昭和・・・なつかしいなあ・・・

年をとるごとに昔のことを忘れていく・・・と思っていた若い頃。頭が本当にぼけて、認知症になればどうなるかは知れないけれど。今の私から言えることは、年をとるごとに、若い頃の思い出は鮮明に鮮烈に痛いほど切なくなってくるということ。

浜田省吾の曲に「19のままさ」というのがある。年をとっても、19の頃の感性を持ち続けているということ・・・なのか?!確かに、忘れられない思い出・・・。

若い頃は、感性が鋭敏で経験が少ないなかでの様々な体験は強く心に響いてくる。慣れっこになると、徐々に鈍感になるものだ。ピュアでまっすぐな感性は、心と記憶にその経験を刻み込むのだろう。浜省は19の頃の体験を強く意識し、作られた楽曲も私のハートに響くものが多い。

「19のままさ」を聞きながら到着したOBSの移動販売。そのロビーでイベントが3月20日まで開かれている。

トイレを貸してもらったついでに見学した。そこで、あっという間に昭和のあの懐かしの世界にタイムスリップしてしまった。

強烈に刺さってくるジャケットやポスター。ううっ、苦しく熱く、体の芯の方から湧いてくるもの。子どもの頃、少年の頃、憧れた人たちがそのままの姿で存在することに、胸に何かが詰まるようなキュンとくるような。

小六の冬だった。加山雄三の映画。私は「海の若大将」を観て、「恋は紅いバラ」という曲に心打たれた。その歌詞や曲調にうるうるした。当時は若干不登校気味の頃。早熟な少年だった。それに続く「エレキの若大将」で完璧加山雄三にまいってしまった。「きみといつまでも」は、大ヒットする前に一番でこの映画で聞いた。中学校になって初めて買ったレコードもそこにあった!

若い!かっこいい!加山雄三!!

さてこんなことを書いていたら仕事が出来なくなるのではしょっていく。

いまだに好きでときどき聴く曲でもある。タイガースは中二のころ大ファンになった。

そしてグッと昔へ。小学校の中学年の頃、好きだった舟木一夫。

映画のポスターも昔を感じさせる!小学校3年生の時。「君たちがいて僕がいた」とか、「花咲く乙女たち」とか歌詞が良かったなあ。純だ!!さらにこんな雑誌も。

なんと鮮やかな。三田明と酒井和歌子。懐かしいなあ。若いなあ。もう一度戻りたい、昭和に。

デビュー

ご紹介いたします。オニパンの新しいスタッフ。宮崎県出身の女性。神様からの贈り物。

 ここのところオニパンカフェは従業員さんの募集で苦労を重ねていました。清家さんとマサ君のひたむきな努力で、製造部門はなんとか維持してきました。何度か応募者もありましたが、うまく採用までにたどり着かず。そんな中、そうとうな決意で応募してきたのがヨシタマさんでした。

 吉玉さんはオニパンカフェにマッチすると思いました。それは、先ず、折々帳を読んで感動してくれたからです。それが一番の応募の動機だったようで。もちろん、寮があるとかの条件もあったようですが、折々帳に書かれてある内容は、オニパンカフェの精神がしっかり背景にあるわけで。折々帳に共感してやってきた、それはもう宿命みたいな縁を感じています。

 覚えることが一杯で、わからないこともたくさんあり、日々大変なことだろうと思います。しかし、彼女は、明るくひたむきにがんばっています。

 働き出してまだ一月余。そんな彼女に、高い目標を提示しました。多分出来るだろうと・・・・挑戦してもらいました。それは、デニッシュを一人でするということでした。清家さんの指導の下、別府店のみの木曜日であればある程度できるのではと。3週間ほど練習し・・・・。

そして本日のデニッシュ!!できました!やりましたね!!玉ちゃん。すごい!                これは、吉玉さんのすごさだけでなく、清家さんの指導力のたまものでも。それでも、たいしたものです。

ついでにお顔も。

とっても恥ずかしいのを我慢して、撮らせていただきました。目を開けられないほどの、嬉し恥ずかしの吉玉さんです。たのもしいオニパンスタッフ、今後よろしくお願いいたします。

あったか祭り 盛況! そしてあの子が・・・

一年に一度、恒例のあったか祭り。今年もがんばって販売。今回は老々コンビではなく、私お一人様。

寒い中、ありがとうございます。この販売で、一番嬉しかったことは・・・あの子がお母さんとやってきたことです。あの熱烈な、オニパン号のちびっ子ファン。https://onipain.com/9728/

二年と三ヶ月前、はじめて会ったあの子です。

このとき3歳。移動販売車に興味を持って、オニパン号を手作り。そして、オニパンソングを覚えて毎日のように歌っていたと聞いて驚き感動したこと。この子が、あったか祭りに現れたのです。金曜日は幼稚園があり、青葉台の移動販売に行けないので、日曜日にわざわざ別府中央公民館へ。

2作目のオニパン号を持ってきてくれました。やはり、オニパンソングを毎日のように歌っているとお母さんが教えてくれました。ごめんね、名前を忘れてしまってます(聞いてないのかも)。僕ちゃん今年一年生になるんだって。はじめて会ったときは恥ずかしくて、声も出さずにただニコニコでしたね。でも2年過ぎて、今回は、チラリとしゃべって、目もしっかりカメラ目線で。成長しました!!お母さんも本当に嬉しそうに、終始微笑んでいました。

さよなら 片付け 

12月から黙々とマンションの片付けをしている。3月15日が父の命日。あれから早10ヶ月が過ぎた。私の実家、センチュリーマンション日名子。

父母は大の引っ越し好きだった。記憶のある5歳くらいから11回ほど引っ越ししている。ただし、訳あって、私は祖母の家で育てられた。だから、一緒に住んでいないので、時々会いに行くのも大変だった。

忘れられない思い出の一つは、小学校に上がる前、買ってもらった中古の自転車で別府ラクテンチ近くまで冒険小旅行。大好きなお母さんに会いに行った。遠く感じられた道のり。自転車だから行けると思って行ったのだろう。着くと親はいなかった。そして運悪く自転車はパンク。泣きながら押して帰ったことを思い出す。

子どもの頃から私にとって必要不可欠だった自転車。それは、親に会いに行くための道具だった。今考えれば、広い別府の中で11回の引っ越しだったが、全て私の暮らしていた光町からさほど離れていない場所だった。一番遠かった家は野口町。子どもからすれば、野口は遠いなあと感じていたが。野口って言えば別府店から近くだ。

高校生になったときに一緒に暮らすことになった。朝見温泉近くの2階建てのアパートの一室。二間。両親は夜の仕事(水商売)なので、私がクラブ活動を終えて夕方帰ってきても、さほど一緒の時間は少ない。それがよかった。半年くらい一緒に暮らしたか。しかし、父親といさかいばかりで、祖母の家に逆戻りとなった。

ぁ~いろんなことがあったなあ。父や母と。それが私にとって良かったのだろう。こんな大人にはならないぞ、みたいな強い決意が心にあった。そして大学での経験が私を少し大人にしてくれた。

20歳の頃から、ほとんど親とけんかはしていない。客観的に冷めた心で対応してきた。冷たい心ではない。もう十分怒りのエネルギーは使い果たしたって感じで。だから、親の相談事を聞く立場で。親に頼るような気持ちは全くなかった。

私が40過ぎの頃、親が家を購入する話しが持ち上がった。それがセンチュリーハイツ日名子。内弁慶な父親は、社会に対して全く不向きな人間だった。人と交渉することが極端に苦手で、正式な対面の場面ではいつも相手に対して「はい、そうですね。」と卑屈な低姿勢で臨んでいた。マンション選びから、不動産の選定、売買契約全て私が代行した。大阪と別府を行き来して。

父母にとって、初めての持ち家。人生の中で最も嬉しく充実した瞬間だった。

そのマンションで30年近く暮らし、他界した。きれい好きで多趣味な父親。その遺品の多さには驚く。捨てるにはもったいない数々の品。片付けに時間がかかるのは、共有できなかった父との思い出の数々を、片付けの手間の間に、私も父の思い出を共有するからだろう。(あ~こんなことがあったなあ)と、父の代わりに思い出に浸る私。

3LDK、結構広い。やっと終わった。業者に任せなくて良かった。全ての思い出が瞬時に消滅する。そして、生前父が口にしていた、孫たちへのお小遣いも、ちゃんと発見できた。認知が少し入っていた父はしっかり私たちや孫のことを考えてくれていた。

少し長くなったな。お休みの日、片付け仕事の翌日、報告に別府霊園へ。

「お父さん、ちゃんと片付けましたよ。」

発想の転換 長年の懸案が・・・

パン屋にとって避けて通れない問題、と言うか一番肝心な問題、それは発酵過程のコントロール。発酵がうまくいくことで美味しいパンが出来るわけで、別の言い方をすれば発酵を管理・コントロールできなければパンは作れない。

発酵は温度と時間によって決められる(湿度も重要だが、ここではそれに触れない)。最近の(ここ数年の)の悩みは、発酵器(機・室)だった。作る量が増えて、生地を発酵させる場所がなくて困っていた。実はあったのだが、その発酵のための温度コントローラーが故障し使えなくなっていたというのが実態。

これが発酵室。もう10年以上になる。これはすごい発明だと自慢していた。発酵室は塚原の「工房古野」にお願いして作製。温度管理は・・・・

室内のエアコンにお願いしていた。以前のエアコンは、冷房、暖房設定だけでなく自動設定(一定の温度を超えると暖房、冷房どちらにもなる。自動車のオート設定などがそう)というのがついていて、温度も設定出来ていた。それが新式はそれがついていなくて(壊れやすいからだそうだが)、安上がりに出来ている。色々と試してみたが、このエアコンでは、温度管理が出来ないことがわかった。そうすると、この中に入れる生地の発酵に困る。大量に作る場合、どうしたものか。ここに入れる生地を最近は、パイルールームというデニッシュを作る小部屋において、その部屋についているエアコンでアバウトに生地を発酵させてきた。しかし、とてもアバウトで温度がしっかり安定していない。どうしたものか・・・・

こたつの中は結構安定の暖かさだ。このこたつのヒーターを使って試してみよう!

例の発酵室にこたつのヒーターを設置。そして試してみる。いちおう温度管理が出来るのではと思ったが、室内はどんどん暖かくなっていく!これもダメだ~!!どうしたもんじゃろの~(朝ドラ、「ととねえ」の口癖)

温度管理オンドカンリおんどかんり・・・、と私がぶつぶつ言っていたら、そばにいたママが「さー~もすたっと~??は~」と言ってくる。「私にしてはよく言えたなあ」とか言って。横文字が苦手なママ。

そうやなあ、サーモスタットとか売ってるんやろうなあ・・・ネットで調べてみる。あれ~ある、ある。そうかあ、これじゃ~!!その場で注文して、あとはどうなるか、試すしかない。とにかく溺れる者、藁をもつかむ状態なので。

オオ~ナンという優れものだあ!すごすぎる!温度設定してその温度を超えるとピシッと電気を切る。そして下がると電気がオン状態に。

昨日の午後に生地を入れて、今朝4時にはばっちしと発酵が出来ていた。22度で14時間(冷蔵生地の場合)という基本が、この温度コントローラーを使えばなんなくできるのだ。

エアコンはいらない!ほぼ9000円(こたつヒーターとサーモ)で温度管理OK。エアコンは10万円以上だった😭以前、パン屋を目指している東京の人が、オニパンの安上がり発酵器のことをネットで見つけて、電話をしてきた。その人がこのInfoを見てくれてたらいいなあと思いながら・・・私もまだまだ未熟。ママはすごい(動物的直感が)。

発想の転換、劇的に状況を変えるなあ。幅広い知識や柔らかい頭が大切だと思い知った。