日曜(火or水)大工 №112

私は日曜大工が好きだ。
30歳半ばのころからだろうか、徐々にその世界に足を踏み入れだしたのは。
決して丁寧で見栄えのするものを作るわけではない。
出来上がったものを眺めるに、必ずといっていいほど、傾いていたり、ゆがんでいたりする。
それは、図面や作る手順等を無視し、ただ思いつきと情熱だけで制作するという、まだまだ子どもの工作の域を出ないレベルに由来しているのだろう。

しかしどう表現すればよいのか、これを作ろう!と思いつき、作り始めると、すべてを忘れ、その作業にのめりこんでしまう。(この部分をどうつなげるとうまくいくだろうか)などと考えるとき、あらゆる雑念・不安・悩み・欲望が消えうせ、全身全霊がかってに、その作業に注ぎ込まれる。
時間の経過?もう、時間なんて全くわからない。時間どころか、今自分が置かれている状況(今日中にすべき仕事やいまやらねばならない要件)は吹っ飛び、今目の前にある物(材料)に関わることのみが頭の中を忙しく、いや、とてつもないスピードで走り回る。
完成間近になると、私の制作欲はいよいよ頂点となる。いけいけ!ここだ、ここを磨け!
う、う、腰が!腰が!まあいい、もうちょっともうちょとだあ!!
腰や肩が痛くとも、気づけば変な体勢で2時間くらい作業に没頭していることはよくあることだ。
大阪で暮らしているとき、30代から50代にかけて、結構な数のへんてこりんなものを作った。
折々帳№105で紹介したテレビ台もそうだ。

これは一種の病気なのだろう。何かを作ろうと考え出すと、そのことがいつも頭の周りにちらつき、飛び回っている。大巨人のもじゃもじゃ頭に巣をつくった小鳥が、その巨人の頭の周りを、付かず離れず飛び回っているあのシーンみたいな感じで。
その作り方がわかり、あるいはいいアイデアが生まれるのは、決まって朝方のベッドの中だ。
ひどいときは、朝3時ごろより目覚めて、眠れない時もある。
ママはそんな様子を見て、「病気やわ」という。
確かに、病気の一種かもしれない。
体は疲れ、寝不足にはなっても、心にはとても良い病気だ。
何せ、楽しくてたまらないのだから。

近頃の作品を紹介しよう。
その①
パン屋の商品を並べるカウンターの仕切りが邪魔で仕方なかった。
パンも見づらいし、パンを入れる籠もうまく入りにくい(サイズがおさまりにくい)。
あ、そうか!だったら、取ればいいじゃないか!そのことに気付いた。

仕切りをとって(右上の写真)、とてもスッキリ。
さらに、大小様々の籠にパンを入れて並べるのは、手間からいって、結構大変。
紙もはさみで切ったりして、時間もかかる。だったら、カウンター全体に広がる広いパンの
受け皿的なものを作ろうと思い立った。
グッディーで材料を買ってきて、日曜大工。

これにパンを並べるとどうなるのだろう。わくわくする。

その②
パン屋を始めた5年前、オープンカフェはとてもっきれいな芝生が広がり、目の覚めるような美しいスペースだった。

それが、2年ほど前から、モグラの野郎が、いっぱい穴ぼこをつくり、地面をもりあげる。
右上の写真の黒い斑点のように見えるのは、モグラが盛り上げた地面。
何とかならないものかと、いろいろ考えた結果、モグラ退治は難しいとのことで、モグラが顔をあげられないように、上から石を敷こうと考えた。
塚原の人形館「いま」のオーナーに以前話を伺った、宇佐開発という会社が持っている鉱山みたいなところで分けてもらえる、てっぺい石(平たい石)を使おうと思い立つ。
軽トラで、宇佐開発へ。山に落ちているてっぺい石を500キログラム軽トラに積んで持ち帰る。

石を敷くためのスペースを軽く掘り(左写真)、石を敷いてセメントで周りをかため、目地には固まる砂(ホームセンターでうっているやつ)を入れる。
椅子やテーブルも白くペンキで塗りかえる予定。

春がやってきた。オニパンもお店のメンテナンスを終えて、春を迎えたいところだ。