「どっこい」30周年記念公演

ひと月前のこと。和太鼓・民舞サークル「どっこい」の創立30周年を記念する公演が開催された。
私は、創立者の一人として、ぜひぜひ参加してほしいという熱い申し出を断りきれず、大阪へ。

思えば、私が29歳のころ、当時はまだ珍しかった和太鼓に魅せられて、プロの演技団の研修生になった。
仕事を終えた疲れた体で、一年ほど通い続け、同時に大阪門真市の速見小学校を拠点として、太鼓サークル「どっこい」を立ち上げた。
3周年、5周年記念公演を開催する中で、和太鼓や民舞を志す仲間が広がっていった。
門真市では、サークルに入っている保育園の先生たちの働きかけで、全ての園で太鼓が普及していく。小学校や中学校では、運動会・文化祭では生演奏の民舞や、力強い和太鼓演奏が数多く取り組まれるようになる。
どっこいとしても、多いときは、私も年間30回、さまざまなところで演奏をした。
わたしにとって「どっこい」は青春の輝きそのものだった。

今から27年前の写真。どっこい創設期のころ。
皆さん、若い。以前の折々帳でも載せたが、昨年の夏に、わざわざ大阪から塚原に駆け付け、「傘踊り」の「強制練習」(笑)をしてくださった、大田さん、辻奥さん、堀田ちゃんの顔も見える。
わ、わか~い!

さる4月27日大阪門真市のルミエールホールで公演は開かれた。お客さんは1000人。
どっこいは、大阪の他のサークルとも連携しながら、このような大きな取り組みをすることができる。
いったん男が「行く」と言ったからには、ひるがえすことはできない。
4月27日は、ゴールデンウィークの稼ぎ時。そんな中で、ママや従業員さんにお店を任せていくなんて。ちょっと考えられない行動。
しかし、私の人生にとっては、天秤にはかけられないほど、大切なものなのだ。

ただ気がかりなことはお店のことだけではなかった。
それは、「傘おどり」。
どっこいOBとしての演目が10番目。
練習用としてくれたDVDを見ながら、部屋で練習をしたりはしてたが、
なかなか、うまく踊れない。

そうこうするうちに、私の最後の舞台となった2000年記念公演のことを思い出した。
この時も、会場1000名を超える満席状態だった。そのフィナーレを飾る演目は「八木節」。
舞台中央でたるを叩き歌を歌うは、私だった。
そこで、私はミスをした。
歌詞を間違えたのだ!

あ~なんていうへまを!!!
それが、私の和太鼓人生最後の舞台だった。

それから14年。八木節のトラウマが現れだした。それは公演1か月前ぐらいになると、仕事も手につかなくなるほど(ちょっと大袈裟か)。
とにかく、みんなに迷惑を掛けられない。下手でもいい、最後まで踊りぬくぞ!

大阪に向かうフェリーの中、体がぼろぼろの私がいた。仕事でも相当疲れている。
お酒を飲んでもあまり眠れなかった。朝の顔はひどいものだった。腫れている。

通いなれたルミエールホールに着く。懐かしい!
どっこいのみんなに会う。うわー、かっけー!!
久しぶりに芸能人みたいな感覚。しかし、舞台のそでに立つと、ピリッとしてくるから不思議。


出番は3回。
1.傘踊り
2.どっこい創立当時のエピソード紹介
3.フィナーレ全員踊り

肝心の傘踊りの出来はどうだったかって。
途中、回転でふらついたものの、何とかみんなについて行ったかな。

良かった!

その夜の打ち上げは盛り上がりましたよ。
参加している人が60人くらいいたかな。
懐かしき人たちや若い人たちと、久しぶりに和太鼓民舞を語り合った。
でもサークル一番の宝は、人生を豊かにしてくれるということ。その本質は、人との絆、友情。