パン屋の夏休み~パン屋での研修 №166

DSCN4177[1]待ちに待った夏休み。今年は山行きをやめて、パン屋へ行くことに。62にもなってパン屋での修行はないだろうってか。いえいえ、いくつになっても、完成はないんだから学びは大切。特に私のようにスタートが遅いものは、まだまだ見えてないことばかり。前職の経験から言えば、10年過ぎてやっと全体が見えてきて、独自の実践は20年を過ぎたころから。だからパン屋として本物になれるのは、たぶん70を超えてからだろう。今は修行修行。

晴れた空~そよぐ風~♪ みたいな車窓の景色。実際の気分はまるで逆。間に合わない!フェリーの時間にィ~(;´・ω・)💦 目指すは国東の竹田津港。9時40分発徳山行き。修行先パン屋は、出雲大社参道にあるブーランジェリー・ミケ。陸路だけではなく、海路も使うと楽になるだろうと、一気に大分から山口へのワープを考えた。早起きして、ゆっくりコーヒーを飲んで、出発したが、ことのほか竹田津までの時間がかかってしまった。前もって下調べしてなかった。大分空港の近くだと思い込んでいた。小さな地図で見ると、国東半島って一時間くらいで周ってしまえると思い込んでいた。一時間半あれば家から竹田津まで十分行けると・・・・。

今まで、ずいぶんひやひやする場面に遭遇してきた。目的地まで間に合わないぜ~みたいな種の。しかし、運がいいのか、いつもぎりぎりで間に合ってきた。今回は、こんなに早く出たので、いつもみたいな冷や冷やすることもないなと、自らの成長を味わいながら、美しい海岸線を軽快に飛ばした。塚原から別府に出るとき、すでに私の方向音痴が頭をもたげていた。ちょっとまてよ、竹田津って大分空港の方だから別府より日出の方向へ出ないといけないんだよな。すると、いつも行ってる別府店への道を通ると遠くなってしまうよな。・・・・💦。もうこれ以上は書かない。大分にお住いの方がこの文章を読まれたら、なんちゅうことをいっちょんのと思われるから。塚原から別府に出た時点で、フェリー出発までの残り時間は50分くらいだった。

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海岸線って長いんよね。きれいで、気持ちい~。飛ばしても飛ばしても竹田津は現れなかった。もしかしたら、だめになるんじゃないか。どうしよう。当日キャンセルってお金が戻って来ないんだっけ。12000円(-_-;)。払ってないけど、竹田津まで行って、ごまかさずに、12000円はらわなくっちゃな。う~辛い~。そして、陸路で出雲大社へ行くかあ~。疲れ切って夜中につくよなあ。10時ごろついて、翌日朝4時にはお店に行くのか。体持つのかなあ~~。散々だなあ~~。しかし、自業自得、自分が蒔いた種は自分で刈り取るより仕方ない。

DSCN4198[1] DSCN4197[1] DSCN4199[1]到着したのは10時40分。船の跡形もなく、車両待ち合わせの場所には車一つなく。切符売り場に行って謝った。「すみません、遅れてしまって。」お金を払おうと思って、財布を手に取ったが係りの方は、逆に「次の便に乗っていただけますか」と低姿勢で言う。4時間後だが、陸路で行くこと思うと、疲れ方はずいぶん違うだろうと「乗ります」と答えた。お金も無駄にならないし(しかし、キャンセル料を取るような雰囲気は全く感じなかったので、遅れたりした場合取らないのかな)。気持ちは全く切り替わっていた。もう間に合わない、自業自得だと観念した時より、許される限りの楽しみ方をしないと、せっかくの夏休みがもったいないと考えだしていた。だから、この出発までの4時間を初めての国東観光にあてようと思った。

「あかねの湯」という温泉場に行った。ゆっくりお風呂につかり、お昼ご飯。DSCN4194[1] DSCN4196[1] DSCN4187[1]そして、鬼塚の古墳を見学。国東は「弥生の里」と言われるように、歴史は古い。そして広さを感じる。淡々と田舎の自然が続く。そして、14時40分。初めてのフェリー竹田津・徳山フェリーへ。

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生まれて初めての一番乗り。早いということは三文の徳か。こんな景色は、めったに拝むことができない。上々の夏休みだねえ。

徳山から高速へ。ナビがあるから安心だ。少し遅くなるが、ホテルまで案内してくれる。ちょっと古いナビだが大丈夫だろう。

山陽道を行ってると、ナビが突然「新しい進路が確認されました。そちらを選択しますか?」と聞いてきた。意味不明。まあいいか。ナビが判断することだから任せとこう。新しい進路を選択した。

出雲大社付近まで高速で行けるということだった。しかし、この新しい進路は高速から外れて、のんびりとした道を案内してくれる。車には九州の地図のみ。どこをどう行っているのか。ナビしか頼れるものはない。大きな川に沿って道が続く。カヌーの練習場になっている「江の川」だ。「えのかわ」と読んでいたが、「ごうのかわ」だった。後で調べてみて、自分の無知さを知る。「中国太郎」の別名を持つ中国地方最大の河川。そういえば小説であったような。その中国太郎とずいぶん時間をともにした。立派で、何度も立ち止まりその雄大な景色に見入った。DSCN4212[1] DSCN4211[1] DSCN4213[1] 184号線は良かった。江の川がずっと続いた。そこからナビは山の方へ連れて行ってくれた。三瓶山。「さんべさん」と読む。三瓶高原を通った。薄暮に広がる三瓶高原。塚原高原もよいが、それ以上に美しいと感じた。また訪れてみたい。

DSCN4255[1]来たよ!ブーランジェリー・ミケ!\(^_^)/ 昨日は9時の夕食を摂って、3時起床。4時前にやって来た。このミケの店主夫妻は私にとっては大の恩人でもある。9年前東京のあこ庵でパン修行を始めたとき、あこ庵のチーフをしていたのが奥様。24歳という若さで、8人ぐらいいた職人の頭だった。40を超えていた人もいた。しかも女性は一人。仕事が終わってのミーティングなどで、てきぱきと話を進め、問題点を指摘するなど、なぜそんな年でそこまでしっかりしているのか・・・。私のパン職人としての第一歩目で出会った衝撃の人。修業中のつらい思い出の中で、彼女と接することのできた2か月は、本当に救いだった。失敗に対して暖かく接してくれた。大粒の涙を流しながら玉ねぎをむく姿にプロの職人を感じた。重たい食パンのスライサーを一人で抱えて運ぶ姿。弱音を吐かない姿。文庫本を開いたまま、椅子に腰かけ眠る休憩時間の姿。私が入ったのが4月でチーフは6月に退社。寿退社とのこと。結婚準備かあ。相手の方はどんな人なんだろう。

ご主人もなんと東京で研修を受けた2軒目のパン屋さんのチーフだった。ずっと以前の「折々帳」で書いたことがある。ナチュラルプクーというお店だ。その当時彼は30歳くらいだったか。すでに貫禄が漂っていた。パン作りのすべてを任されていた。オーナーさんがパン職人ではなかったので、お店のすべてを彼が仕切ったいた。

私も9年目を迎えている。だから、9年前にパン屋で学んだ時とは比べものにならないくらい、自分の中でのパンやお店への理解の深度が違っている。理解が進むほどに、わからないことは鮮明になってくる。失敗を繰り返すほどに、失敗の本質が狭まれ明確になってくる。そんな状況になって初めて、あらたな体験があらたな示唆を促してくれ、問題を解決してくれる。経験とはそういうもので、だからキャリアは大切なのだと思う。

奥さんがフランスパンを成型するのを見て、な~んだあ!!!と感心した。そういうことだったのかあ。自分の中で9年近く問題になってきたことが、その一秒で解決した。目から鱗とはこういうことか。それにしても、さすが横尾チーフ(旧姓)。速い速い、テキパキ、指示も鋭い!変わらんなああ。

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宇佐美店長(ご主人)は、パンへのこだわりと博学さに卓越したものがる。粉についても、製造についてもその研究熱心さに驚かされる。製造に関して、日々変化するという。新しい発見から、方法を少しずつ変化させる。それがパン作りの楽しさでもある。材料はけちらない。おいしくなるために工夫をする。それを基本としているようだ。そしてそれほどお値段も高くない。安い。大丈夫なのか。お客様はたくさん来る。オニパンの2倍は来る。たいしたものだ。働いている方が夫妻二人を除いて、6人ほど(時間帯で変わる)いた。カフェをやってないので、販売は順次みんなで。だから、製造が多い。パンを焼く量はたぶんオニパンの3倍くらいか。メニューも80種だとか。オニパンの約2倍。すごい。

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出雲大社参道は広くきれいで、立派なお店がず~っと並んでいる。この写真は朝早くに撮ったので人の姿が見えないが、10時ごろにはたくさんの人々でにぎわっている。私は4時から1時ごろまで研修し、その後わずかでも出雲観光せねばと大社の方へ繰り出した。皆さん、朝ごはんも食べずに、休憩もなく働いていた(私もだけど)。私は疲れもあったのか、暑~い中大社方面へ歩いて行ったが、もう倒れそうで。

 

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観光とは名ばかりで、とにかく大社でお詣りして、出雲そばと名物ぜんざいだけは食べないとと、頑張った。倒れそうで。

そして、預けていたパンを受け取ろうとミケ立ち寄った。暑い!!しんど~!!というと、奥さんは「日浦さん、ジンジャーエール飲んだら。すぐ作るから。」と準備してくれた。朝も一杯作ってくれて、そのおいしさを称賛していたからか。

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生の生姜を使ってつくった手作りのもの。体の中から元気がカッと湧いてくる。生き返った!!

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ミケの宇佐美夫妻、本当にありがとうございます。 DSCN4278[1]

 

 

 

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黄昏のなか今宵の宿泊地山口へ。

ミケのパンが今夜の夕食。

充実した二日間の夏休みだった。