やったぜ! 塚原ファン・ラン・ウォーク №188

折々帳あまりにもとび過ぎ!月に一回どころか、3カ月に一回のペース。とすると、200号に届くまでにあと4年かかる。そうすると私も68歳。う~。目標の300号にたどり着くには93歳までかかる。いくら何でもその年までパン屋をやって、折々帳を書くのは難しいだろうなあ。さて何号までだせるのか・・・。

書きたいことはいろいろとある。しかし、最近は「オニパン&つかはらinfo」にブログ調に日々の生活まで書いてしまって、折々帳の存在意義がうすれてきた。どちらかというと、折々帳はボリュームと内容で勝負みたいな感じで、書くのに身構えてしまう。時間もかかる。それで、ついつい先延ばししてしまうのだ。ごめんなさい、だから、折々帳を楽しみにしてくれている読者様、infoと併用みたいに考えてくれたほうがいいのかも。

しかしですねえ、今回は、書きたくて、書かずにはおれない心境なので書かしていただきますよ~!!

10年目にして初めてのイベント・・・それが、マラソン・ウォーキング大会とは!?      

初めからマラソン大会を考えていたわけではない。パン屋を続けていくためには、足腰を鍛えなければいけない。しかし、何か目標がなければジョギングなど続けるのもモチベーションが高まらない。やることはいろいろとあり、年とともに体も疲れやすくなり・・・・。4年前にたまたま正月休みの日曜日に大阪でハーフマラソンの大会があることを知って、3カ月ほど前より練習を重ねて大会に出たことがある。しかし、悲しいかな、大会はいつも日曜日。パン屋は日曜日はお仕事。

私の人生で今になってつくづく思うことがある。今になってこそ気が付くことでもある。私がなんとか今までやってこれた(仕事や暮らし)のは、30代後半より始めたジョギングのおかげなのではということ。30代に2回ほど調子が悪くて短期入院。タバコと過労、食事などのせいか。健康を考え、タバコを止め、ジョギングや山登りを始める。これは今までも何度も書いてきた話。ジョギングからマラソンへ。30代後半から50歳のころまではよく走った。体が軽くなり、筋力も付き、教員の仕事もジョギングや登山のおかげで乗り越えることができた。変な話だが、荒れた学校での悪ガキとの付き合いの上で、動物的な力(逃げる子どもをいつでも捕まえることができる)は、荒れた子どもたちから畏敬の対象として見られる側面がある(もちろん教師としての人格が伴っての話だが)。屋根の上に上って、卒業式の練習に出てこない7人の男子たちは、私には一目を置いてくれた。なぜって、私は屋根に上る体力があったから。もちろん、屋根に上らないでも他の教育的指導の方法はいろいろとあるが。しかし、荒れた動物的な子どもたちには、動物的な接し方も有効だと思う。殴るっていうことじゃなくて。パン屋の修行に行った時も、マラソンをやってなかったら、到底あの立ち仕事を続けることができなかったと思える。53歳の時だった。今の自分がここにいるのは、体力的側面から言えば、ジョギングを続けてきたからだと言える。

パン屋はマラソン大会に参加できない。なぜなら、日曜日にイベントがあるから。マラソン大会は本当に魅力ですよ。老若男女が入り乱れ、かっこよく走り去る人から、ふらふらで今にも倒れそうな方。しかし、ゴールをした人たちは、ほぼみなさん生き生きとした表情で充実感に満ち溢れているのですから。こんなイベントに参加できない職種の人たちがいるってのは、その人たちにとっては人生の損失、大損失と言っても過言ではない。

そこで考え付いたのは、参加できないのであれば、参加できる日に主催すればいいのだということ。人数が多くなくても、一人でなければやる気も違ってくるし、それなりに楽しいことになりそうだし。

img008 12月にチラシを制作。10~20名程度集まればやる気も出るなと考える。従業員さん(清家、川野さん)も参加するし、ママも。これだけでもやる意義はある。ウォークもあった方がいいということで(そうすれば、運動不足の人が健康を考えるきっかけにもなるし)ウォークもいれる。

ネットでマラソン大会に必要な準備を調べる。いろいろとある。エイドステーション・・・・。なるほどエイドか。それだけでなくて、ランチも考えるか。てなことで、ママと相談。ママに相談すると、ママは食にこだわるほうだから、いろいろと考えだした。

パンに何種類かの具材を挟んで食べる。パンも2種類だそう。スープは2種類。食べる前にカフェコーナーでぜんざい、オリジナル手作りクッキー、紅茶とコーヒー。おっと、食べるのが少ないわ(自分の食べる量で判断するので)追加にフレンチトーストも。エイドステーションには、水とエネルギードリンク、バナナとクランベリーチーズはどうかしら。

マラソンイベントというより、食のイベントみたいな感じで準備が進む。

当日が近づいてくると、準備も大変になってくる。ホイコーロお焼きを提供してくれている中島さんが前日から具材の下準備に来てくれる。清家さんも手作りクッキーをたくさん作ってくれた。このクッキーが実にうまい。3種類くらい作ってくれた。

私の方もいろいろと準備が大変だったが、地元の方を含め数名の人が前日までの準備に力を貸してくださった。

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DSCN5845[1] 残念なことに写真をあまりとってない。自分も走ることに意識が向いていて、イベントの記録を取ることが弱かった。残念です。

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塚原ファン・ラン・ウォークのテーマは「ピース&ヘルス」。平和と健康が一番というのはオニパンのテーマでもあります。参加者はウォークが17名。ラン(5キロ、10キロ。16キロ)は、合わせて27名。44名の参加者とボランティアスタッフが8名。50名を超える人たちで結構にぎやかになりました。20180328塚原FRW030 20180328塚原FRW054 20180328塚原FRW067

私は10キロに参加。ママは5キロに参加。ともに完走できました。うれし~!左の写真が私。ママは右のどこにいるでしょうか。

20180328塚原FRW059 右の人は別府のコーヒー屋の方。ほとんど練習をしてないのに10キロに挑戦。やめとけって言ったのですが、本人はやるって聞かない。しかし彼は、10キロをすべて歩きとおして完歩。初めから終わりまで。左の白い服を着ている人は地元の青年(中年?)。面白い方で、エイドステーションで私と一緒になると、飲んだり食べたりで、宴会のように。私はマラソンの途中であることを忘れそうになりました。だいぶタイムロスに。20180328塚原FRW047 20180328塚原FRW051

地元の匙やさん(左)匙やさんは3年ほど前フルを3時間30分近くで走ったとのこと。久しぶりに走るので自信がないと言ってました。地元の安川さん(右)。安川さんは救護班(お医者さんだから)をお願いしてたのに、自分も走ってみたいと、10キロに挑戦。2割は歩いたとのことだが、めでたく完走。そして、難コース16キロ組は・・・。

20180328塚原FRW037 カルカンの中村屋、工場長も参加。5名がエントリー。20180328塚原FRW128 20180328塚原FRW229 韓国のチヨウさんが参加。国際大会に。いい笑顔ですが、その後かなりきつい状況に。

20180328塚原FRW169 宇佐から参加の高橋さん。高橋さんは塚原の「ぽこあぽこ」のカズちゃんの弟さん(後で知りました)。とても軽快な走りで第2位でした。

20180328塚原FRW142 そしてこの方。由布院ユースホステルの嘉手川さん。とんでもないスピードで1位。奥様の智美さんもすごい人で、10キロコースでぶっちぎりの1位。夫婦そろってすごいランナーです。

20180328塚原FRW195 宇佐から来た高木さん。この方ずいぶんファンランしていましたね。終始笑顔でした。

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20180328塚原FRW012 家族連れ、夫婦連れの皆さん。それぞれ楽しんでいましたね。

走り終わってからのランチタイムでは、オニパンサンドやクッキーなど大好評でした。1時過ぎに終了したのですが、残って夕方まで話が弾むグループもいました。そこでは、来年の塚原ファンランをどうするかまで勝手に実行委員会が結成されている有様で。

オニパン10年の歴史の中で、初めてであり最高だったマラソン・ウォークのイベント。汗を流し、自ら挑戦するというランニングやウォーキングの本来持つ良さをかみしめたひと時でした。やり切った感動というか、やっぱりマラソンはいいなあ。主催者が自ら出場するというのは、感動も2倍で(イベントの成功と合わせ)、来年へのやる気をたぎらせるものとなりましたね。

20180328塚原FRW147 おっと、忘れてました、大事な写真。オニパン隣の田中あっちゃん。暑い中、黙々と見守りやエイドステーションの仕事をやってくれました。こんなボランティアの方々のおかげで、成功したことを忘れてはいけませんね。

来年もやりますよ(もしかすると今年の秋かも)。「ピース&ヘルス」これが一番!

 

再会

今年6月で10周年を迎えるオニパンカフェ。この10年間様々な人と出会いそして別れてきた。お客さんの場合、「別れて」という言葉はしっくりしないが、もう会えないなというケースもある。遠くの場所へ引っ越したりとか。とても親しくしていて、物理的な事情で会えなくなる場合、いつまでも心に「会いたいなあ」という気持ちが残る。しかしそれも、徐々に忘れて、いないのが当たり前になってしまう。記憶が薄くなるというか・・・。

そんなある日(2月24日)何か見覚えのあるお客が入ってきた。ママが声を上げた。私は工房で仕事をしていたので、何かなと気になった。ママが「マスター、来てえ!」と叫んだ。「マスターわかる!?」 見るとやや大柄な体躯の男性(若者)が立っていた。

「あ~!!リー君と違う?」 彼はうなづいた。 そう、あのリー君だった。

リー君は中国人。オニパンがスタートして4,5年目の2年間、スタッフとしてオニパンを支えてくれたAPU(アジア太平洋立命館大学)の学生さんだ。先に働いていた彼の彼女の紹介でオニパンにやってきた。初めて来たとき、長髪でかっこいい服装、サングラスで現れた。しゃれた車に乗り。にやけた感じで、大丈夫かなと感じた。しかし、彼女であるオータン(わたしたちが呼んでいた愛称)がとても良い子で、リー君を受け入れないと彼女に悪いかなということで働いてもらうことに。

私たちの予想を裏切って、彼はなかなかの働き手だった。しかし、初めからそうだったわけではなく、ちょっとトイレに行くといって、たばこを吸ってきたりしていた。私は臭いで分かったので、注意した。もうやめられてもいいやと思ったが、彼は謝りそれからは吸わなくなった。しばらくすると、長髪も切って、さっぱりとした若者に変わっていった。別に長髪が悪いと言ってるわけではないが、リー君は短髪で働く職人に向いていると思った。

CIMG37671 右端がリー君。6年前の写真。ホームシェアしていたマンションにママと私と娘が招かれてパーティーをした時の写真。ごちそうは中華料理だった。驚いたのはその品数とおいしさ。ある程度準備をしていたとは思うが、スピーディに料理が並んでいく。料理をしているのは、たった一人リー君だった。この写真以外にも二人女の子がいたが、皆さん座ってしゃべっているだけ。リー君一人が奮闘!リー君はあまりしゃべらないが、思いはすごくある子だと思った。

彼はパン製造にかなり興味を抱いていたようだ。仕事も熱心で、2年目の終わり頃には成形から焼成までこなせるようになっていた。窯の仕事ができるようになるとは、バイトの域を超えている。

日本語があまり上手ではなかったリー君だが、卒業の時私たちにお礼の手紙を書いてきた。大変だっただろうなあ。そして、私たちに新しい彼女を紹介してくれた。オータン(前の彼女)とは、徐々に距離が出てきていた。オータンは勉強がよくできて、オーストラリアの大学院に進路が決まっていた。リー君は勉強は苦手で、卒業も半年伸びていた。私たちとしては複雑な気持ちだった。しかし、リー君がそのことを隠さず、卒業の時に手紙と彼女を紹介してくれたことは彼なりのオニパンへの誠意だったのだろう。

リー君が中国へ帰って丸5年の時が過ぎていた。リー君は今でもパンの製造のことが忘れられないらしく、中国でパン屋をやってみたいと言っていた。私を驚かせたことはそれだけではない。彼は、結婚していて、子どもも生まれていた。そのことも、報告したかったのだろう。DSCN5722[1] これがその写真。お嫁さんはとても明るい人だった。あれっと思って尋ねてみると・・・そう、リー君が卒業の時に連れてきた彼女。結婚してかわいい子どもができたのだ。良かったなあ~!

10年お店をやっていると、こんなこともあるのか。お客様だけでなく、スタッフとのありがたい再会も。

新年です。明けましておめでとうございます。

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この冬初めての積雪。

ここで新年の一句。

雪ふりて薪づくりする新年の朝

こんな時のための薪ストーブ。ところが・・・・薪がない。こんな状況を作り出した原因は・・・・。忙しさ、計画性のなさ、呑気さ・・・。全てあてはまるでしょうが、やはり余裕のなさが最大の原因でしょう。新年を迎え、昨年を振り返るとき、先ずはこの現実をしっかり見ておかないとと思います。自分の置かれている状況を冷静に分析し、そこから、現実的な目標なり見通しを持つということでなければ、「今年の目標」っていっても、実現は無理ですよね。毎年、目標を持とうとやってきました。20代からの習慣。学生時代の先輩の教え。10年後の自分の姿を想像しながら、現在の自分のやることを考える。今やってないことは10年後には実現しない。蒔かぬ種は生えぬ。

10年後の自分はどうなっているだろう。74歳。後期高齢者の手前。しかし、まだまだ動き考えられる年齢ともいえるでしょう。引退してのんびりと山の暮らしに浸るという道もあるでしょうが、それにはちょっと魅力を感じながらも、きっとその方向へは行かないと思います。今思っていることは、できればパン屋を続けたい。何のためにパン屋を続けるかということが肝心なところではありますが。その方向性が少しずつ見えてきてると感じる今です。

今年6月で開店10周年。パン屋として独り立ちできたと感じています。ありがたいことです。ここにたどり着けた第一の要素は、まずはスタッフの支え。今まで未熟なパン屋としてやっていたころからのスタッフも含め。むしろ、未熟で、ハードな労働を強いられていた頃、オニパンを支えてくれた本城さんやひろちゃん。特にひろちゃんは朝の4時からの労働で正社員一名体制。固有名詞で言えばほかにもたくさん出てきますが、未熟なマスターとママのもとで、一生懸命働いてくれた多くの方々のおかげだといっても過言ではありません。

そして、二つ目としてパン作りの深化。発酵がパン作りの本質であり、あと素材、製造技術があると思います。何度も言ってきましたが、継続こそ力です。そして姿勢。毎日毎日が工夫と発見の日々となること、それが継続されることでパン作りは上手になります。そして、仕事も楽しくなってきます。日々ルーティンでは、熟練しません。新しいことに挑戦しなければ、前進はありません。開店当初20くらいのあこ庵で教えてもらったメニューからスタートしました。現在は50を超えるメニューです。新しいメニューは全て工夫でできたオリジナルみたいなもの。一つ新作が出来るたびにドラマは生まれ、お客との関係も豊かになります。そして昨年はまた一つ違った方向で新しいことが。それは、パン小麦が出来たこと。パン屋としては珍しいこと。ちょっと異方向的な感じも。大変な労働。現在もやっていますが、どこまで定着できるか。小麦への理解は深まりますが。さらに、「タネカレーパン」のような、専門料理家とのコラボ。自分だけの力ではできない専門的な分野で助けを借りることで、メニュー幅を増やす。これは、新しい取り組みとして良かったと思います。今年も、早速新作を考えています。以前から思っていた肉まんっぽい商品(おやき)が専門家の助けで実現しそうです。「タネカレーパン」、「おやき」など一つの商品だけでも商売できそうなアイテムが、普通に多数のパンの中に混じって売られているという贅沢。10年前には想像できなかったことです。

三つ目として言えることは、お客様の笑顔、支えと励まし。お店を続けていると、パンを仲介として人の人生ともかかわってきます。人生相談みたいな固い重いものではなく、パン屋として、喜びや癒しの場を提供したり、話に相槌を打つことでささやかな励ましとなったり・・・。おいしいものが仲介して、悩みを軽くし喜びを大きくするようなそんな効果があることを実感します。お店って特殊な存在だと思います。サラリーマンとは違う、社会的な影響力を感じます。たとえ儲かっていなくとも、社会的に影響力を持っているなあと思うことはたびたび。だからお客様とのつながりは、お店の商品売買と同様お店の持つ大切な仕事だと思います。お客様の笑顔がさらに増えるように、その笑顔がオニパンをさらに元気づけてくれるそんな関係が強まることを願っています。

さて、10年後を思い描くお話の続きですが。。ここではあまり立ち入らないでおきます。プライバシーもありますし。(笑) 少し触れさせてもらいますと。そうですねえ・・・縮小していますか。おいしいパンを特に主食となるような食パン系などを、家庭でも作れるやり方を考案。それをお母さん方に紹介する教室・・・。パン屋にとどまらず社会的に貢献できるようなお仕事。そして、パン屋を継続させるための新しい担い手。

11月12月と体調の悪い日が続きました。眠れない。睡眠障害なんですね。どうしたものかと、病院にも。パン屋で眠れないというのは、恐怖です。まず仕事を始める4時ごろから、(う~、しんどいなあ~)と思うと、どうやって一日ごまかそうかと重い気持ちになります。早く時間よ過ぎてくれ!みたいな日々です。人と話していても、目がしっかりしてなかったり、笑いが引きつったり。お酒も影響しているだろうと、12月に入ってお酒をやめました。何十年も毎日飲んできたので止められるかと心配でしたが、「眠れるなら・・・」と潔くストップできました。処方のお薬を飲むと強烈過ぎたのか、苦しくて・・・。別の弱いお薬に変えていただきました。別に悩みがあるわけでもないし。そして、お正月。初夢を。二日連続同じ夢でした。まさか。二日目はより具体的でした。一日目は、今までも時々見ていた「授業参観」のユメ。教員時代そんなことはなかったのに、授業参観の時間が迫ってくるのに、いまだ何の授業をするのか決めていない、懇談のための資料も作っていない・・・やべー!!二日目の夢は、授業参観の時間が迫ってくるのに、パン屋での仕事中で、従業員さんに大切な話をしているときに、呼び出しで、「早く来てください授業が始まります~」。お正月に二日連続で同じ夢を見るのはなぜなのか。これは、私の現状の謎解きのヒントだと思いました。

やることの多さ、能力以上の仕事量、やらねばならないという思い込み、抱え込む責任への負担・・・。まあいろいろあらあなって感じ。昨年は確かにいろいろとやってきました。仕事での新たな取り組み(国産小麦への方向換え、働き方改革)、自治区役員の仕事、パン小麦の収穫や製粉等。頭はパンパン(能力以上で)。初夢が教えてくれたのは、もう今のままでは無理ですよということだと思います。その結果、正月はゆっくりするどころか、年賀状書きで終わり。ほかにしたのは、物置の壁をチェンソーでつぶした(物置を広げようと思って)ぐらい。

そして、考え方を変えなければと思いました。一人で(自分で)できることは限界がある。今まで、何でも自分でしなければと考え、人に頼まずに、やって来た。そのことによって、能力が高まったのも事実だけれど、そのやり方では今のようになってしまう。できるだけ人に頼もう。早速、近所の有能なトミさんに、物置と波板の屋根作りを依頼。自分で作ろうと思っていましたがやめました。お酒も3日連続飲みました。お薬は飲んでいません。眠れました。新年あけて5日目の今日、従業員さんが初仕事をしている現瞬間、仕込みを頼んで、私はパソコンに向かってこの文章を書いています。今まで、そんなことはできませんでした。スタッフからも、一番働いていると評価されてきました。もうやめます。できません。違う形で頑張ろうと思います。これが出来るのも、従業員2人体制があるからです。一人では無理です。二人体制でも無理が出れば、縮小します。継続できないような無理はやめなければなりません。「持続可能」がキーワードですね。

DSCN5571[1] 昨日、日田市大山町の「木の花ガルテン」でお食事。お正月初めて家から出ました。

DSCN5568[1] 繁盛しています。大山町農協協同組合が主催する観光スポット。自作の農業生産物や工芸品などもたくさん売っています。町内の農家が作った農産物で50種類のバイキング。シニア1300円。一般1400円。私たちは、軽食のカフェでお食事でした。これだけ大掛かりで長く繁盛しているとはすごい。雇用の面でもいいなあと思いました。大山町の農業協同組合さん、立派!!私たちはここが目当てで日田市に来たわけではなく・・・、別の目的が。

DSCN5575[1] 実は、小麦の種まき機を私が誤ってつぶしてしまい、代替えの種まき機をオークションで落札し、日田市に立ち寄ったというわけで。忙中閑ありってわけで。

DSCN5576[1] でも、欲張りな私たちは、せっかく来たんだからと、杖立温泉にも寄りました。私が以前夏旅行に一人で行った所です。ママに言うと、温泉研究家のママは「ぜひ寄りたい」ということで。蒸し湯が特長の温泉地。

DSCN5580[1] いい雰囲気です。お風呂に入る前にサツマイモなど入れておくと、出来上がるということで。

DSCN5578[1] もちろん私は禁酒を破って飲酒を。帰りはママが運転です。恐い運転でも文句は言えません。

帰り着いたら8時でした。三平君やコースケは「散歩へ」って吠えまくり。それから散歩してまた一年の始まりです。

2月より塚原店は営業時間が変更になります。10時半開店。16時閉店です。別府店は変わりません。なお、明日開店時(塚原)は、ぜんざいサービスあります。別府店は1月19日(金)4周年、ぜんざいサービスあります。

今年もオニパンカフェよろしくお願いいたします。

 

 

 

イベントを通じてもたらされた多くの収穫!

DSCN5423[1] 前回の折々帳から3カ月が過ぎようとしている。名前を「たまたま帳」に変えようかと悩んでいる。折々の出来事への感想や思いは決して軽いものではなく、ここ数カ月の出来事は齢を重ねた自分自身にとっても、新鮮でもあり、鮮烈でもある。ゆっくり休んでいる暇もなく、休日と言えど、休むこともなく動き回っている。退職、引退、隠居、高齢者・・・感覚として無縁な響き。

イベントが二つ重なってしました。11月26日。この間、恒例となっている「赤野マルシェ」。大工の簔原さんが主宰するイベントが、昨年より大規模になり、場所も蓑原邸の庭から、「のぞみ園」となる。今一つは、由布市が主催する「由布市復興応援キャンペーン」のイベント。由布市のパン屋を集めたミニパンフェスを一部の企画として開催。どちらともそれなりのパンを持って行かなくてはならない。そして日曜日なので、平日よりも多くのパンが店売りとしても必要になる。

実績、キャリアというか、経験とはそれなりのものを生み出してくれる。冷蔵生地の技術や日持ちのするパン生地を前日夕方に焼き当日に仕上げるなどの工夫で、1年前の2倍以上の量を生産できるようになった。さらに付け足しておかねばならないのが、従業員さんの技量。小さなお店にしては私も含め3名の職人が朝からフル回転でパンを製造しているわけで、しかも3名の技術は相当にいい(手前味噌ながら)。11月26日、3名で朝4時から製造(私は3時から)。8時半からは、お隣のマチ子さんが、袋詰などのお手伝い。こうして、第一陣の「赤野マルシェ」へとパンを届けることができた。

DSCN5425[1] この販売の様子、私が何を言いたいのか、よくホームページをご覧いただいている方には察しが付くと思う。わかりやすいです。何が?お客様にとって、買いたいパンのことが!番重にたくさんの種類のパンをごちゃごちゃに入れて、パンを売っていた今までの販売方法がいかに問題があったか。9年間それを続けてきたのです。お店では、プライスカードがあり説明も書いているわけですが、イベント時には全くそれもなく、「このパンはどんなパン?」「おいくら?」となるわけです。最近は、パンの袋に値段シールを張り付けていましたが、それでもどんなパンかはわからない。本当に商売が下手というか、世間知らずのオニパンでした。この陳列パンボックスをつくろうと思ったのは、8月11日のビーコン祭りがきっかけでした。その時は何店舗かパン屋が出店していましたが、お隣のお店「マコズベーグル」さんが、なかなか素敵な入れ物で販売していました。詳しくは見てなかったのですが、その箱と、おいしそうなベーグル、そしてグワ~っと並んだお客様の列に圧倒され!!すごいなあ~!!あきれ果てるほどうらやましく思いました。あとでマコズベーグルさんの奥さんとご主人に話しかけました。すると、とても気さくな方たちで、オニパンの別府店にもよく行ってくれているということでした。

雑誌でしか知らなかったマコズベーグルさんと知り合えたこと、そして陳列ボックスのこと、お客さんが並んでくれない悲しい思いなどとても勉強になったイベントでした。もし次にイベントに参加するときは、この教訓を生かそうと思いました。

次のイベントは、11月26日に決定!10月くらいから、設計図を考えました。だいたい構想がまとまり、いざ作り出したのは、その6日前。やはりね。なんでもその調子でぎりぎりにならないとできません。本当にできるのか。6日前以前より、夢にまで出てくるほど、プレッシャーが。それでもしないのが私の性格。ママから、「気になるんなら早く作れば」と言われながら・・・。そして、つくりだすと、夢中になって時間も忘れ・・・。無心状態。もしかしたら。人生で一番楽しいひとときかも。特に工夫して自分だけの発想で便利なものが出来るとき、「創造性」というのかなあ、人間ってそんなとき、すごく幸せになるんだろう。縄文人があの芸術的な火炎土器をつくっているとき味わった感覚ではないのか。縄文人の気持ちがわかるなあ~。(だんだん飛躍するのも私の性格か)

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その陳列ボックスの詳細を知らない方もいるかもしれないので、写真を載せました。このボックスの特長は、商品の種類や量に応じて仕切りを移動できるところ。そして、その説明のプライスカードを移動できること。ボックスの背に2本の細長い板をはっています。その2本の板に穴を多数開けて、適度な場所に番線を差すことができる。これを使って販売をした由布市復興応援のイベント嬢が「エ~!あのボックス、マスターがつくったんですか~!すごく便利ですねえ。ポップの位置も変えられるし。」と感想を。私は「あんなの既製品で売ってるわけないでしょ。買ったら、2万円はするだろうし、そんなん買えんし。」するとイベント嬢は「2万円でも買えないと思うわ。」だって!嬉しいお話じゃないですか。そんな陳列ボックスの威力もあってか、二つのイベントともに完売でした。

この間のイベントで得たものは、製造量の増加、陳列ボックスという販売方法だけではありません。もしかすると、最も大きな収穫物だったのは・・・。それは、パン屋さんとの出会い。

8月のビーコン祭りのとき、マコズベーグルさんとお話ししました。子育てをしながら、週に一回の販売に向けて仕込みの日々。10数種類もあるスティックベーグルとそのほかのパンたち。スティックベーグルという斬新なベーグルの開発を思い立ったあたりの努力心には頭が下がるというか・・・。あれだけのお客様、ファンを持っているだけの根拠を垣間見る思いでした。包装から、販売スタイル、どれをとってもすごい!!多くのイベントで絶大な人気をほこっています。その夫婦お二人は、とても庶民的で!奥様は美人、旦那もまあまあか。(笑)

11月26日赤野マルシェでなつかしいパン屋さんと出会いました。それは、大分医大近くにお店がある「コヅチ」さん。

DSCN5437[1] 以前2度ほどお店でパンを買いコーヒーを飲んだことがありました。コヅチさん夫妻もオニパンに来てくれました。とてもかわいらしい奥さんと寡黙で誠実なご主人が、二人で頑張っているのがコヅチ。26日も相変わらずの人懐っこい奥さんとお話しを。話していると、自然と笑顔になるから不思議。素敵な奥様です。子育ても大変だろうけど、二人の真面目な仕事スタイルにはいつも感心してきました。

DSCN5445[1]DSCN5446[1] 納豆ピザと甘栗とクルミの入ったブリオッシュを購入。食べてみると、それはそれはおいしかった!!納豆ピザ・・・こんな発想とお味あるんだって感嘆。そしてブリオッシュもたくさんのクリとクルミ。原価率大丈夫かなと思えるほど。近くに大手のパン屋さんが開店し、お客さんが減ってきているとのお話もあり、苦労しているんだと思いましたが、この味はすごい、大丈夫だと感じました。パン屋の仕事の大変さがわかるだけに、二人で一所懸命働く姿に嬉しくなりました。ご主人は、オニパンのホームページを見てくれているようで「塚原の小麦のパンは持ってきていないのですか」と尋ねていました。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA (この写真は、オニパンのお客様が撮っていた写真をお借りしました) 26日の大分駅前の由布市のイベント。想像以上に盛り上がっていたので、びっくりしました。由布市のスタッフの方が5~6人でパンの販売をやってくれました。これは、ほぼ終わりの時の写真です。私が話している方は、あの湯布院の老舗「まきのや」のご主人。「まきのや」さんは、私とお話がしたくて残っていたとのことでした(オニパンと2店舗で販売するということでしたが、少し遅れて到着した私でしたが、その時は開店から15分で完売しお店がありませんでした)。私も「まきのや」さんとお話ししたいことがありました。

10年前東京でパン屋の修行をしていた時から、湯布院のマキノヤは有名でした。私が湯布院でパン屋を開業したいと修業先のあこ庵の社長に言うと、社長は「マキノヤがいるから大丈夫か」と口に。まあ、私の方は、張り合おうなんて夢にも思っていないし、うまくいくなんて考えてもなかったし・・・。東京修業の前から、あこがれのマキノヤは相当意識はしていました。マキノヤにも行ってパンを買いました。そして、食パンが食べたくて、お店では手に入らないので、パンを卸していた「ことこと屋」「天井桟敷」に行って食パンのトーストを食べました。その時のことは今でも鮮明に覚えています。座った席も。「これが、あの、マキノヤの、食パンなのだ」と一口一口味わいながら食べました。パン屋を始める一年以上前のことです。マキノヤの先代は数年前なくなられ、息子が継いでいます。以前ちらっとお話をする機会があったのですが、一言二言で会話にもなりませんでした。その時、マキノヤさんは「オニパンの食パンはうまいねえ」と言ってくれてました。へ~気さくだと感じました。そして26日、お互いによくしゃべりました。全く飾らない方で、率直に実情も語ってくれました。商売の大変さ、今後の後継ぎのこと・・・。話していて、コヅチさん、マコズベーグルさんと共通の感覚にとらわれました。そうか、同業者って、こんな話になるんだなあ、気持ちが通じ合えるなあって。その人の人柄もあることはそうなんでしょうが。パン屋同士って、同業組合もないし、お互いライバルみたいな感じで、交流もないし。でもほんとは一番つながっていないといけない者同士なのでは。みんな大変な努力と苦労を重ねながら、夢をもって働いている。個人店(リテイルベーカリー)のオーナーは、ほとんどすべてと言っていいほど、パンへの憧れは持っているはず。そんなもの同士、つながらなくってどうするのと感じました。

イベントにありがとうって言いたい。いろいろと大事なものを教えてくれました。

夏休み そして 働き方革命?!

ずいぶん以前に折々帳を書いたっけ。もう忘れそうなくらい。2カ月近く前。ごめんなさい、読者様。その分、「オニパン&つかはらinfo」に日々の出来事を小出しで書いてますから、以前の分も呼び出して読んでください。結構オニパンの状況は把握できると思います。

どうして、折々帳を更新していないかというと、休みのたんびにさまざまにお仕事があるわけで、オニパンが停滞、退化しているわけではありません。まあ、わたしの体は日々退化、老化してパワーはなくなっていますが。

さて、恒例の夏休みの旅、今年は、否今年も、昨年と同じ島根方面へ一人旅。昨年通過した三瓶高原がなぜか心に残り、今年はそこを目当てに。調べてみると、三瓶高原の温泉や自然等とても素敵だと。塚原高原もいいが、規模が違う。せっかく行くだからと、途中広島の宮島サービスエリアで学生時代の友人と落ち合う。

DSCN4973[1] 彼が宮島の特製ランチでいいかというので、「おう、何でもいい

よ。」と。宮島名物カキフライが乗ってる。「待てよ、おれ、カキって、あたるんじゃなかったかな。」以前食べたとき、胃がおかしくなったことを覚えている。一つ食べてみた。おいしいが、なんか変。しばらく様子を見てると、唾液がタラタラと出てくる。おかしい。やめて、カツカレーを注文。

DSCN4974[1] カキフライ以外を食べてさらにカツカレーを食べる。胃が重たくなる。今日の夕食は大丈夫だろうか。せっかくのホテルの料理が食べれなかったら・・・。不安がよぎる。

DSCN4976[1] 友人と別れ、三瓶高原へ。胃は明らかにおかしい。途中、胃薬を購入。

三瓶高原への途中、「常清滝」という観光名所があった。そこへ立ち寄って、ワンショット。

DSCN4979[1] DSCN4984[1] そして三瓶荘着。

胃は何とか持ち直し、夕食をいただく。

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他のお客さん数組と一緒のレストランでのごはん。一人ぼっちで食べる夕食は、沈みゆく夕日とともに寂しさを覚える。その感覚が実はいいのだ。一人自分の存在を感じながら、気持ちは不思議と鮮明で鮮冷。日常の賑やかしさが、楽しく幸せだと、一人になったとき改めてわかるものだ。一人旅の良さは、日常を振り返れるということかな。そして、一人で旅するということは、いつも横にいる連れ合いに頼らず、自らの意志と感性のみが頼りということでもある。だから、感覚は鋭敏になる。

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参りましたねえ。三瓶山の広大さ、美しさ。知らなかったけど、島根を代表する山として「大山」(だいせん)と肩を並べているとか。登りやすくて、景色もグ~。けど、仕事で酷使された体にとっては、そう簡単な登山でもなかった。しかし、登りで2時間、下りは1時間弱。ふつう楽かな。

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それにしても、景色が良かったなあ~。そして、お花がたくさん!

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きりがないからやめとこう。「マツムシソウ」だったか、久しぶりに見たので、感激だった。

DSCN5031[1] 朝8時に宿を出て、下山したのが12時前。そして登山口前にあるレストハウスでランチ。昨日と同様カレー。そして、その後汗を流しに、本物の三瓶温泉へ。宿のお風呂は循環湯だった。三瓶温泉は相当湯量は豊富だという。せっかく来たんだから、本物に入っておかないと。

DSCN5032[1] DSCN5033[1] 三瓶温泉「鶴の湯」。風鈴がたくさん吊ってあった。この温泉の休憩所で手作り風鈴をつくって、それを吊るしている。カランカランとそれは賑やかに心地よい音色に包まれていた。そして、お風呂には誰もいない。番台はからっぽ。自販機でチケットを購入。そして入った。

DSCN5037[1] DSCN5038[1] 滝のように流れる湯。これはかかり湯と上がり湯。お風呂は濁った薬湯みたい。心地よい~!!宿の湯と全く違う!!

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左がお風呂の休憩室。いいですねえ、昭和をかんじますねえ。古いマッサージ機もあった。右は静かな街並み。人が少ない。静かな温泉町。三瓶の自然と温泉。とても良いところだ。おススメです。

そして三瓶を後にして、高速を小倉へと向けて走る。二日目は、息子の奥さんの両親、そして息子夫婦でお食事会。お話も盛り上がり、料理もおいしい!

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そして、夏休み終了の三日目の夜。最後の夕食は、以前より気になっていた西大分の「ブリックブロック」。ライブのリハをしている時間帯だった。お客は私一人。演奏を独り占め。贅沢なひとときだった。そして、犬猫ニワトリの待つオニパンへと帰宅。

夏休みは終わった。充実の3日間。もう7年ほどか、ママと一緒に泊を伴う旅行に行ったことがない。犬、猫、ニワトリなど動物がいると自由はきかない。塚原の牧場の人たちも同じだ。もっと厳しい。しかし、人間、ゆとりがないと元気も出てこない。仕方がないとあきらめず、工夫が出来ないかと考えなければ、変化も出ない。

自分一人だけのお店であれば、自由もきく。しかし、従業員さんをかかえ、お店を維持していこうとなると、休むことはできない。これまで、折々帳に何度も書いた、新しいオニパンスタイル。働き方、パンの方向性等々。最近はいつもそのことを考え、少しずつ実践をすすめている。

技術の進化とともに、労働時間の軽減が実現できる。新しい機器の導入で生産性をアップできる。発想の転換でよりおいしい簡単な調理法が生まれる。今考え、実践を進めている。そして、今週より、従業員さん、私の労働時間がわずかだが軽減されることになった。従業員さんは、完全週休2日制。私は木曜日の出勤時刻を4時から7時へ。これは、パンの質を落とさずに実現することができた、工夫の成果だ。

持続可能なスタイル。老化する体を前提とした、お店の継続。みなさんが楽しみにしてくれるパン作りやカフェでの憩。仕事は喜びだと思えるような働き方革命をしていきたい。