大切な物 №147

若いころは消費欲旺盛な若者だった。新しいものに敏感で安物を買っては、捨てていった。
しかしこの年になってくると、生い先が短いからか、昔の思いでにふけることもしばし。それは、身の回りたまたま残されていた物を媒介に、ふっと浮かび上がってくる。
何かに使えるかなと、大阪からの引越しの際に、持ってきた物と向かい合うときに。

リビングの一角にこしらえた我が一坪書斎。雑然としたこの空間にも、思い出の品々。
思い出に浸りながら、時を過ごす。とても心地よいひとときだ。ちなみに、正面の2段の台の上の鉛筆削りは、とても切れ味抜群のしろもの。昔のものは全てが鉄でできていて、劣化しにくい。これは中一の時ばあちゃんが買ってくれた。ほぼ50年前。それが乗っている2段の台は、私が整理下手の息子のために日曜大工で作った物・・・。こうして一つ一つのものを見ていると、懐かしい気持ちが、この狭いスペースに充満してくる。つい思い出にふけってしまう。

決して物を大切にするような性格ではない。新し物好き。しかしここ数年、ものに対する見方が変わってきたようだ。そのことを自覚したのは、ひと月前。確信的な自覚が目覚めたというか。


大阪で新しい家に引っ越すときに、購入したテーブル。26年前。娘8歳息子4歳。嬉しくて枚方市の家具団地(家具屋さんがたくさんある場所)に行って、探してきた。台所に入れると、テーブルが大きすぎて(台所が狭すぎて)ママからクレーム。残念だったが、電ノコで天板を切った。
他にも部屋があったのだが、私ら家族はしょっちゅう、狭い台所のこのテーブルで顔を突き合わせ、作業したり話をした。
大分に移り住むとき、もう古いし捨てようかと思ったが何かの作業台になるかなと持ってきた。脚も傷み、ビスやテープで補修したり。

あることがきっかけで、このテーブルがとても大切な物だと気が付いた。それから、このテーブルを補修しようと思いだした。

全体を磨いて、ペンキを一度塗りした。
時間をかけて、最終までにペンキを4度塗り。
そして、仕上げに、ニスを上に塗った。

ここの所、雨続き。このテーブルを使って、ブランチを食べようと思っていたが、なかなかその機会が訪れない。
そしてやっと、昨日遅い朝食を、デッキで食べる。

う~ん、うまいねえ!

久しぶりにいい仕事をしたねえ。
これであと20年は持つだろう。
ほぼ、私の人生終わりまで使える。

大切な物に気付かされたことは、自転車がきっかけだった。
新人のスタッフの脚力づくり(パン屋は足腰が基本)のために、物置に置いてある古い自転車をあげようと思って引っ張り出してきた。
錆びていてこれでは彼に悪いなあと、磨きだした。
物置の大事なスペースをとって、邪魔で仕方がなかった。ブレーキの効きも悪く、見た目も汚い。それで、新しく自転車を購入したぐらい。
1時間磨いたが、さっぱりきれいにならない。自転車をきれいにする習慣がなかったので、掃除の仕方もよくわからない。2時間磨く。錆が取れてきた。おお~、ペダルの鉄の部分がいい色合い。完璧新しくないのもなかなかだ。

単純作業を続けていると、いろいろと昔のことを思い出してきた。そもそもこのトレックは、職場のサイクリングをしている人からサークルに誘われて、買うことになった。
自転車のことは全く分からず、たまたま行った自転車屋さんがとても親切な方で、「体格に合わせて自転車を買わないと疲れますよ」と教えてくれた。その人の勧めで、アメリカのトレックを購入することに。1か月かかって、運ばれてきた。

なぜ、サークルに誘われたのか、なぜ私がそのサイクリングサークルに参加するようになったのか、それにはそれなりの理由があった。

その理由の一つとしていえることは、私が尊敬する先輩教師の存在があったことだ。
彼は、新卒のころより、多くのことで私に影響を与えてきた。
いつも子どもたちのことを話題にし、自分のことのように子どもたちのことで、喜んだり心配したりしていた。仲間教師のことを思いやり、不正義に対しては、しっかりと自分の主張を貫く強さを持っていた。人懐っこく、ドジなところも併せ持っていた。
その人間臭さが、人と人をつなぎ合わせ、人間らしさを大切にする集団をつくりだす力となっていた。あ~思い出すたびに涙が浮かんでくる。

出口さんは多趣味だった。猛烈なエネルギーを持って、休日も激しく活動した。
自分のための活動よりは、常に人のためにエネルギーを使っていた。11月の中旬だった。
志を共にする仲間たちで、イベントのご苦労さん会をした。
出口さんはリーダーでその慰労会でも中心になって場を盛り上げた。
翌日、私は日曜参観で勤務。夕方ころ友人から電話がかかってきた。
「出口さんが・・・」
驚いて、仕事が終わって、救急救命の病院へ駆けつけた。多くの人々が沈み込んで、病院に集まっていた。
私は翌日が休みだったので、家族の人たちと泊まり込んだ。
その夜の明け方、出口さんは息を引き取った。
退職したら植木職人になるんや・・みたいなことを言っていた出口さん。
あと半年で退職というときだった。

多くの人に衝撃を与えた突然の死。私はいまだに、出口さんが夢に出てくる。
目覚めたら、涙が流れている。

出口さんは、そのサイクリングサークルにも入っていた。忙しい人なのに、年もいっているのに、常に新しいことに挑戦していた。

出口さんが亡くなって、数か月後、私は同じサイクリングサークルに入った。

出口さんが行っていたさまざまな場所に、私も連れて行ってもらった。

それは、今から18年前の話。

結局4時間磨いていた。
我がトレックは、よみがえった。
スタッフに「ぼろいからあげるわ」って言った、自分の感性を疑った。

なんでこんな大切な物を、簡単に「あげる」なんて言ったのだろう。

トレックが昨日我が家に帰ってきた。
早速、ママと「七瀬川自然公園」の周りをサイクリングした。
あ~いいなあ!気持ちいい!!
小雨の中、心地よい汗が流れる。
18年前に心が戻っていた。

2015.7.22.のトレック