パン屋の修行時代(終了後)

2007年10月中旬。あこ庵の修行を終えた。苦悩した修行の期間だった。あこ庵の社長近藤氏から言われた「パンだけを見なさい」という忠告。それは、私がパン作りの技術習得よりも、周辺の人間関係に振り回される姿を見てのアドバイスだったのだが、その言葉の通り、最終の一カ月はパンだけに集中した。今まで見えてなかった、パンの姿が鮮やかに私の目に飛び込んできた。回り道をしながら、やっとパンの道にたどり着いたと感じられた。それにしても、何と言い訳がましい自分だったのか。職人さんの中で、自分を認められたいばかりに、言い訳をする。自分の主張をする。そんなに口にしたわけではなかったが、心の中で、叫んでいた。自分の中に明確な目的意識や目標がないから、言い訳をついしてしまう。言い訳は中身のない自分、自信のなさのあらわれ。本当に人生勉強の7カ月だった。その後、2008年1月と2月、日本パン技術研究所の短期コースに入学した。ここは、日本を代表する大手パン業界(ヤマザキ、フジなど)の社員さんたちや製粉業界の社員さんが研修に来る第一線のパン学校。朝8時半より午後5時までパンの理論と技術を学んだ。イーストを使って、より効率の良いパン作りを目指す技術指導はあこ庵で学んだパン作りとは対照をなすものだった。大量生産、長期保存性、経済性などを追求するパン作りとその研究。有名パンチェーン店が、冷蔵パン生地を購入して簡単にパンを作っている実態などを知った。気に行ったパン粉を選別し砂糖、塩、油脂などそのすべてにおいてこだわってパンを作るリテイルベーカリーが希少、貴重な存在だと改めて感じた。生地を柔らかくするためには、生地調整剤が必要だと言ってしまうと、もうそこで終ってしまう。手作りの技術や工夫などを学ぶのではなく、工場生産のための研究開発が目的のような感じだった。しかし一方で生地がおいしいパンになるための科学的な研究はすごいものがあるなと思った。あこ庵で学んだパン製造技術とパン製造の理論の大事さがよくわかった。
そして、3月、塚原にやってきた。不安は大きかったが、とにかく道は一本しかない。パンの道。

パン修行終了後、東北へ一人旅に出ました。三陸海岸の遊覧船にて。現在の愛車、ホンダCD250U。この愛車に乗って、大阪から東京へパン修業に行きました。修行が終わり、また大阪へ。その帰阪途中の恵那山トンネルでの出来事。恵那山トンネルはとても長いトンネルで、100キロで走っていても、有に15分は掛かるほどのトンネル。そのトンネルの路面はとても悪い状態で、ハンドルがとられそうになります。100キロで走っていたらこけそうになるので、80キロ70キロとスピードを緩める。そこへ後ろから大きなダンプ。「おらおら、そこのけ」ってな感じで、直後に迫ってくる。私は、スピードを上げようとしましたが、するとハンドルがガタガタと・・・。真っ暗なトンネルの中で死と隣り合わせた恐怖の10分間。(こんなに苦労してパン修業を終えたのに、こんなところで死ぬのかなあ)ほんと、人生最大の恐怖でしたねえ。トンネルを抜け出した時の安ど感。これはなかなか人に伝えきれないものを感じます。もう二度と恵那山トンネルはごめんです。