熊本地震!湯布院の今、オニパンカフェのこと。ご心配かけています。

4月14日の夜大きな揺れ。マグニチュード7.3。慌ててテレビをつける。震度7とは。阪神大震災と同じではないか。塚原高原は震度5くらいか。熊本は大変なことになっているはずだ。

金曜日お客様は少なかった。しかし、のどかな時間が流れて行った。土曜日は天気が良いらしい。きっとお客様も来るだろうと、結構多く生地を仕込んだ。天然酵母は、発酵時間を長くとるため、イーストと違って前日仕込みとなる。当日の状況を見ながら、追加で生地を仕込んだりできない。お客様が多く来れば足りなくなるし、少なければ余る。生産の調整は出来ない。

土曜日の深夜激震が走った。1時25分くらい。大阪で経験した阪神大震災の時の揺れをはるかに超えていた。下から突き上げてくるような振動と横揺れが交錯している。長く続くのでママと外に出る。月夜で明るい。避難グッズを準備していないいい加減さ。懐中電灯もなく、ラジオもなく。停電していない。テレビをつけ、部屋中明るくする。ちょっと揺れがおさまってから状況を確認。コップやボトルなど小さなものが棚から落ちている。冷蔵庫が移動したりいろいろあるが、幸いなことに機械類は動いている。トイレや水のタンクなどが壊れ水が出っ放しになっている。コースケやリー(猫ちゃん)が、パニックになっている。リーを部屋から出すと暗闇に消えて行った。リーはそれから二日間帰ってこなかった。

いつも4時から仕事を始めている。その日も機械は動いているし、水・ガスも出るので仕事を始めた。京都の娘から電話がかかってきて、「火をつけないで」と注意されたし、ママも危ないと言ってくるし、振動が来るたびにオーブンの火を消しながら仕事を続ける。清家さんと坂口君には、危ないから明るくなってから、気をつけて来てと電話する。いつもは5時前にやって来る。その日は6時過ぎに来た。つくるパンのメニューを大幅に変更。今日はお客様が来るはずがないので、避難所の皆さんが喜んでくれるようなパンをたくさん作った。アンパン、バターロール、クロワッサンなど大量に作った。つくっている最中7時過ぎだったか、真下から突き上げてくる大きな振動が10秒くらい続いた。それは震源が由布市直下のものだった。私は、成形したフランスパンを載せた板を(60センチ×80センチ)を抱えていた。落してはならじと、バランスを取ながら揺れがおさまるのを待った。デニッシュをつくっていた清家さんは、パイルームから出てきて、「マスター、上の棚から箱が落ちてきて、頭に当たった!」と言ってくる。中身が軽いものだったので、幸いけがはない。そうこうして、たくさんのパンをつくっていった。

 

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塚原店に20個ほどパンを並べ、別府店用のパンをとった残りの200個くらいを湯布院小学校の避難所へ持っていく。

突然持って行って、邪魔にならないかと気を遣ったが、大変喜んでいただけてよかった。避難所はたくさんの人たちでごった返していた。

電話で連絡を取った友人の家が大変そうなので状況を伺いに行った。湯布院盆地の真ん中を流れる大分川(の上流)の川南(南由布)にある友人宅。その道筋は道路がひび割れたり、石垣が何か所も崩れ、瓦屋根が落ちている家が多数。塚原とは比べDSCN3632られないほど被害も多そう。

その友人宅は、水屋箪笥などすべてが倒れて、ほとんどの食器が壊れていた。幸いなことに寝室に家具がなかったそうだ。

手伝おうかと言ったが、朝から気を張り詰めて片付けていたからか、もう今日はしないと疲れた顔で言う。

本震当日(16日)よりたくさんのお見舞いや励ましの℡、メールが届く。今日は20日だが、相変わらずの状況で、こんなにたくさんの人たちに支えられているのかと感謝の気持ちでいっぱいになる。

日曜日、観光協会の事務局の方が被災の状況を聞きに来る。オニパンは大したことがないと報告。その事務局の方に、お宅はどうなのかと聞くと、アパートの1階にいるのだがつぶれそうで、避難所で寝泊まりしているらしい。お風呂、水、食べ物に困っているとのこと。湯布院は2か所避難所があるそうで、私は湯布院小学校しか知らなかった。翌月曜日、「川北」にある避難所へパンを持っていくDSCN3637ことにする。

 

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火曜日、この間の疲れで頭が重い。朝から、ベーコンの豚バラブロックを大分の公設市場に買い出し。オニパン商用車バモスのタイヤ交換、眼科での定期検診、歯医者での治療を終わらせ、夕方から湯布院盆地の被災したお店(卸などでお世話になっているところなど)等をお見舞いに回る。玉の湯さんに伺うと、社長、大女将をはじめ経営陣が居合わせていて、そこで状況を伺った。亀の井別荘さんのフロントの方と話して、厳しい状況下即営業を開始していくとのことを伺っていたが、玉の湯さんも今日、水曜日から始めるとのことだった。始めるといってもお客様がほとんどいない中、気持ち的に前向きにやっていくとのこと。ゴールデンウィークを前にして、一番の稼ぎ時に、由布院は歴史的な静けさを味わうことになりそうだ。平日でもにぎやかな湯の坪どおりが、日曜日でもほとんど人が通っていない。近頃食パンを卸し始めたコミチカフェさんにも行く。お店のママは「こんな静かな湯布院は知らない」と話した。せめてゴールデンウィークが過ぎて起きてほしかったとも。

河野養鶏さんも深刻だった。一番の取引先の「ゆふふ」は、こんな状況なので当然製造量を控える。しかし、地震が起きてもニワトリさんは毎日卵を産む。売れないのも困るが、余るのももったいない。どうしようもない状況だとのこと。湯布院には100以上の旅館がある。その旅館とかかわる食関係の卸のお店は、取引停止となって大変な状況となっている。さらに観光客が来ないのでお土産や食べ物屋などのお店関係は大打撃となる。

オニパンにしても同様。何がつらいかというと、固定費。4人のスタッフの人件費、別府店の家賃や水光熱費などパンが売れなくても出ていく経費は待ってくれない。大企業ではないから内部留保みたいなものもなく、月々やっとでやりくりしているお店は、廃業に直面してくる。サラリーマンをやめて自営になってから、その大変さを最近ひしひしと感じていた矢先、災害一つで首くくることが他人ごとではなくなった。

支援にも色いろとあっていい。体や心の傷は一番つらい。しかし生活している人々にとって一番の不安は、これから仕事がどうなっていくかということ。経済って大事なことだ。食べ物、ライフラインは基本だが、今の湯布院にとって必要なものは、お客様がやってくることだ。最大の支援は、物を買ってくれること。全国で今、注視されている被災地の支援活動として、その点にも目を注いでほしいと思う。