自分が試されるとき№119

人生には何度か転機が訪れる。もしかすると、今がその転機かもしれない。
振り返れば、今までも何度かそれは訪れた。
思うに一度目は学生時代。このままでの自分では生きていけない。コンプレックスからの解放。自己変革。
そして、多分二つ目は、・・・・・。
そして三つ目は、大阪時代の経験から、今後の生活は塚原でパン屋としてやっていく。
これで終わると思っていた。
人生は自分の力で自分のために切り拓いていく、そんな考え方が中心になっていた…様な気がする。
どうせ生きるのなら、言い換えればどうせいつか死ぬのなら、こうやって生きていきたい!みたいな感覚で、しかし他人のことも考えながらみたいなことも付加して。
ママは還暦になった。恐ろしことだ。それは、順番としては、自分も4か月後に還暦となるということだ。
早いよね、人生は。きっと10年って今までより早くやってくるに違いない。すると70か。
若くしなやかな体だった俺は、今、体が硬くなり、歯も傷んできている。
パン屋の12~3時間労働は、確実に俺の体を蝕んできている。
このままでは、あと十年はもつはずもない。

こんな時に、メガソーラー問題が持ち上がった。
8月の終わりから、休みのときは、文書をつくったり、交渉したり、雑務に追われまくり状態が続いている。普段使ってなかった頭脳の回路が、恐ろしい速さで動くもんだからパニクルことしかり。寝ているときも自然と考えるから、夢にまで作戦会議が。おかげで、睡眠パニック。
お薬の力で、今は寝ている。

塚原は人が少なく、シカやイノシシなど自然の生き物が多い。お隣と言えば、大体2キロ先くらいまで、そんな土地柄。
しかし、メガソーラーが持ち上がった時、翌日30名もの人がオニパンに集まった。それから、頻繁に人との交流が始まった。それは濃密な!
大阪という大都会でも、今ほど強烈な近所づきあいをしたことがない。
成り行きで反対する会の代表になってしまったことから、マスコミとの対応や事務局の仕事、その他、他地域での困った方への援助の活動など、たくさんのお仕事が噴出している。
大変だが、濃い、濃い人間関係。
他人のために動かざるを得ないポスト。これって、ここまでやらなくてはならない状況になったことがあったのか。多少は、あった。でも今ほど、自分が試されているときはなかった。
自分が転べば、みんな転ぶ。やばい状況だ。

お店の方もしかり。今のままでは、オニパンを継続することはできない。自分が転べば、翌日から、お店はストップする。もちろんママが転んでも一緒だが。
これも、時間の猶予はない。

転ばないようにするために、転機が訪れるのか。
多少の転びは、人生にとって大切なこと。
しかし、立ち上がれないような転び方(倒れ方)は、まずい。
生きていくために、今の自分では生きていられない状況が訪れる時、転機に出会うのか。
転機とは、自分を新しい自分に変えていく時のこと。
新しい段階に入ったという事か。人生のらせん階段。