終わり。ほかにしたのは、物置の壁をチェンソーでつぶした(物置を広げようと思って)ぐらい。

そして、考え方を変えなければと思いました。一人で(自分で)できることは限界がある。今まで、何でも自分でしなければと考え、人に頼まずに、やって来た。そのことによって、能力が高まったのも事実だけれど、そのやり方では今のようになってしまう。できるだけ人に頼もう。早速、近所の有能なトミさんに、物置と波板の屋根作りを依頼。自分で作ろうと思っていましたがやめました。お酒も3日連続飲みました。お薬は飲んでいません。眠れました。新年あけて5日目の今日、従業員さんが初仕事をしている現瞬間、仕込みを頼んで、私はパソコンに向かってこの文章を書いています。今まで、そんなことはできませんでした。スタッフからも、一番働いていると評価されてきました。もうやめます。できません。違う形で頑張ろうと思います。これが出来るのも、従業員2人体制があるからです。一人では無理です。二人体制でも無理が出れば、縮小します。継続できないような無理はやめなければなりません。「持続可能」がキーワードですね。

DSCN5571[1] 昨日、日田市大山町の「木の花ガルテン」でお食事。お正月初めて家から出ました。

DSCN5568[1] 繁盛しています。大山町農協協同組合が主催する観光スポット。自作の農業生産物や工芸品などもたくさん売っています。町内の農家が作った農産物で50種類のバイキング。シニア1300円。一般1400円。私たちは、軽食のカフェでお食事でした。これだけ大掛かりで長く繁盛しているとはすごい。雇用の面でもいいなあと思いました。大山町の農業協同組合さん、立派!!私たちはここが目当てで日田市に来たわけではなく・・・、別の目的が。

DSCN5575[1] 実は、小麦の種まき機を私が誤ってつぶしてしまい、代替えの種まき機をオークションで落札し、日田市に立ち寄ったというわけで。忙中閑ありってわけで。

DSCN5576[1] でも、欲張りな私たちは、せっかく来たんだからと、杖立温泉にも寄りました。私が以前夏旅行に一人で行った所です。ママに言うと、温泉研究家のママは「ぜひ寄りたい」ということで。蒸し湯が特長の温泉地。

DSCN5580[1] いい雰囲気です。お風呂に入る前にサツマイモなど入れておくと、出来上がるということで。

DSCN5578[1] もちろん私は禁酒を破って飲酒を。帰りはママが運転です。恐い運転でも文句は言えません。

帰り着いたら8時でした。三平君やコースケは「散歩へ」って吠えまくり。それから散歩してまた一年の始まりです。

2月より塚原店は営業時間が変更になります。10時半開店。16時閉店です。別府店は変わりません。なお、明日開店時(塚原)は、ぜんざいサービスあります。別府店は1月19日(金)4周年、ぜんざいサービスあります。

今年もオニパンカフェよろしくお願いいたします。