新しい一歩 不安を織り交ぜながらも、足を進めよう。

DSCN4635[1]結構深刻っぽい前回の折々帳から早やひと月が立った。オニパンの今後の道筋をどう確立していくか、それは私やママの問題だけではなく、お店の持つ社会的責任でもあると感じている。この連休、昨年と打って変わって、たくさんのお客様でにぎわったオニパン。年々感じる期待感。流れる水は腐らぬ、だとすれば、ここにとどまっていてはだめだ。新しい一歩を踏み出さない限り、停滞、そして見えない未来へと続くのは当然のことだろう。

DSCN4652[1]98年から記録しだしたパンの研究ノート。おいしいパンを焼くために、それなりに努力してきた。以前より目指してきた方向は、食べ物として安全で安心、そして何よりおいしいこと。パン屋をするのであれば、より良き・より高き方向へ。結果として、無添加・天然酵母・国産小麦・自家製手作りがその目指すべきものと考えた。しかし、未熟な知識とパン作りの技量なさゆえ、多くのミスや考え違いも繰り返してきた。恥ずかしいお話だが、たとえば白砂糖は体に良くないということは分かっていたが、白くない三温糖をよいものと思い違いをしていたり・・・。現在は粗製糖を使っている(結構値段が高いのだが)。

マーガリンやショートニングはもちろんのこと、酸化防止剤、生地調整剤なども使わないことを決めた。日本パン技術研究所で習ったときは、柔らかく日持ちのするパン作りには欠かせないと教えられたが。

ただ、どうしても引っかかったのが小麦のことだった。

私は、パン屋になろうと決めて、東京の「あこ庵」というパン屋で修業をした。以前折々帳でも修業時代の愚痴を書いたことがあった。あこ庵のあこ酵母を使ったパンのおいしさに憧れて、修行をスタートしたものの、仕事や人間関係の辛さもあり、精神的に参ってしまったときがあった。あこ庵は、外麦を中心としたパン作りをしていて、私自身の目指すものとは違っていた。情けない話だがあこ庵から逃げ出したい気持ちも手伝って、別の修行場所を探したことがあった。近くの町田市に国産小麦で有名な「ピッコリーノ」というパン屋があり、研修も同時に行っていた。

DSCN4653[1]あこ庵が休みの日に、すがるような気持ちで、ピッコリーノに出かけた。オーナーの伊藤さんは本もたくさん出していて、その弟子たちはたくさんパン屋を開いているということだった。私は、話を伺い、今後どうするか考えた。伊藤さんが惚れこんでいる国産小麦のパンもたくさん買った。岩手の南部小麦は特に惚れ込んでいるとのこと。私は東京で修業する以前から国産小麦を使って食パンはよく焼いてきた。ノートに記されている国産小麦の種類を数えると12種類に上る。南部小麦も知っていた。私は、ちょっと癖のある(醤油っぽいかな)味には、なじめなかった。それらの国産小麦パンを下宿に戻って食べた。もしおいしいと感じられたらピッコリーノに修業先を変えようと、期待を持って食べたことを思いだす。結果は残念だった。あこ庵の社長は当時「国産小麦でパンを作ることは、剣道着を着てテニスをやるようなもの」と言っていた。西洋から伝わってきたパンは、現地の小麦でないとうまさを引き出せないということだ。いくら伊藤さんが仰っても、うまいと感じられなかった私が現実にあった。

オニパン開店に向けて、いろんな小麦でパンをつくった。胃袋をつかむ食パン(私は主食の食パンが最も大事なパンだと思ってきた)の粉を何にするか。カナダ産のセノーテに決まった。1CWという最上位クラスの小麦だ。おいしいということで、開店2周年の前に、湯布院の老舗旅館「玉の湯」に卸すこととなる。しかし私には、いつも国産小麦のことが頭から離れなかった。日本の農業の将来を考えるにつけ、食の安全を考えるにつけ、国産小麦はついてまわる。地産地消、ポストハーベスト・・・さまざまな言葉を聞くにつけ、国産小麦に結びついて響いてくる。

2011年ころだったか、国産小麦の未来を拓く「ゆめ」の「ちから」を持つ、新しい品種が開発されたと知る。その名も「ゆめちから」。あまりに強いグルテンを形成するということで、他の品種の粉とブレンドして使うという超強力小麦だ。私は、なんとかその粉を手に入れようと卸業者に頼んだ。あまり市場に出回ってないということもあり、国からの補助も認可されてないとのこと。江別製粉という大手から販売されていた。セノーテの3倍の値段。それでも、その粉を購入し、地元の小麦、「ミナミオノカオリ」とブレンドして、玄米生地をつくった。オニパン初の国産小麦の生地の誕生だ。その後ゆめちからは、日本を代表するパン小麦の一つとなっている。それでも、他の粉の2倍近くの価格だ。なんとかおいしい国産小麦のパンを作ろうと心砕いている小さなパン屋の気持ちどれほどわかっているのだろう。

2014年、「ゆめちから」を超える、あるいは引けをとらないというパン小麦が岩手で開発研究されているという情報を拾う。私は、その情報に色めきたった。すごいなあ、どんなだろうなあ・・・。その思いが募って2015年、種子を研究開発している岩手県農産物改良種苗センターより取り寄せる。10アールの広さで、ソノダハッピーファーム(貸してもらっている農園)播種。しかし、安易な獣害対策で、一夜にして鹿のミッドナイトレストランとなる。

2016年、再度「銀河のちから」の栽培に挑戦。今回は、鹿対策として300メートルの鉄柵をいろんな方の協力も得て施工。

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宇佐市の農林水産研究所の方にアドバイスをいただきながら、栽培を続けてきた。トラクターを使って種をまいたり、バインダーを使って一冬3度麦踏をしたり・・・。肥料を3度やったり・・・。詳しくこの折々帳で報告はしていないが(また、だめになったらカッコつかないし)、どんどん成長している。

DSCN4592[1]これは4月。そして・・・・

KIMG0921[1] KIMG0920[1] ついに5月穂を出すまでに成長!

そして、5月9日。開花です。

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今日、「銀河のちから」の開発者でもある岩手県の農研機構の谷口さんという方と直接お話しする機会が得られた。「銀河のちから」は、雨に強い品種で、収穫の時期に雨にあたると大概の麦は質が劣化するとのことだが、「銀河のちから」は大丈夫とのこと。うまくいけば、収穫も現実のものとなるかもしれない!

「銀河のちから」へのこだわりを書いてきたが、この粉は昨年ぐらいより市場に出てきた。まだ作っている農家は少ないが、いずれ青森のほうへも広がると谷口さんが仰っていた。この小麦を製粉している地元岩手の会社「東日本産業株式会社」に直接お話をし、オニパンに小麦を送ってもらうことにした。また、岐阜県のパン小麦を製粉している「サンミール株式会社」さんにも直接交渉で送っていただくことに。大手仲介業者を通さないことで、お手頃(といっても高いが)の価格で購入が決定。これにて、オニパンの国産小麦化への道は大きく開けた。しかも、銀河のちからが、オニパンの主力小麦になるとは、想像にもしなかったことが現実のものに。

DSCN4635[1] DSCN4636[1] ここで、もう一度「銀河のちから」の袋のカットを。お客様にママが「今度、銀河のちからという小麦を使うことになったのよ。」というと、そのお客様は、「そう、岩手県産やね。」と答えたそうな。いい命名だねえ!と、私も後になって気づいた。そうです、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」から来たのです。岩手といえば賢治、賢治といえば「銀河鉄道」なんだ。

そういえば、オニパンの新しい一歩は「銀河」から始まるわけで、思い起こせば、私の青春時代のあるシーンがよみがえる。

行き先が見えず、人生どう生きていったらよいか思い悩んでいたころのこと。演劇部に入り、自分を変えようともがいていたとき、初めて見たプロの演劇は劇団民芸の「銀河鉄道の恋人たち」宇野重吉、樫山文江、米倉斉加年のそうそうたるキャスト人。私は、感動し、その感動がさめてしまわないようにと思ったのか、人が通らない非常階段を一人で駆けて降りたことを思い出した。

一歩踏み出す時って、必ず不安がつきまとう。しかし、それは確実に前に進んでいると信じていいのでは・・・。