明けましておめでとうございます。息長く続くための一年に!おいしいと笑顔が増える一年に!若くはないマスターとママだからこそ、経験と知恵で勝負の年に!

 半年ぶりの折々帳。文章が書けるか心配なほどに、脳の回転と記憶力が減退中。歳が原因という面もあるだろうが、日ごろの生活態度が最も老化に寄与していると思う。眠れない日が続き(特に悩みがあるわけでもないが)マイスリーという導眠剤を常用するようになった。これは、少し危険な薬だと最近知るようになる。お酒を40代のころより毎晩飲み続けている。これも、眠りの浅さの原因のようだ。パン屋の朝は早い。眠れないと、体が参ってしまうという強迫観念から、マイスリーを常用するようになっていた。

腰が痛い!足がつる!目が疲れ、視力が極端に悪くなる夕方。胃が重たく、少し多めに食べると、しんどくなる。大好きな豚骨ラーメンを食べると、胃が石のようにしんどくなる。もう5年くらい前からあきらめた。両手親指は付け根部分が痛く、もう7~8年ず~っと治ってない。頭の毛が薄くなっている。腹回りが太くなっている。もう嫌だ!こんなはずじゃあなかった!!

相次ぐ知人、友人の死。60代は多い気がする。それを乗り越えても、70代半ばでの死。がんが多い。つい、一昨日も、大阪の尊敬する先輩ががんで亡くなった。悲しみに耐えない。

歳を取るというのは、死と向かい合い、体の変化と向かい合い、「よいしょ」といちいち声を出しながら暮らすということなのか。いよいよ実感である。

「夢半ば」で亡くなるみたいな表現で、突然の死を無念視することはよくあるが、最近は、それは当たり前のことで、いいんじゃないかなと思う。「目標達成したぜ!」みたいな終わり方ってあるのかな。頭がぼけてない限り、夢(目標)を追い求め、その時々の達成段階で満足や充実を感じながら、生きていくしかないのだし、それで十分だと思う。いや、そういう生き方ができていればどんなにか幸せなことかと思う。

そう考えると、突然の死も、余命期限を意識しながらの死も、それほど悲しいことではないのかも。

新年に向けて、年末より、新たな取り組みを開始している。

生きる限りにおいて、ぼけてはいけない。というか、ぼけない努力をしないといけない。よって、マイスリーはやめた!眠れなくていい!ぼけるよりましだ。そして、お酒も週に3日は飲まない。すでに実践を初めている。すると、眠りが深くなった。マイスリーを飲んだ眠りよりも自然で、何か頭がすっきりしている。もっともっと頭のためになることをしなければ。すでに、相当ぼけが来ているのだから。ということで、新年そうそう、久しぶりに読書をした。ノーベル化学賞をとられた吉野彰さんがおすすめの「ロウソクの科学」。とても良い本だ。この本、実は二十歳のころ、良い本だと、知人に勧められたが読んでなかった本。ずっと意識していたが、まさか吉野さんが推薦するとは。パン屋も科学の素養が必要だ。おいしいパンを作ろうと思えば、科学的な思考や基礎教養(発酵などの)がないとだめだ。

 パン屋を目指す人がいれば、この2冊は必読文献。

さて、若干頭の方はなんとかなりそうだが、問題まだまだある。どうしようもない体問題。年末から腰痛がひどい。お正月ゆっくりしたら少しは改善するかなと思ったが、逆にひどくなっている。やはり、運動しかないのか。ということで、昨日、由布岳塚原コースを途中まで登る(2時間半のきつい運動)。今日の体の状況は・・・・なんと、腰痛が消えている(90%くらい)。やはりね。パン屋にとって運動は絶対必要なのだ。これも、パン屋になろうと思っている人は忘れないで。

今年の課題として今意識していること、それは労働軽減、より効率的な生産体制、そして美味しさの追求。なんと欲張りなこと。それに一歩近づける手段に気が付いたのが年末のこと。昨年、冷蔵生地や冷凍についてのいろんな方法があるとのことを知り、オニパンでもすでにいろいろと試しているところだ。開店当初より生地はオーバーナイトで発酵させるものだと決めつけてきた。焼きあがったものはその日に売り切るものだと決めつけてきた。しかし、現実的な問題としてそれはかなり無理がある方法だと最近は思っている。冷蔵生地にすれば二日分、三日分をまとめて仕込める。冷凍生地は扱い方によっておいしいパンが焼ける。焼きあがったパン生地でも冷凍の方法でうまさを維持できる。そうだ、冷凍という手段は、現在多くのパン屋の直面する課題を良い方向へ導く処方箋となるのでは!これに気が付いた!!

冷凍でも、やり方によってよりよい方法があるそうな。パン生地や具材をおいしく保つ方法が。ゆっくり冷凍するのではなく、できる限り早く凍らせるのが大切だと!業務用冷凍庫もかなりの能力があるのだろうがもっと力のある「急速凍結庫」など、零下40度レベルで一気に凍らせるという代物。大きいし、200Vの動力が必要。ほしい~欲しい!よし、躊躇している場合ではないのでは、ということで購入することに。しかし問題は設置場所。スペースだけではなく、夏場30度以上の場所では能力が発揮できないし下手をすれば壊れると業者が言う。それならば、造るしかない!ということで、建物の外に屋根を作り、設置する小屋を建てよう・・・みたいな。

年末、頼りのご近所さん、あのトミさん。私たちが塚原高原に店を構えようとするあたりからずいぶん助けてくれたスーパーな人。そのトミさんも今72歳。小屋を頼みました。3日かけて、屋根を作ってくれました。

 さすが、トミさん。しかし、あとは、私に作れという。う~できるかなあ?。正月2日、ハンズマンに軽トラをかりて材料を買いに行く。断熱材や壁板などは、たまたまオニパンの向かいで建築中の「無印良品の家」で働いている大工さんに頼むと、なんと半端なものを持ってけ!ということで、ごっぞりくれた!なんと正月そうそう、めでたいことだ。そして、4日かけて、ここまで製作。

 

この小屋に電源を引いて、高さ2メートル幅、奥行き1メートル近くの急速凍結庫が入るのだ。さらに、ストッカーの冷凍庫とジャムなどを保存する冷蔵庫も。さらにエアコンを設置して、夏場も涼しい冷蔵小屋に。

冷凍できる総菜パンの研究も進めている。これはママに頼んでる。

今年一年がオニパンにとって持続可能なお店の元年となることを願って。欲張りな目標ではあるけれど、やってみるしかない。もう後がない。

さて、旧年のがんばりへのご褒美として、まだいったことがなかった宝泉寺温泉へお風呂と昼ご飯へ(5日)。お泊りはできませんからね(犬猫さんがいるので)。

 いいですね、宝泉寺温泉。湯本屋。料理がうまい!そしてプレミアムビールもうまい!泡が「神泡」!

 グリーンラベルしか飲んでない私にとって、この泡は・・・!「泡の科学」を考えたくなりましたね。

 

 

 

慌ただしい年の瀬。忙中閑あり。おはぎを作ってみました。周りからは、「忙中になにやってんの」と非難されそう。

  おはぎを初めて作ってみました。オニパンの餡子がおいしいので、きっとおはぎにしてもおいしいだろうなと思っていました。案の定でした。ただ、作り方が今ひとつわからないので、ちょっと今後は・・・・。やはりパンの方が、自分には、向いているようです。

いよいよ年の瀬。一年の総決算。来年に向けて、オニパンは密かに新たな取り組みを開始しつつあります。とにかくお楽しみに。

 休みの水曜日、山はあきらめてサイクリング。いつもの場所へ。自転車は腰痛に効く。久々だったが、大丈夫だった。

 それにしてもどなたがお花を。嬉しいですねえ。多分・・・、想像する。誰に知ってほしいとか、見返りを求めるわけでなく、添えられた花。その人の優しい思いが、私をピュアにしてくれます。

夏休み 久々の夫婦旅。楽しかったと今になって思うこの頃。

振り返ってみると、折々帳は8か月前が前回。「書くことは考えること」とは有名な言葉だが、infoでのちょろ書きくらいしか書くことがなかった8か月、だとすればなるほどとうなずける事例が私の上に起きている。近頃よくママに言われる。あなた近頃おかしい!そう言われればそうなのかもしれない。じっくりと物事を考えてないのかもしれないなあ。ちょっと私的なことだが、反省しながら、この夏の夫婦旅を紹介しよう。

我が家には犬さんと猫さん、合わせて3匹いる。お世話があるので、旅は交代でしかできない。一人旅はそれなりにいいものだ。しかし、長年いつも二人で旅してきた我が身からすると、ちょっと寂しい面もある。それで、今回の夏休み、ご近所の方にお願いして、犬猫のお世話をしていただいた。

一番行きたかった大崩山。調べるほどに、二人には無理な山だと感じられた。ここ最近、とみに体力に自信をなくしつつある。特にママは、岩場は危険だと思う。もしものことがあれば、オニパンも終わり。今回はあきらめ(というか、一生あきらめ)、一泊でも行けそうな、見知らぬ地への旅を検討した。数年前私が一人旅した島根県の三瓶山(さんべさん)は、いい山だった。島根県まで旅できたのだから、広島県あたりは問題なく行けそう。それで、広島の一番高い山を探すと「恐羅漢山」(おそらかんざん)だとわかった。ちょっと気になる名前だとは思ったが、そこは無視。近くに三段峡という名勝もあり、そこに宿をとることにした。

 蒸し暑い日だった。8月18日(日)。「おそらさん」(地元の方はそう言っている)は、スキー場として一時期はそうとうなお客様がきていたようだ。後になってわかったが、私たちは一番きつい直登コースで頂上を目指したようだ。あの扇山みたいな感じもしないではなかった。扇山のほうがキツかったが。一時間半ほどで頂上にたどり着く。

 これは途中の分かれ道。

 頂上はこんな感じ。眺望は今一つ。

 自撮りの一枚。暑くて、汗びっしょり。でも、広島県の一番高い所を征服したので、ちょっと嬉しかったな。

おそらさんでは、夏場はキャンプや張られたケーブルを滑車でスーパーマンのように飛ぶスポーツが盛んにやられていた。子どもたちは目を輝かして遊んでいた。

さて、名勝三段峡の入り口に位置する三段峡ホテルへ直行。朝7時半に塚原を出発して5時間ほどのドライブ後山登り、そして5時ごろ宿に到着。

 ホテルは古そう。しかし玄関に「歓迎ひうら様」の札が。嬉しいものですねえ、ビップ気分になります。若いころ和歌山の竜神温泉の宿に行った時だったか「歓迎 大阪日浦様」と札に書かれていたのは。あの時以来のことだなあ。 3軒のお泊り様なんだ。ホテルは、結構古そう。後で主人と話して知ったが、築60年くらい。その前にも旅館はあり、現オーナーは3代目。5歳年上の70歳。なんと、恐羅漢山スキー場を立ち上げたのは、そのオーナーだった。若いころの苦労話など聞かせていただいた。活気のあったころの話をする主人の目は輝き、こちらまでワクワクと高揚する気分になった。しかし現在は、三段峡ホテルもかなり傷んでいて、大きな構えからして、掃除や維持も大変だろうなと思った。従業員さんもあまりいず、夫婦でやりくりしているようだ。

 お部屋の一コマ。トイレもない部屋でした。しかし、いい雰囲気!お風呂に行って、夕ご飯。

 おいしかったですね。地元のものを使った、手作りの料理。こういうのが私たちの口にはあっている。一品一品がおいしい!食べ過ぎて、持って行ってた胃薬を飲んで就寝。

いいことばかりの旅になる予定。しかし、気にはなっていた恐羅漢山という名前。山好きの友人が「え~あの山に登ったのか~」と教えてくれたことが。

それは、蛇がとても多い山として有名なんだそうで。

 下山までにこいつに20匹あったという話もあり。こいつって、もち、マムシ。マムシに限らず蛇がたくさんいるようで。私たちの上ったルートはゴルフ場急登コースで幸い蛇の少ないコースだったみたい。しかしそれで終わらなかった・・・。

一日目登山後宿でお風呂へ。気持ちいかった~。そしてお楽しみは、マッサージチェア!割と上等だ。心地よくもまれていると、なぜか足の指がちくちく。そのうちだんだん痛く。なんで~!!見ると、アブがおいしそうに私の親指を噛み、血を吸っているでは!ばかな~!! その日はそれで終わり幸い大したことはなかった。翌日、楽しみにしていた三段峡巡り。

  三段峡は結構長い見学ルートだ。全部はよう見れないので、一番近くの見どころを歩く。溪谷にず~っと歩道が続いている。とにかく蒸し暑く、汗だらだら。湿っぽい所なのか、苔もたくさん生えていた。私は昨日噛まれた足指が痛くて、歩くのがつらい。せっかく来たのだから我慢して歩いていた。折り返して地点の近くで、右足の弁慶の泣き所に刺すような痛みが走った!いてえ~ええっと!今度はなんじゃ!見ると、1mくらいの蛇が逃げよる。この野郎、待てえ~。正体つかまんとマムシじゃと嫌だもんね。マムシじゃなさそう。帰って、ホテルの主人が心配して毒吸いの器具で一応処置をしてくださった。

 黄色の注射器みたいなものがそう。とんだこんだで、時間がたち、そろそろ帰る時間に。あまりに暑いので、ホテルの前にあるかき氷を食べることに。

 こんな張り紙が。ちょっと食欲をそそりますね。そして、ホテルの主人さんが50年前のかき氷機を使ってつくってくれました。

  ママは宇治、私はイチゴ。は~、うまあ~!!! 暑い夏はこれにかぎるわあ~!そこで、ママが何気にこんなことをおっしゃった!「うちもかき氷したらいいわね。」

ママが提案するのはあまりないのだが、言うときはなかなか鋭いことが多い。それだあと思った。私も以前からそんなことをぼんやりと思ってはいたが、パン屋がかき氷なんてなあ、それとただでさえコーヒーを作ったりするのも大変なのに、かき氷まで始めたら、ママが怒るだろうし・・・。ところがだ、そのママが口にしたのだ。千載一遇のチャンスとはこのことか。

「オニパンかき氷は、自家製手作りがモットーです。リンゴやイチゴ、アンズなどのシロップ液を使い、塚原の湧水を固く凍らせた氷を削って作ります。一切の添加物や着色料もない、天然のおいしいかき氷~!塚原高原の生んだおいしいかき氷~はいかが~♪」

少し痛い目にあった夫婦の旅ではありましたが、結果としては、なかなか楽しい旅だったねえ。アブや蛇、蒸し暑い三段峡の苦難ありて、新しい発見もあり。

さて、来年はどこへ行こうかな。

11回目の新年を迎えて 旧年は充実の一年 皆さんと共に歩めるオニパンを目指します。

 平成も終わり、新しい時代がやって来るという期待感。それほどに、今の日本に希望を抱いている人々が多くいるだろうか。あくせく働き、わずかの貯えをし、年金で老後をなんて考えられない状況の中、病気やけがで動けなくなれば、その貯えが尽きるときは命取り。戦後最長の好景気とか平均給与がアップとかアベノミクスを加速するとか・・・我々庶民の生活実感からすると、どこのお話かと聞きたくなる。庶民の暮らし、庶民の思いや感情にまで目線をおろして、実態を把握して政治が行われるならば、震災や被災者を置き去りにしたまま、原発を再起動したり海外に売ろうとしたり、軍備にばかりお金をかけたり、膨大にオリンピック予算を増やしていったりできるわけがない。子ども食堂ってなんだ。全国に広がっている善意の取り組みではあるが、なんでこんなことが起きているの。ご飯も食べられない子どもたちがいるのに、何が好景気なんて騒いでいられるの。「嘘は泥棒の始まり」って、嘘をつくことが家族や地域、社会を構成する人間にとって絶対認められない社会の規範、倫理だってことを、子どもたちに教えてきたのが大人たちだった。嘘をつくことがこんなにもたやすく、頻繁にされるものなら、社会は成立しなくなる。なんでもフェイクニュースで押し通せるようになったら、どうなるのか。ヒトラーがまた生まれ、その先は目に見えている。

今年が新しい年にふさわしく、希望の持てる世になるために、私たち年老いた者が頑張らねばという気持ちになっています。何を恐れる必要があるものか。なんて、偉そうに言ってはみても、現実は厳しいもので、いろんな考え方や、地域のしがらみやなにやかにや・・・。それでも、言わないことには、行動しないことには現実は変わらないので、オニパンらしく生活に根差しながら頑張っていこうと思っている新年なのです。

 昨年の「オニパン十大ニュース」なるものを、ママと話し合いました。すべてをこの折々帳には書けませんが、パン屋にかかわることについて記していきたいと思います。メガソーラー反対の住民運動の結果「ハッピーファーム」に変わったこの畑を小麦畑にしようともがいてきて、4度目の小麦づくりが始まりました。今年は昨年より1.5倍の15アールの面積に広げました。大きな重機を使って、牛糞を重実牧場に撒いていただきました。その後、私一人で畝を作り、タネをまき、肥料をやりと・・・・。結構大変でした。

 現在の状況。昨年は雑草にやられ、半ばあきらめ加減で製粉しました。その製粉所で新しい出会いがありました。宇佐市の「粉工房うさ」の社長さんです。6次産業に取り組んでいて、農業生産物を加工し商品化して売るわけです。ご存知の方も多いと思いますが、クロダマルを使ったきな粉とか。社長は、自らも揚げパンできな粉をまぶして売ったそうです。その出会いから、オニパンの新しい商品「きなこ丸」が生まれました。この一年の特長として、他業種の優れものとのコラボ商品が生まれてきたことがあります。オニパンの人気商品としてすでにしっかりと位置を据えた「ホイコーロお焼き」「タネカレーパン」。オニパンだけではできなかったものも、タイアップしてやれば、パン屋を超えた商品が出来る。そして、つながりが新しい方向で道を広げる可能性も含んでいると感じました。というのは、社長さんから農家直産のお店にきなこ丸を置かないかと誘われたり、その他の商品化の話を持ちかけられたり。さらに、社長は小麦を作ると、「銀河の力」(オニパンで作っている品種)を栽培してくれているわけで。今年は、岩手県で作られている銀河の力が大分で広がりを見せています(塚原でも知り合い2軒が栽培をしてくれています)。

   オニパン10大ニュースの中で、最も重要なものとしてママがあげるのは、「ゆふいんバーガーはうす」に卸を始めたこと。どうしてママがそういうのかというと、オニパンの売り上げがアップできたこと。ほんと、小さなお店にとって(別に大きな会社でも)一番大切なことは売上です。お客さんにとっては、おいしさとかサービスとかが大事でしょうが、お店を経営している者にとっては、売り上げが一番!オニパンが存続できるかどうかは(今の形で)、従業員さん次第と言っても過言ではない。従業員さんがあってのオニパンです。売り上げが確保できなくなれば、当然縮小。今のように、おいしいものは手作りできなくなります。網リンゴ、カレー、あんこ・・・作るのにどれだけ手間暇かかるか。オニパンの売りである「自家製・手づくり」は、従業員さんあってのこと。だから、「ゆふいんバーガーはうす」に足を向けて寝ることはできません。バーガーの社長ががんばっておいしいバーガーを作ってくれること、それで多くのお客さんが来ることに感謝です。バンズを作っても作っても足りないと言われる。一人で作るのも(時々奥さんも作っている)限界があるのですが、よくあれだけ作れるものだ。体を壊さないようにしていただきたい。

  売上アップに貢献しているのは、別府駅市場のオニパン別府店。耐震工事で一時の仮店舗としてスタートしました。北高架商店街の個性的な雰囲気が好きではあるものの、南高架商店街は便利な商店街。先ず駐車場がある。人通りが多い。商店街としての取り組みが活発など商売するものにとってはありがたい環境と条件。ただ、家賃や商店会費などが高いのはつらいところ。それでも、売り上げ的に見れば、ありがたいものがある。まだ正式ではないのですが、方向性として南商店街に3月以降移ることを視野に入れています。

オニパンの品質、製パン技術の問題としても昨年はレベルがアップしました。毎年向上しているのですが、10年を過ぎて、本当に安定してきたなと感じる一年でした。特筆すべきことは2点あると思います。一つは、発酵に関わって、冷蔵生地が上手に使えだしたこと。今まではオーバーナイト製法といって、一晩発酵させて翌日製パンする発酵方法が中心でした。この一年は、数種類(7~8種類)ある生地のうちいくつかを二日分つくりそのうちの半分を二日冷蔵させて製パンする方法に切り替えています。こうすることで、毎日全種類の生地を仕込まなくてもよくなり、その分新しい生地の開発や(例えば黒豆食パンの生地やユメ食パンの生地など)その他の仕事ができるようになりました。従業員さんも完全週休2日制になりました。

今一つ言えることは、オニ酵母がほぼ完成の域に達したことです。それまでは、後味等に課題があり、今一つおいしいとは言えない状況でした。日本パン技術研究所の黒田先生、パンアドバイザーの荒巻さんのヒントもあり製法を変えてみると、大きな変化が現れました。そして現在は半分以上をオニ酵母が占めるようになりました。それまでは、あこ酵母が7割しめていましたが。自家製酵母のお店といっても言い過ぎではないかと思います。味的にも依然と変わっていないと思います。ていうか、お客様は誰も気づいていません。

 さらに付け加えて言うと、ハード系の見栄えが良くなったこと。バゲットやカンパーニュなどのクープはほぼ安定的に美しく出来上がるようになりました。

  

ちょっと長くなってきました。まだお付き合い願っていたら、ここからが本番かも。この一年でもしかすると、一番大きなエポックかも。それは、「湯布院パン屋さん連合」のことです。

私はパン屋になろうと思って、東京で修業をしたわけです。わずか7カ月でしたが、とてもハードな修行だったと思いました。それは、自分にとってであり、実際働いているパン職人さんは、もっとハードな状況で働いていました。先ず4時から(日曜日は3時半)仕事を始めますがお昼まで休憩なしで立ちっぱなしで朝ご飯はおにぎりを一つ詰め込むだけ。トイレも行かない、行けない。そして終わりは遅いときは8時ごろ。早くて5時ごろ。休みは週に一日。一秒たりとも休まず、座らず、動き回る。マラソンなどやっていた私でしたが、立ち作業は苦痛でした。他の人たちはよくぞこんな労働に耐えれるものだと感心していました。そして、自分がパン屋になってからは、もっと激しい労働になりました。パン屋開業から5か月間くらいは朝の2時から夜の9時くらいまで働き詰めでした。病気になって、4時から7時くらいに縮小。それでもハードです。パンの技術をつけるために、お客さんに認めてもらうために、経営を持続させるためにとパン屋はとてもハードな仕事だと思います。こんなハードで儲からない仕事をどうしてやっていくのだろう。そう思えてきても不思議ではありません。それを続けさせるのは、おいしいパンが出来たことの喜び、お客様の笑顔、さらにパン作りへの情熱などなど。お客様はパン屋の身を削る努力のおかげで、おいしいパンを食べることができると言っても言い過ぎではないような、過酷な状況があります。しかし、パン屋という職種はある意味ステータスがあり、技術の難しさから憧れ的な職種でもあります。だからなのか、パン屋はお互いを意識して、なかなか一緒に何かをしたり、お互いのお店に気軽に出入りしたりしません。

一番パン屋の状況を知っているのはパン屋なわけで、そんな苦労しているパン屋同士が気軽に話もできないなんておかしい。以前からそう思っていました。数年前、食パンスライサーが故障したとき、食パンが切れなくなり困りました。さてどうするか。パン屋同士繋がってないことの問題を感じました。こんな時こそ、助けを借りなくっちゃ!と、由布院のこちょぱんに助けを求めました(以前にパン屋に行っていたから)。奥さんもご主人も助けてくれ、つながりが出来ました。アーゴスさんにも何度か行ってみました。そして、一年ほど前大分市駅の前で、由布市主催の復興お礼イベントがあり老舗「まきのや」の加来さんと話し込み、親しくなりました。機は熟したとのことで、やはり由布院ンの老舗「グランマ」さんと「まきのや」さんに、パン屋さんで一度集まって交流しませんかと働きかけをしました。わたしより年上のグランマの飛田さんは、「自分も以前から同じ思いだった」と共感してくれ、4月に交流会を開催する運びに。

 湯布院のパン屋さん7軒が集まり楽しい懇親会が開かれました。6時から8時との予定が、盛り上がり10時を過ぎていました。この日を境に、ずいぶん交流が深まっていきました。まきのやの加来さんは「ゆふいんパン屋さんマップ」を作ってくれました。

 このマップを持ってパン屋に訪れるお客さんとか「アーゴスさんに聞いて来ました。」とかそんな感じでお店を紹介しあうように。そして、昨年9月10月に話し合いを持ち、厳しいやり取りの末、3月4月に湯パ連としての統一企画を持つことになりました。すべての店舗でイチゴをテーマにしたパンを売り出すということに。今後その企画をどう演出していくかは次回の会議で。1月に新年会も計画しています。

長くなりました。それほど、充実の一年だったということ、ありがたいことです。今年が良い年となれるよう、地道に努力していこう!と決意するオニパンです。今年もよろしくお願いいたします。