看板猫リー №167 その一

リーがオニパンにやって来たのは、たしか2013年の11月。生まれて2か月くらいでした。目はブルー、白い長毛で立派なしっぽを持つ美人の猫でした。カスタードの卵を仕入れている湯布院の河野養鶏さんの畑に住み着いていた地域猫の中から、おっちゃんがつまみ上げた特薦の子。はかなく弱々しい白い子猫を見て、「リリー」と名付けました。白百合のイメージそのものでしたから。

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特に猫が飼いたかったわけではありません。当時、オニパンはネズミの被害を被り、立ち行かない状況に瀕していました。工房の食材は食べられ、壁には穴をあけられ、壁の中の配線は何か所も切断され、人の目も気にしないほど棚や床に現れる始末。自宅の寝室の天井裏も多くのネズミが運動会を繰り広げていました。様々罠をしかけ、たくさん捕ったものの焼け石に水。ねずみはさらに増えているような状況でした。コーちゃんがいるので、猫と犬が共存できるか心配ではありましたが、そんなことを言っている場合ではありませんでした。もう猫に頼るしか道は残されていませんでした。

猫についての知識もなく、どうせ野良だからそんなに世話もしなくていいだろう、そんないい加減な気持ちで飼ったリリーでした。

3月に入ってリリーも少し大きくなり、オニパンでの暮らしも落ち着いたころに、大きな猫に襲われケガをします。まったく食事もとれず、死にそうな様子です。動物病院に行って手当をしてもらいました。そのとき私たちもやっと子の親になれたような気がしました。一緒に暮らす中で、野良と言えどなんと感情が豊かなのか、そのしぐさのかわいらしさ、犬にない猫の魅力が徐々にわかってきていました。「どうせ野良だから」みたいな半端な気分で飼いだした気分もすっかり変わり、ひどいケガに心配して初めてやって来た動物病院。そこで先生から聞いた言葉にショックを受けました。

リリーは猫白血病だということ。生きて一年でしょう。そして、この子はオスです。

リリーは、手当の甲斐もあり、元気を取り戻しました。白血病のキャリアではあっても、それを克服して、何年も生きる猫がいるとの言葉を励みに、「これからのリリーとの暮らしを大切にしよう」とママと話しました。そして、美人薄命のリリー改め、強くたくましい「リー」と改名。ブルース・リーって強かったもの。

リーは野良出身ということもあってか、外での活動が大好きでした。水は決してきれいなものは飲まない。わざわざ、外の雨水や家の中でも植木鉢の受け皿にたまった水しか飲みませんでした。そして狩りが大好き。

dscn3753 dscn2685dscn3466dscn2541バッタ、コオロギなどの虫から始まって、カエル、トカゲそしてモグラ、ネズミ、小鳥。極めつけは、自分より少し小さい雉の若鳥も。狩りをして私たちに獲物を見せるときのリー君の自信に満ちた表情。リーは、どんどんたくましく育っていきました。

リーの個性として特筆すべきこと、それはフレンドリーでありコミュニケーションを求めるということです。猫らしくない猫。犬のような猫かな。ニャーと鳴かない。「うにぃほにゃむ~」何か言いながら帰ってきます。聞き取れない、聞いたことのない猫語でしゃべるときが多いのです。ご近所の生山さんのお家に遊びに行くことがしばしばでしたが、その生山さんは「リー君は、わけのわからない話をするので、ニャ~と鳴き方を教えてる」とおっしゃっていました。リーは、そんな風にお話しをするのです。誰に対しても近づいて、ベタベタとします。知らない人の膝の上に乗ったりもします。呼べば、走ってやってきます。オニパンにくるお客様は、とても喜んで、どんどんリーのファンが増えていきました。「リー君居てる?」とパンよりもリーを目当てにくるお客様もちらほら。そんな噂を聞きつけて、ついに猫雑誌の全国紙にデビューしました。

img014-2記者さんは、「たくさんの猫を取材してきたけれど、リー君ほどフレンドリーな猫は珍しい」と、褒めてくださいました。記事の文を見てますと、「ルックスも性格も良い猫店長ががおもてなし」とか「日本で最も美しい村の、最もフレンドリーな看板猫がこちらになります」とあります。リーは最大級の褒め言葉をいただいたなあと思います。そのフレンドリーさは人間に対してだけではありませんでした。友だちを求めて、コリーのコウスケにも、ベタベタの付き合いをします。dscn2347 dscn2358散歩するときも、コースケにまとわりつき、足の間に入り込みます。コースケはリーの頭をなめまわします。それも平気。頭はベタベタ。コースケを信頼しきっているのです。いつも平和的で友だちを求めるリー君なのです。

つづく・・・・・・