懐かしき来訪者

大阪で暮らして30年。そして別府へUターン。9年が過ぎました。まだ大分弁が苦手。出てくるのは大阪弁。そして夢はいつも大阪での夢。青春時代(と言っても24歳くらい)から中高年まで、全てのエネルギーを注入してきた大阪暮らし。仕事、子育て、仲間・・いろいろあったなあ。

教員時代、たくさんの仲間と語り、研究会で実践討議、教育実践の交流などやって来た。サークル連絡会などで様々なイベントに取り組んだ。若い教師の会、全生研・・いい響きだ。いろんな顔が浮かんでくる。組合大会のこと、市との交渉、他の組合との共同で首切り撤回闘争いろいろあった。労働組合というと敬遠される人も多いかも。労使協調で会社の回し者的な動きをする組合も多いからね。例えば、最近の「残業100時間未満」なんて、過労死を法律で「保障」するようなことを決めて成果みたいなことを言う組合は労働者の味方でも何でもないと思う。私が所属していた組合は、小さな組合ではあったが、仲間と話し合い、自分たちで正しいと思う方針を確立できる自立した組合だった。市や市教育委員会にたいしても、おかしなことにはものを申す。その分、圧力も激しく・・・。片方の組合(市には二つの組合があった)は多数で、行政ともなれ合い・・・組合の役員をした後は、教育委員会のお偉方、教頭・校長になっていく。たいていの人は、もめごとは嫌いだし、出世して給料や地位も高くなることを望む。だから、多数で権力のある組織へ身を置く。そんなこと当たり前。私だって、争いは嫌だし嫌われたくないし、みんなに認められたい。ただ、大学時代の経験、先輩たちの言葉、自分の生い立ちから、自分の生き方に合わない暮らしはしたくなかった。だから、30年小さな組合の役員をずっとやって来た。教育サークルもしかり。

こんなことパン屋のオヤジが言うことではないだろう。でも、自分の所属は、いまだ持って、大阪にある。だって夢はまだ90%は大阪時代の夢。今の暮らしは、大阪時代に消化不良になった夢を実現する過程だと思う。対等な人間関係。自分の頭で考えたことを実践。損得で行動を決めない。云々。

いわば同志。同僚ではない。喧嘩もした。そういう友とは、一生続く。苦しいことをともにしてきた。職場や組合で辛い思いをするとき、彼も同じように苦労している、彼も同じように頑張っている、そう思うと力が湧いてくる。一人ではないんだ、これが人を強くしていく。

I氏夫妻が塚原にやってくる。これは2回目。1回目は、8年ぐらい前か。今回は退職しての来訪。奥様は現役の教員。オニパンに訪れ、宿泊する場合、友人については条件を出すことにしている。それは、夕食をつくってもらうということ。できれば、私たちの分まで作って、ふるまってくれること。私たちには、お客様の面倒を見る余裕はない。ママは片付け、一日の売上の計算など一通り終わって、帰宅(お隣だが)するのは7時ごろ。それから、休みの時に作り置きしていた料理とその日に作る料理を15分程度で出す。食べて、パソコンで情報をチェック、ニュース、べっぴんさん、風呂。私は9時半にはベッド。そんな毎日。だから、もてなすなんてできないのが実情。

I氏は、来訪する前から、何が食べたいか入念に聞き取り。「やっぱ、大阪王将の餃子は欠かせんわなあ。」それくらいしか言わんかった。先週の土曜日(25日)朝、大阪から出て、午後由布院へ到着。電話で、材料の確認をしてきて、スーパーで買い出し。5時くらいから、料理に精を出す。

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使い慣れてない他人の台所でなので、予定7時をまわる。私たちも仕事が終わったのが7時半ごろだろうか。出来ました。凄い!

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パエリア。あんまし食ったことがない。I氏盛んに勧める。これが一番自慢なのか。

DSCN4547王将の餃子。大阪の味。

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豚の角煮。チキンのソテー。

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そして、手前右に写ってるスープ。うますぎのラーメン風味。すべてが完璧。超ゴージャスな味。I氏は今、奥さんの帰宅前に夕ご飯をつくるそうだ。大学で講師もやっているそうだが、時間があるので、夕食係。まめな人だから、これだけの料理ができるのだろう。大阪時代と変わらない、柔らかな人柄(組合での対市交渉の時は舌鋒鋭い論客)、とても幸せなひと時をいただいた。10時過ぎまで、食べて、飲んで。翌朝が辛かったが。

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