別府店一周年=還暦一周年

この1月18日で別府店開店一周年(私の誕生日=還暦一周年)。
波乱万丈というと少し大げさになるかもしれないが、別府店の一年はそれほど変化めまぐるしいものがあった。
塚原で製造したパンを持っていくわけで、朝からお店を開けるわけにはいかない。しかしお店の体をなすためには、12時ごろよりの開店が望ましい。とにかくそれを目指そうと、別府店をスタートした。
しかしこれは数日で破たん。次に12時半。これも破綻。次は1時。これも破綻。
あきらめあきらめで、結局2時に落ち着いた。
確か5月の連休明けくらいから14時開店になったと思う。
このようなことになってしまったのには、それなりのお家の事情があるわけだが、多くの方々に大変ご迷惑をかけることになってしまった。
お店の情報を流してくれるブログや情報誌など、開店時間のどれが本当なのか、推理と憶測が入り乱れた。

お客様もオープンより5月頃まではたくさん来ていただいたが、6月以降潮が引くように少なくなっていった。売り上げも最盛期の半分~三分の一ぐらいに減る。

えらい具体的に書いちゃってだいじょうぶかいな。
まあ、そこんとこはそういう性格だし、商売いろいろおまっせってとこで、気を遣わんといて。
続けます。

このままだと大変だ。何が問題なのか。どこを改善すべきか。いろいろ考える。
塚原店は、お客様は減っていない。パン自体に問題があるわけではなさそうだ。
「新規オープンの店は、はじめお客様がたくさん来ていても、3カ月もすればスーッと引いていく。」これはよく聞く話だ。
別府店も同じ状況。
売れ残りが多くなって、その処理に困る。だから、パンの数を減らして持っていく。
すると、棚に並ぶパンの数が少なくなって貧相になる。さらにお客様が減る。こんな負の連鎖が続いていた。
オニパンの売りは食パン。これを、北高架商店街近くの野口町に知らせよう。北高架商店街にパン屋があることを、地域の人に知ってもらおう。
従業員さんと私で何回かビラ配布をした。わずかだが、反応があった。
動けば必ずリアクションはある。大切なことは、あきらめずにアクションを続けることだ。

2階のスペースをカフェにすれば、多少なりとも利用してくれるお客様も来るだろう。
そこでパンを食べる人もいるだろう。あっそうだ、売れ残るくらいのパンを持っていけば、その売れ残りを「お買い得パン」として買ってくれる人も出てくるのでは。
ある程度のパンがそろってないと、お客様にとっても魅力はないだろうし。
14時オープンではなく、当初の12時オープンに戻そう。そのためにアルバイトの人を探そう。

こんな感じで、再スタートを切ったのが10月25日。
この日以降、別府店は12:00スタートとなった。12:00~お買い得パン、プチカフェ。
14時以降は、焼き立てパン、プチカフェ。17時まではパンが売り切れても、ご注文や接客の対応のためお店は開けることとした。

それから3か月。努力は続いている。徐々に売り上げは伸びている。
壁にぶち当たったとき、クールに状況を分析し、新しい方針を打ち出すこと。
そして行動すれば、新しい状況は生まれる。もし結果が負であれば、さらに分析と再方針。
そのことの大切さは誰もがわかることだろう。
でもさらに大切なことがある。
それは、その方針を熱いハートで実践する人の問題。
オニパンで働く清家さんと山本君は身を粉にして頑張ってくれている。
製造技術はどんどん上達し、厨房には、私が3人いるような状況になっている。
否、年とともにボケてきている私の注意力は、二人のご迷惑になっているかも。
二人は交代で別府店へ。そして6時ごろに塚原へ戻ってくる。
良く売れたときは、笑顔で息を弾ませて報告してくれる。
アルバイトの塩手さんと小野さんも一所懸命やってくれる。
12月の暮れ、私とママとその4名で忘年会をした。
楽しいひと時だった。
オニパンカフェは若い4名の働き手によって支えられている。
おいしいパンづくり、お客様の笑顔を大切にする思いを忘れずに努力すれば
きっと新しい局面は訪れるはず。