新年です。明けましておめでとうございます。

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この冬初めての積雪。

ここで新年の一句。

雪ふりて薪づくりする新年の朝

こんな時のための薪ストーブ。ところが・・・・薪がない。こんな状況を作り出した原因は・・・・。忙しさ、計画性のなさ、呑気さ・・・。全てあてはまるでしょうが、やはり余裕のなさが最大の原因でしょう。新年を迎え、昨年を振り返るとき、先ずはこの現実をしっかり見ておかないとと思います。自分の置かれている状況を冷静に分析し、そこから、現実的な目標なり見通しを持つということでなければ、「今年の目標」っていっても、実現は無理ですよね。毎年、目標を持とうとやってきました。20代からの習慣。学生時代の先輩の教え。10年後の自分の姿を想像しながら、現在の自分のやることを考える。今やってないことは10年後には実現しない。蒔かぬ種は生えぬ。

10年後の自分はどうなっているだろう。74歳。後期高齢者の手前。しかし、まだまだ動き考えられる年齢ともいえるでしょう。引退してのんびりと山の暮らしに浸るという道もあるでしょうが、それにはちょっと魅力を感じながらも、きっとその方向へは行かないと思います。今思っていることは、できればパン屋を続けたい。何のためにパン屋を続けるかということが肝心なところではありますが。その方向性が少しずつ見えてきてると感じる今です。

今年6月で開店10周年。パン屋として独り立ちできたと感じています。ありがたいことです。ここにたどり着けた第一の要素は、まずはスタッフの支え。今まで未熟なパン屋としてやっていたころからのスタッフも含め。むしろ、未熟で、ハードな労働を強いられていた頃、オニパンを支えてくれた本城さんやひろちゃん。特にひろちゃんは朝の4時からの労働で正社員一名体制。固有名詞で言えばほかにもたくさん出てきますが、未熟なマスターとママのもとで、一生懸命働いてくれた多くの方々のおかげだといっても過言ではありません。

そして、二つ目としてパン作りの深化。発酵がパン作りの本質であり、あと素材、製造技術があると思います。何度も言ってきましたが、継続こそ力です。そして姿勢。毎日毎日が工夫と発見の日々となること、それが継続されることでパン作りは上手になります。そして、仕事も楽しくなってきます。日々ルーティンでは、熟練しません。新しいことに挑戦しなければ、前進はありません。開店当初20くらいのあこ庵で教えてもらったメニューからスタートしました。現在は50を超えるメニューです。新しいメニューは全て工夫でできたオリジナルみたいなもの。一つ新作が出来るたびにドラマは生まれ、お客との関係も豊かになります。そして昨年はまた一つ違った方向で新しいことが。それは、パン小麦が出来たこと。パン屋としては珍しいこと。ちょっと異方向的な感じも。大変な労働。現在もやっていますが、どこまで定着できるか。小麦への理解は深まりますが。さらに、「タネカレーパン」のような、専門料理家とのコラボ。自分だけの力ではできない専門的な分野で助けを借りることで、メニュー幅を増やす。これは、新しい取り組みとして良かったと思います。今年も、早速新作を考えています。以前から思っていた肉まんっぽい商品(おやき)が専門家の助けで実現しそうです。「タネカレーパン」、「おやき」など一つの商品だけでも商売できそうなアイテムが、普通に多数のパンの中に混じって売られているという贅沢。10年前には想像できなかったことです。

三つ目として言えることは、お客様の笑顔、支えと励まし。お店を続けていると、パンを仲介として人の人生ともかかわってきます。人生相談みたいな固い重いものではなく、パン屋として、喜びや癒しの場を提供したり、話に相槌を打つことでささやかな励ましとなったり・・・。おいしいものが仲介して、悩みを軽くし喜びを大きくするようなそんな効果があることを実感します。お店って特殊な存在だと思います。サラリーマンとは違う、社会的な影響力を感じます。たとえ儲かっていなくとも、社会的に影響力を持っているなあと思うことはたびたび。だからお客様とのつながりは、お店の商品売買と同様お店の持つ大切な仕事だと思います。お客様の笑顔がさらに増えるように、その笑顔がオニパンをさらに元気づけてくれるそんな関係が強まることを願っています。

さて、10年後を思い描くお話の続きですが。。ここではあまり立ち入らないでおきます。プライバシーもありますし。(笑) 少し触れさせてもらいますと。そうですねえ・・・縮小していますか。おいしいパンを特に主食となるような食パン系などを、家庭でも作れるやり方を考案。それをお母さん方に紹介する教室・・・。パン屋にとどまらず社会的に貢献できるようなお仕事。そして、パン屋を継続させるための新しい担い手。

11月12月と体調の悪い日が続きました。眠れない。睡眠障害なんですね。どうしたものかと、病院にも。パン屋で眠れないというのは、恐怖です。まず仕事を始める4時ごろから、(う~、しんどいなあ~)と思うと、どうやって一日ごまかそうかと重い気持ちになります。早く時間よ過ぎてくれ!みたいな日々です。人と話していても、目がしっかりしてなかったり、笑いが引きつったり。お酒も影響しているだろうと、12月に入ってお酒をやめました。何十年も毎日飲んできたので止められるかと心配でしたが、「眠れるなら・・・」と潔くストップできました。処方のお薬を飲むと強烈過ぎたのか、苦しくて・・・。別の弱いお薬に変えていただきました。別に悩みがあるわけでもないし。そして、お正月。初夢を。二日連続同じ夢でした。まさか。二日目はより具体的でした。一日目は、今までも時々見ていた「授業参観」のユメ。教員時代そんなことはなかったのに、授業参観の時間が迫ってくるのに、いまだ何の授業をするのか決めていない、懇談のための資料も作っていない・・・やべー!!二日目の夢は、授業参観の時間が迫ってくるのに、パン屋での仕事中で、従業員さんに大切な話をしているときに、呼び出しで、「早く来てください授業が始まります~」。お正月に二日連続で同じ夢を見るのはなぜなのか。これは、私の現状の謎解きのヒントだと思いました。

やることの多さ、能力以上の仕事量、やらねばならないという思い込み、抱え込む責任への負担・・・。まあいろいろあらあなって感じ。昨年は確かにいろいろとやってきました。仕事での新たな取り組み(国産小麦への方向換え、働き方改革)、自治区役員の仕事、パン小麦の収穫や製粉等。頭はパンパン(能力以上で)。初夢が教えてくれたのは、もう今のままでは無理ですよということだと思います。その結果、正月はゆっくりするどころか、年賀状書きで終わり。ほかにしたのは、物置の壁をチェンソーでつぶした(物置を広げようと思って)ぐらい。

そして、考え方を変えなければと思いました。一人で(自分で)できることは限界がある。今まで、何でも自分でしなければと考え、人に頼まずに、やって来た。そのことによって、能力が高まったのも事実だけれど、そのやり方では今のようになってしまう。できるだけ人に頼もう。早速、近所の有能なトミさんに、物置と波板の屋根作りを依頼。自分で作ろうと思っていましたがやめました。お酒も3日連続飲みました。お薬は飲んでいません。眠れました。新年あけて5日目の今日、従業員さんが初仕事をしている現瞬間、仕込みを頼んで、私はパソコンに向かってこの文章を書いています。今まで、そんなことはできませんでした。スタッフからも、一番働いていると評価されてきました。もうやめます。できません。違う形で頑張ろうと思います。これが出来るのも、従業員2人体制があるからです。一人では無理です。二人体制でも無理が出れば、縮小します。継続できないような無理はやめなければなりません。「持続可能」がキーワードですね。

DSCN5571[1] 昨日、日田市大山町の「木の花ガルテン」でお食事。お正月初めて家から出ました。

DSCN5568[1] 繁盛しています。大山町農協協同組合が主催する観光スポット。自作の農業生産物や工芸品などもたくさん売っています。町内の農家が作った農産物で50種類のバイキング。シニア1300円。一般1400円。私たちは、軽食のカフェでお食事でした。これだけ大掛かりで長く繁盛しているとはすごい。雇用の面でもいいなあと思いました。大山町の農業協同組合さん、立派!!私たちはここが目当てで日田市に来たわけではなく・・・、別の目的が。

DSCN5575[1] 実は、小麦の種まき機を私が誤ってつぶしてしまい、代替えの種まき機をオークションで落札し、日田市に立ち寄ったというわけで。忙中閑ありってわけで。

DSCN5576[1] でも、欲張りな私たちは、せっかく来たんだからと、杖立温泉にも寄りました。私が以前夏旅行に一人で行った所です。ママに言うと、温泉研究家のママは「ぜひ寄りたい」ということで。蒸し湯が特長の温泉地。

DSCN5580[1] いい雰囲気です。お風呂に入る前にサツマイモなど入れておくと、出来上がるということで。

DSCN5578[1] もちろん私は禁酒を破って飲酒を。帰りはママが運転です。恐い運転でも文句は言えません。

帰り着いたら8時でした。三平君やコースケは「散歩へ」って吠えまくり。それから散歩してまた一年の始まりです。

2月より塚原店は営業時間が変更になります。10時半開店。16時閉店です。別府店は変わりません。なお、明日開店時(塚原)は、ぜんざいサービスあります。別府店は1月19日(金)4周年、ぜんざいサービスあります。

今年もオニパンカフェよろしくお願いいたします。