パン屋の休日~大工と剪定№76

今日は梅雨も明け、休日としては久しぶりの気持ちよい天気。塚原の朝は、大阪にいた頃には想像もできないほど、清々しくさわやかな、それである。大阪では、7月に入った頃より、ねっとりとした空気が部屋によどみ、首のあたりが気持ち悪~い寝ざめの朝だった。
(う~ん、もう起きようかな)
すでに時計は9時をまわっていた。コースケがそれを察知して、リビングで吠える。散歩に連れて行け!ということである。コーちゃんは夜だけ、部屋に入れて、寝かせている。外だと、猪や鹿、狐と狸が出没するので、全く寝てられないからだ。
9時を過ぎているにもかかわらず、風は少しひんやりとして、まぶしい日差しとそれが作る木立の濃い影の間を流れいく。コーちゃんと私の心は、それだけで、軽く心地よくなるから不思議だ。
塚原マジックなのだ。塚原の初夏の朝を知らない人は、一度来るといい。
さて、久しぶりの好天気に、じっとしていられない私。
朝飯前に(といっても、ほとんどの休日は、お昼前にブランチをとる私たち)、ガレージと物置小屋の屋根に遮光ネットを張る作業。以前より夏の暑い日差しを何とかできないものかと考えた結果、ホームセンターで農業用の遮光ネットに出くわす。この安さと手軽さに「これだ!」とひらめきが走る。                                                                                                                             

 ガレージ右側の屋根は私の手作り。雨は避けられるようになったものの、夏の日差しは熱く、バイクも焼けるような状況。そこで、天井裏側から、すだれを張る。しかし、すだれを何枚も貼るのは大変。農業用遮光ネットはサイズも豊富で、とても軽く、耐久性も高い。奥の方が遮光ネット。

物置小屋の屋根は透明の波板。室内は、40度以上になる。屋根の上に広い遮光ネットを張る。遮光率75%だそうで、室内は薄暗くなり、暑さもおさまった。

ブランチをゆっくりとる。梅雨も明け、緑は勢いよく伸び放題。我が家の緑も、そろそろ剪定しなければ、と思いながら、なかなかできずにいた。昨年までは、造園屋さんに二日がかりでお願いしていた。とてもきれいになるものの、費用もばかにならない。今年からお休みが週三日となり、経営も厳しさを増してくる。だから、今年は自分で剪定をやろうと考えていた。しかし、そう簡単にできるはずもない。特に高さ4メートルほどある棒樫の木の剪定はちょっと素人では無理っぽい。あの木をマッシュルームみたいにまあるくカットするなんて・・・。まあ、取りあえず、ログハウス前の生垣から剪定をスタートさせた。

 一応、高さと面をそろえたつもり。剪定前はうっそうとした状態だったので、少しは風通しが良くなっていいと思う。

続いて、カフェのテラスのレッドロビンを刈る。次に、銀木犀。この木は甘い香りを放ち、カフェの方から実家の目隠しともなる大切な木。できるかなと懸念しながら、刈っていった。てっぺんをまあるくするのが難しかったが、出来栄えは私にしては110点!よくぞできたものだと、われながら感心。

剪定前の写真を撮っておかなかったのが残念ですね。全くこんなんじゃあなかったのだから。

続いて、4メートルほどある棒樫の木。これは、ちょっと恐怖ものの剪定。落ちたら、大変なことになるなあと思いながらも、やりだしたら面白くて夢中になっていた。
結果はバッチグ~!

てっぺんの部分を刈るのが大変だった。なかなかはさみが届かなくて。何度も梯子から下りて、形を確かめながら、やっていった。

やりだしたら、「もう、どおにもとまらない~♪」私の性格。気がつけば、7時半PM.。肩、腕、腰が・・・。パン屋の休日は結構きつい~。でも、ほんと楽しくて楽しくて、自分でやるっていうのはエナジーの補充になるね。

何のために №75

パン屋を始めて、3年が過ぎました。前職の経験からすれば、やっと仕事のおおよそが見えてきたにすぎない段階だということでしょう。ほぼどんな仕事でも、3年じっと辛抱すれば、やり方も分かってきて、次の課題も見えてくるのだと思います。同時にその初めの3年間に、どれだけ多くの失敗や挑戦をしたかが大切だと先輩諸氏にやかましく言われたことを思い出します。
まだまだ「若い」(パン屋での業界用語として使われる場合は、生地が十分発酵していない未熟な状態を言う)私ですが、最近、お客様を通じて色々と考え気付かされ、何となく「熟成」に近い人生の核心みたいなものが見えてきたような・・・気がします。

「3年間、自分なりに一生懸命パンをつくって来ました。」「だからどうした?」
「3年間、ハードな仕事に、よく耐え抜いたものです。」「だからどうした?」
「結構、多くのリピーターさんもでき、美味しいって言ってくれるんです。」「だからどうした?」

「だからどうした?」というのは、私の心に居る、厳しい先輩達の言葉です。
「日浦よ、お前、何のためにやってるのか?」これが、続いてでてくる言葉です。

7月3日(日)は、たくさんのお客様に来ていただき、この梅雨時としては、久しぶりに上々の売れ行きでした。それにも増して、嬉しく心ときめくことが立て続けにありました。

大分市のI様が久しぶりにオニパンへやってきました。ご主人、娘さん、奥様、そして最近生まれた赤ちゃんも一緒に。私は、ママほどお客様に通じていないので、初めは、通販をよく取っていただいている方だとわかっていませんでした。私が話しかけると奥様は、出産が大変で入院していたこと、そんな中で、自分や家族にとって、送られてくるパンや、その箱の中に入っているママの短いお手紙がとても楽しみだったと話してくれました。その話ぶりで、奥様の熱いものががストレートに私の胸に伝わってきました。

閉店も間際の頃、湯布院のサクラさん(ニックネーム)が来られました。サクラさんは以前より発達障害の子と親のための教室を主宰していて、そのための努力や経営的なご苦労に、頭の下がる思いでいました。難題をたくさん抱えながらも、いつも元気で明るいサクラさん。私たちも、何とか道が開かれることを願っていました。この日は、いつにもまして、あっかるいサクラさんです。聞くと、ひょんなことから、親と子の発達教室の開催や、経営的展望が見えだしたとのこと。(すっご~い!!)
(さすがサクラちゃん!!)
それにしても、この人、人のための熱意、普通じゃない!!

おいでませ、湯布院へ

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(サクラさんのブログに載っていた記事。サクラさんが関わることになった、「座忘居」という貸別荘です。

6月29日の記事を読むとサクラさんのことがよくわかります。
(おいでませ湯布院へをクリック)

閉店して次に現れた方は、九重(ここのえ)の民宿「ちどり」の女将さん。
オニパン3周年を記念して、お隣忘路軒の女将さん推奨の、「美味しい料理といい温泉」ということで向かったのがこの民宿「ちどり」でした。美しい飯田高原を通って、オニパンから約一時間。お昼の3時頃出発し、途中カフェでコーヒーを飲み、4時半着。お風呂に入って、6時よりお食事。出てくる料理のおいしいこと!女将さんはお客さんのために、近くの地熱発電所に出かけ、お野菜を「地獄蒸し」して、アツアツを食べさせてくれもします。「う~、まいった!」って感じのもてなし。そして、料金は一人3000円でした。お風呂も良かった!!お家に帰ったのが9時過ぎ。半日で、こんないい思いをしたのは生まれて初めて!決して言い過ぎではありません。とても幸せな気分をいただけた「ちどり」でした。その女将が、4日後、忙しいにも関わらず、オニパンに姿を現したのです。何という、フットワークのすごさ!

右は「ちどり」の料理例(ホームページより転載)。もっとたくさん出てきます。

世の中にある様々なお仕事。忙しくなりすぎたり、過重になりすぎたり、儲からなくなりすぎたり、儲かって儲かってたまらなくなったりする中で、基本とする軸がぶれてくるものだと感じます。
頭に「何のために」をつけることで、もう一度見つめ直さねばと感じた7月3日でした。

石の上にも三年 №74

「どんなにつらいこと、困難なことでも、我慢強く辛抱してやれば、いつかは必ず成し遂げられるということ」と、辞書に載っていた。
私としては、そんな深い意味で使っていたわけではないのですが、とにかく、始めた限りは、最低3年は何があってもがんばるぞとの決意であったことは確かです。一年目は、確かに大変でした。お客さまが来るか来ないかという以前の問題として、パン作り自体が、試される日々で、「なんで、こうなるのだ~」みたいな調子の毎日。半年過ぎたあたりから、まあまあ、でも、まだまだ分かんない日々は続いていました。しかし、お客様は、ママと私の必死の様子に同情してか、随分援助の手を差し出してくれました。湯布院の老舗旅館「玉の湯」さんは1年目の晩秋ごろより、オニパンの食パンを購入してくれるようになりました。そのことは、私たちにとって、「天にも昇るような」それはそれは大事件でした。取りあえず、食パンについては、「天下の玉の湯が認めてくれた!」初めて社会人になった若者が、大人として認められたような気分を、55歳で味わった!わけで・・・。
基本がわかってきて、2年目からは、少しずつオニパンらしいパンが生まれてきました。ママがここ数年、料理に凝ってきています。そんなママと話していて、彼女が言うには、「母親から料理を直接教えてもらったわけではないけど、ちょっと見たことや、味を覚えていて、それが参考になる」とのこと。本当にその通りで、私の場合も同じ。修業中に、毎日、あこ庵のパンを買い、食べていました。その味やパンの様子を思い出しながら、自分の舌で味見をし、パン作りをしていました。自分でもおいしいと思えるようなパンが生まれてきました。通販のお客様も増えて来たり、リピーターのお客様が多くなってきます。丸2年が過ぎたあたりから、随分仕事にも慣れ、オリジナルなパンも増えてきました。タイカレーパン、かのこカスク、クリームチーズフランス、フルーツミックス、クランベリーチーズ、シナモンカレンズなどは自分で考え出したパンであり、お客様が「こんなパンは、ほかのお店で見たことがない」と言ったり、「とてもおいしい」とほめてくれたときなど、単純に、「天にも昇るような」気分になるわけです。どんなお仕事でもそうでしょうが、人から言われたようにやっているステージを脱して、自分で考え自分の作品をつくりだせるようになる時、初めてプロとして自立できるのでしょうね。

半月ほど前に、定期的に通販をしているお客様の子どもさんからお手紙が届きました。その子は、今年から小学校1年生になりました。アレルギーの体質で、卵などが食べられません。給食用のパンはだめということで、オニパンの特別製のコッペパンを給食に利用しています。


自分のつくったパンが、こういう形で役立っていることは嬉しいものです。

最近、湯布院の中学校のPTAの行事で、パンの注文がありました。お食事会のような行事とのこと。そういうときには、できるだけ、小さめのパンをつくり、バイキングのように手軽に食べられるパンをつくります。

必要や用途に応じて、お役にたてる仕事がしたいというのもオニパンの願いでもあります。
どんなに小さなお店であっても、社会的に意味のあるお店でありたいという大志を抱いて、仕事をしていきたいですよね。


 そして、忘れてはいけないのが、オニパンを支えるスタッフの皆さん。最も大変だった1~2年目。本当に、多くの方々にお世話になりました。現在は中国の高くんジンさん、それに李くん王さん。彼ら以外にも、ずっとささえてくれている上田さん。そして最近から来ていただいている方も3人います。もしもこのスタッフの方々がいてくれなかったらオニパンは存在できません。私もママもとうに倒れていることでしょう。この場をお借りして感謝の意を表します。

李くんに王さんです。早一年が過ぎました。料理が得意で、以前この折々帳にも載せたように、毎日のように料理をつくっているそうです。だからなのでしょうか、李くんのパン作りの腕前は、大したものです。王さんの販売やカフェのお仕事も上手です。ママが教えたわけでもないのに、やる様子を見ていて、すぐに覚えるそうです。

あの三陸鉄道も・・・№73

以前この折々帳でパン修業後の東北旅行のことを書いたことがあります。
.疲れた心と体を引きずっての一人旅からか、私の目に映る三陸海岸は、どこかもの悲しく、音のない静かな.光景でした。
三陸鉄道北リアス線に久慈から乗り込みました。
 電車の内装は、いたってシンプルです。
大阪の電車に慣れていた私には、吊り看板や壁に貼りだされる広告がない車内の様子は、昔にタイムスリップしたようでした。
子どもの頃から日本地図を見ては、リアス式海岸に興味を覚えていました。大分県も立派なリアス式海岸を持っていますが、どう見ても、岩手の三陸海岸は親分格に見えます。一度は見てみたいと思っていましたから、三陸鉄道の旅は、「一人修学旅行」の気分でした。
三陸鉄道は海岸線に沿って走っていますが、海と同じほどの高度ではなく、10m~20m上から、海岸線を見降ろす形で続きます。
途中、駅でもない所で、突然電車が停車しました。眼下には、川が見えています。
運転手さんが、車内放送を始めました。「え~.こちらの下に見えています○○川には、ここで生まれたサケが毎年帰って来るということで、有名な川であります~。」と、説明してくれます。都会の電車では考えられない、のどかでのんびりとした鉄道に、とても懐かしいものを感じさせます。
私が目指した行き先は、北山崎の海岸線でした。「日本一の海岸美」とポスターに書かれているのを、久慈駅で見かけたからです。

私は、北山崎に着いて、子どもになったように、遊覧船の出航をドキドキしながら待ちました。
遊覧船は、北山崎の海岸線の美しさと波の激しさを見事に鑑賞させてくれます。
私は息をのみながら、カメラのシャッターを幾度も切りました。


海鳥がやってきます。信じられないような人懐っこさで、腕をかすめては、群がってきます。

輝く太陽の日差しの下、紺碧の海、そそり立つ荒々しき岸壁。そこに打ちかかりほとばしる白
波の饗宴。

私は、北山崎の美しさを堪能し、久慈駅を目指し帰路に着きました。
その途中、往路でも気になっていたとてもかわいい駅で下車しました。駅名は鳥越駅。
色鮮やかな建物、何か童話の世界に降り立ったような感覚。
なるほど、その駅は岩手県出身の宮沢賢治の『グスコーブドリ伝記』に出てくる島の名をとって、「カルボナード鳥越駅」とも言われているそうです。私は『グスコーブドリの伝記』を、しばしば読み聞かせでやっていたので、何かこの駅に降りたことに不思議な縁みたいなものを感じました。


(左の写真は、ネットで探しました。)

こんな、東北旅行のことを、日々の忙しさでほとんど忘れかけていた時、偶然目にとまった新聞の一枚の写真。それは、私の想像の隅においていた懸念が的中したものでした。
あれだけの震災・津波。あのかわいい童話の駅も例外ではなかった。

ちょっと見えづらいかもしれませんが、跡かたもなくカルボナード駅は消え去っています。鉄道も破壊されています。

 わずかばかりの救いは、賢治の碑が残ったこと。
「雨ニモマケズ、震災・津波ニモマケズ」
希望を失わず、被災者の方々へのエールを、送り続けたいと思います。

パン屋はスピードが大事!?№72

私は、パン屋で修行をしているときに、職人さんに言われたことがあります。「ここはパン教室と違うぞ。パン屋さんは、スピードが大事だ!」なるほど、職人さんの手つき、その技には、大変なスピード感があります。「アンべらは、死んでもはなすな」と言われ、包餡(あんこを生地に包む)の際、片手にアンべらを握ったまま、餡を生地に包み、アンパン・カレー・クリームパンを作ります。
丸め(生地を商品の分量で分割した後にする)も、パン教室では片手か一つの生地を両手でするわけですが、パン屋では両手で一つずつ、つまり一気に二個の丸めをします。しかも2~3秒で。
パン教室のスピードとパン屋のスピードはこのように大きな開きがあるわけです。

10時の開店時に、一定のパンの商品が並んでいないと、お客様に迷惑がかかります。限られた時間内で、形をつくっていかないと、パン屋の体裁は整うことができません。
最近、オニパンについて、高く評価するお客様もいたりして、私もどぎまぎしてしまうことがあります。自分としては、もちろん、精いっぱい、努力して、パンをつくってはいますが、まだまだだという気持ちは、常にあるわけで。その一つが、スピードについてです。
私が言っているのは、私のパン作りのスピードが遅いということではなくて、パンの完成度とパン作りのスピードとの兼ね合いについてです。
つまり、スピードのために完成度は、少々落ちてもいいか・・という気持ち。だって、お店に出せなかったら、いくら完成度が凄くてもお客様に買ってもらえないし・・・・。こういうジレンマに陥っていました。

お手伝いスタッフの高くんは、オニパンに来てもう一年が過ぎました。彼は、オニパン商品の半分近くの製造技術を獲得しています。特に麺棒の扱いが上手で、もともとの素質がいいのか、(うまいなあ~)と感心して見ています。
彼は、実に真摯に生地に向かい合います。私が初めにアドバイスしたことを、ぬかさず、しかも自分なりのやり方を考え、自分流のスタイルを作り上げています。一つ一つがとても丁寧です。

先日、ゴールデンウィークの真っ最中、大量のパンをつくっている場面でも、高くんのスタイルは変わりません。私から比べれば、遅くはありますが、彼の手から生み出されるアイテムは、気持ちがその様子に現れています。私は、ミルククリーム(という名前の商品)を見た時、はっと思いました。
きれい!私はちょっとうっとりとミルククリームに見惚れてしまいました。
ただ、蛇のように、生地をのばす成形です。単純ではありますが、こういう単純な成形には、その人の気持ちが良く現れてくるのです。
(そうだな、このミルククリームを買ったお客様は、幸せを味わえるだろうな)
忙しさの中で、あいまいになっていたことに、高くんのミルククリームは答えを出してくれました。


走って、デジカメを持ってきて、パチリ。
袋から出して、まじかに見ると、高くんの想いがよく見えてくるミルククリームです。