塚原での生活

今日、急に冷たくなりました。朝、Tシャツでいたら、くしゃみが出てきます。寒くなると続いて考えることは、薪。塚原生活では、必需品とも言えるものです。薪ストーブに憧れて、寒い塚原生活を選ぶという方もいるようです。10数年前、初めて塚原に足を踏み入れた時、塚原の摘み草煎餅屋「ポコアポコ」の高橋さんが、「薪ストーブの火はいいよ。柔らかくて・・・」と仰っていたのが思い出されます。私は、それから、薪ストーブに関心を寄せるようになりました。
薪ストーブは、我がオニパンカフェのパン窯と同様、輻射熱で体を温めてくれます。(空気対流式ってのもあるのですが、とりあえず、我が家のストーブは輻射式)。石床のオーブンは、パンを表面から焼くというより、内部から温めてくれ、ふっくらと焼きあげる、そうそう、あの石焼き芋のような感じで焼いてくれます。輻射式の薪ストーブも、近くにいながら熱くはなく、じんわり体の芯から温めてくれます。薪の燃える炎を見ながら、もう、何の言葉もBGMもいらない、静かな豊かなひと時を醸し出してくれるのです。

シンプルな輻射式の薪ストーブです。これ一つで家全体を暖めてくれます。夜寝るときに火を消しても、朝、外が零下であろうが、家の中は10度以上というすぐれものです。
周りのレンガは、自分で貼りました。

そんな贅沢な時間を持とうと思えば、それなりの労苦も必要となります。お金を出せば薪は手に入りますが、自ら材を探し、薪をつくる、それこそが、真の贅を味わうことにつながると考えます。そのためには、木材を切るためのチェーンソウを使えねばなりません。日曜大工の好きな私は、不注意な性格も相まって、以前、木工の機械で人差し指の先を切り落としてしまいました。そんなこともあって、あの恐ろしいチェーンソウを使わねば薪ストーブを味わえないとなると、今度は指先どころか、腕の1本も切り落とす羽目になるとママが反対します。それで、チェーンソウの講座に参加し、資格を取りました。

チェーンソウの研修の際に勧められたゼノアの製品を買いました。今はもっと大きめのものを買えばよかったと思っています。まあ、でも、手軽に使えると言う点ではこれでいいのかな。

塚原には、都会生活に慣れたへなちょこの私から見ると、想像を絶する人たちがうようよいます。例えば、「ログキャビン・トミ」の富さん。塚原生活の第一歩として、自力でミニログハウスを建てていたときから、彼には大変お世話になっています。ログハウスの上部の壁の材が、半日掛かってもはまらず、途方に暮れていた時、彼はサルのように壁の上まで登って、材に全体重を掛けるようにぶらさがり、片腕一本で、重いカケヤ(木槌のバカでかいようなもの)を振り回し、ものの5分ではめてくれました。
またある時、お店のお客さんの薪の木材を譲ってくれるという話にのり、富さんを誘って、天ケ瀬という山の方へ行ったことがあります。残念ながら、大量の倒木は、すでに、だれかによって持ち運ばれていました。あきらめて帰ろうとした私ですが、どっこい富さんは違います。湿地の足を踏み入れにくい場所の倒木や、そこに生えている木を切り倒し、たくさんの薪材をとってくれました。
チェーンソウは、堅くなった木材を切ると、すぐに刃が傷つきます。私のものも、すぐに切れ味が悪くなり、役に立ちません。そんな時にも、富さんに相談します。目立ての仕方も結構奥が深い。

奥が深い目立ての方法ではありますが、底の浅い私は、簡単な目立てができる器具をハンズマンで発見!喜んですぐさま、購入。

こんな風に、薪ストーブ一つにして、色々と能力が必要になって来ます。そんな塚原生活を淡々とこなしている塚原の人たちは、ほんと豊かな人たちなんだと感心させられる日々なのです。