11回目の新年を迎えて 旧年は充実の一年 皆さんと共に歩めるオニパンを目指します。

 平成も終わり、新しい時代がやって来るという期待感。それほどに、今の日本に希望を抱いている人々が多くいるだろうか。あくせく働き、わずかの貯えをし、年金で老後をなんて考えられない状況の中、病気やけがで動けなくなれば、その貯えが尽きるときは命取り。戦後最長の好景気とか平均給与がアップとかアベノミクスを加速するとか・・・我々庶民の生活実感からすると、どこのお話かと聞きたくなる。庶民の暮らし、庶民の思いや感情にまで目線をおろして、実態を把握して政治が行われるならば、震災や被災者を置き去りにしたまま、原発を再起動したり海外に売ろうとしたり、軍備にばかりお金をかけたり、膨大にオリンピック予算を増やしていったりできるわけがない。子ども食堂ってなんだ。全国に広がっている善意の取り組みではあるが、なんでこんなことが起きているの。ご飯も食べられない子どもたちがいるのに、何が好景気なんて騒いでいられるの。「嘘は泥棒の始まり」って、嘘をつくことが家族や地域、社会を構成する人間にとって絶対認められない社会の規範、倫理だってことを、子どもたちに教えてきたのが大人たちだった。嘘をつくことがこんなにもたやすく、頻繁にされるものなら、社会は成立しなくなる。なんでもフェイクニュースで押し通せるようになったら、どうなるのか。ヒトラーがまた生まれ、その先は目に見えている。

今年が新しい年にふさわしく、希望の持てる世になるために、私たち年老いた者が頑張らねばという気持ちになっています。何を恐れる必要があるものか。なんて、偉そうに言ってはみても、現実は厳しいもので、いろんな考え方や、地域のしがらみやなにやかにや・・・。それでも、言わないことには、行動しないことには現実は変わらないので、オニパンらしく生活に根差しながら頑張っていこうと思っている新年なのです。

 昨年の「オニパン十大ニュース」なるものを、ママと話し合いました。すべてをこの折々帳には書けませんが、パン屋にかかわることについて記していきたいと思います。メガソーラー反対の住民運動の結果「ハッピーファーム」に変わったこの畑を小麦畑にしようともがいてきて、4度目の小麦づくりが始まりました。今年は昨年より1.5倍の15アールの面積に広げました。大きな重機を使って、牛糞を重実牧場に撒いていただきました。その後、私一人で畝を作り、タネをまき、肥料をやりと・・・・。結構大変でした。

 現在の状況。昨年は雑草にやられ、半ばあきらめ加減で製粉しました。その製粉所で新しい出会いがありました。宇佐市の「粉工房うさ」の社長さんです。6次産業に取り組んでいて、農業生産物を加工し商品化して売るわけです。ご存知の方も多いと思いますが、クロダマルを使ったきな粉とか。社長は、自らも揚げパンできな粉をまぶして売ったそうです。その出会いから、オニパンの新しい商品「きなこ丸」が生まれました。この一年の特長として、他業種の優れものとのコラボ商品が生まれてきたことがあります。オニパンの人気商品としてすでにしっかりと位置を据えた「ホイコーロお焼き」「タネカレーパン」。オニパンだけではできなかったものも、タイアップしてやれば、パン屋を超えた商品が出来る。そして、つながりが新しい方向で道を広げる可能性も含んでいると感じました。というのは、社長さんから農家直産のお店にきなこ丸を置かないかと誘われたり、その他の商品化の話を持ちかけられたり。さらに、社長は小麦を作ると、「銀河の力」(オニパンで作っている品種)を栽培してくれているわけで。今年は、岩手県で作られている銀河の力が大分で広がりを見せています(塚原でも知り合い2軒が栽培をしてくれています)。

   オニパン10大ニュースの中で、最も重要なものとしてママがあげるのは、「ゆふいんバーガーはうす」に卸を始めたこと。どうしてママがそういうのかというと、オニパンの売り上げがアップできたこと。ほんと、小さなお店にとって(別に大きな会社でも)一番大切なことは売上です。お客さんにとっては、おいしさとかサービスとかが大事でしょうが、お店を経営している者にとっては、売り上げが一番!オニパンが存続できるかどうかは(今の形で)、従業員さん次第と言っても過言ではない。従業員さんがあってのオニパンです。売り上げが確保できなくなれば、当然縮小。今のように、おいしいものは手作りできなくなります。網リンゴ、カレー、あんこ・・・作るのにどれだけ手間暇かかるか。オニパンの売りである「自家製・手づくり」は、従業員さんあってのこと。だから、「ゆふいんバーガーはうす」に足を向けて寝ることはできません。バーガーの社長ががんばっておいしいバーガーを作ってくれること、それで多くのお客さんが来ることに感謝です。バンズを作っても作っても足りないと言われる。一人で作るのも(時々奥さんも作っている)限界があるのですが、よくあれだけ作れるものだ。体を壊さないようにしていただきたい。

  売上アップに貢献しているのは、別府駅市場のオニパン別府店。耐震工事で一時の仮店舗としてスタートしました。北高架商店街の個性的な雰囲気が好きではあるものの、南高架商店街は便利な商店街。先ず駐車場がある。人通りが多い。商店街としての取り組みが活発など商売するものにとってはありがたい環境と条件。ただ、家賃や商店会費などが高いのはつらいところ。それでも、売り上げ的に見れば、ありがたいものがある。まだ正式ではないのですが、方向性として南商店街に3月以降移ることを視野に入れています。

オニパンの品質、製パン技術の問題としても昨年はレベルがアップしました。毎年向上しているのですが、10年を過ぎて、本当に安定してきたなと感じる一年でした。特筆すべきことは2点あると思います。一つは、発酵に関わって、冷蔵生地が上手に使えだしたこと。今まではオーバーナイト製法といって、一晩発酵させて翌日製パンする発酵方法が中心でした。この一年は、数種類(7~8種類)ある生地のうちいくつかを二日分つくりそのうちの半分を二日冷蔵させて製パンする方法に切り替えています。こうすることで、毎日全種類の生地を仕込まなくてもよくなり、その分新しい生地の開発や(例えば黒豆食パンの生地やユメ食パンの生地など)その他の仕事ができるようになりました。従業員さんも完全週休2日制になりました。

今一つ言えることは、オニ酵母がほぼ完成の域に達したことです。それまでは、後味等に課題があり、今一つおいしいとは言えない状況でした。日本パン技術研究所の黒田先生、パンアドバイザーの荒巻さんのヒントもあり製法を変えてみると、大きな変化が現れました。そして現在は半分以上をオニ酵母が占めるようになりました。それまでは、あこ酵母が7割しめていましたが。自家製酵母のお店といっても言い過ぎではないかと思います。味的にも依然と変わっていないと思います。ていうか、お客様は誰も気づいていません。

 さらに付け加えて言うと、ハード系の見栄えが良くなったこと。バゲットやカンパーニュなどのクープはほぼ安定的に美しく出来上がるようになりました。

  

ちょっと長くなってきました。まだお付き合い願っていたら、ここからが本番かも。この一年でもしかすると、一番大きなエポックかも。それは、「湯布院パン屋さん連合」のことです。

私はパン屋になろうと思って、東京で修業をしたわけです。わずか7カ月でしたが、とてもハードな修行だったと思いました。それは、自分にとってであり、実際働いているパン職人さんは、もっとハードな状況で働いていました。先ず4時から(日曜日は3時半)仕事を始めますがお昼まで休憩なしで立ちっぱなしで朝ご飯はおにぎりを一つ詰め込むだけ。トイレも行かない、行けない。そして終わりは遅いときは8時ごろ。早くて5時ごろ。休みは週に一日。一秒たりとも休まず、座らず、動き回る。マラソンなどやっていた私でしたが、立ち作業は苦痛でした。他の人たちはよくぞこんな労働に耐えれるものだと感心していました。そして、自分がパン屋になってからは、もっと激しい労働になりました。パン屋開業から5か月間くらいは朝の2時から夜の9時くらいまで働き詰めでした。病気になって、4時から7時くらいに縮小。それでもハードです。パンの技術をつけるために、お客さんに認めてもらうために、経営を持続させるためにとパン屋はとてもハードな仕事だと思います。こんなハードで儲からない仕事をどうしてやっていくのだろう。そう思えてきても不思議ではありません。それを続けさせるのは、おいしいパンが出来たことの喜び、お客様の笑顔、さらにパン作りへの情熱などなど。お客様はパン屋の身を削る努力のおかげで、おいしいパンを食べることができると言っても言い過ぎではないような、過酷な状況があります。しかし、パン屋という職種はある意味ステータスがあり、技術の難しさから憧れ的な職種でもあります。だからなのか、パン屋はお互いを意識して、なかなか一緒に何かをしたり、お互いのお店に気軽に出入りしたりしません。

一番パン屋の状況を知っているのはパン屋なわけで、そんな苦労しているパン屋同士が気軽に話もできないなんておかしい。以前からそう思っていました。数年前、食パンスライサーが故障したとき、食パンが切れなくなり困りました。さてどうするか。パン屋同士繋がってないことの問題を感じました。こんな時こそ、助けを借りなくっちゃ!と、由布院のこちょぱんに助けを求めました(以前にパン屋に行っていたから)。奥さんもご主人も助けてくれ、つながりが出来ました。アーゴスさんにも何度か行ってみました。そして、一年ほど前大分市駅の前で、由布市主催の復興お礼イベントがあり老舗「まきのや」の加来さんと話し込み、親しくなりました。機は熟したとのことで、やはり由布院ンの老舗「グランマ」さんと「まきのや」さんに、パン屋さんで一度集まって交流しませんかと働きかけをしました。わたしより年上のグランマの飛田さんは、「自分も以前から同じ思いだった」と共感してくれ、4月に交流会を開催する運びに。

 湯布院のパン屋さん7軒が集まり楽しい懇親会が開かれました。6時から8時との予定が、盛り上がり10時を過ぎていました。この日を境に、ずいぶん交流が深まっていきました。まきのやの加来さんは「ゆふいんパン屋さんマップ」を作ってくれました。

 このマップを持ってパン屋に訪れるお客さんとか「アーゴスさんに聞いて来ました。」とかそんな感じでお店を紹介しあうように。そして、昨年9月10月に話し合いを持ち、厳しいやり取りの末、3月4月に湯パ連としての統一企画を持つことになりました。すべての店舗でイチゴをテーマにしたパンを売り出すということに。今後その企画をどう演出していくかは次回の会議で。1月に新年会も計画しています。

長くなりました。それほど、充実の一年だったということ、ありがたいことです。今年が良い年となれるよう、地道に努力していこう!と決意するオニパンです。今年もよろしくお願いいたします。